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本心は、書かないものに隠れてる

「何を書いていいのかわからない。」と言われることがある。クライアントさんなどにSNSをやった方がいい、noteを書きましょう!と言った時などに。

書く時間がない、何を書いていいかわからない、そりゃそうだろう。

生まれて初めて自転車を見たときに、乗り方がわかる人はまずいない。

誰かがやっているのを見よう見まねでやるか、とりあえず使ってみるか、乗り方を調べるか、いずれも何か行動をおこして前に進めなければ何も始まらない。

そして次には、またこう言うのだ。

「何を書いていいのかわからない。」


書き手の本心、ネガ派とポジ派

世の中にはいろいろな人がいる。そして、自分自身だって固定化された自分ではなく、今日はNGだったことが明日にはOKになっている事だってある。

価値観なんてブレて当然、場所や体調やその場の人間関係の影響をモロに受ける。

みんなが良いと言っていれば流されちゃうし、その逆も然り。

そうやって生き延びてきたサルたちの子孫が僕らなので、生まれつきゴリゴリの生存本能的なバイアスがインストールされていると思った方がいい。


でも色々と見ていると、どうも何かを生み出すことに対してはネガ派とポジ派がいるようだ。

ポジ派はほっておいてもアレコレ見つけてきておもしろがり、それをどんどん書いていく。このタイプはほっておけばいい。

むしろ「もっと書きたいのに書く時間が足りない!」などと言い出すのがポジ派だ。ちなみに僕は完全こっち系。


逆に、ネガ派は一つ書くのにとても慎重で時間がかかる。腰が重く、筆も重い。

いい部分もある。慎重だし丁寧なので、誤解されづらく、言葉を選ぶので誰かを傷つけることも少ない。

とはいえ、書くのに時間がかかることが続けば、言語化の訓練のはずが失敗経験として重荷になってしまう。それでは本末転倒だ。


価値観とは、隠そうとするものに宿る

「何を書いていいのかわからない。」となったら、逆に考えよう。

あなたは何を書きたくないのか、何を隠したいのか、何を見せたくないのか。

本心とは、見せたいと思って出す部分ではなく、見せたくないと思って隠す部分にとてもよくあらわれる。

その人がどんな人かを知りたければ、やっていることではなく、やらないことを見るべきだ。何を隠そうとするか、そこにはコンプレックスやプライドなどのどうしようもない価値観がまざまざと現れるから。

それでは、自分自身はどうだろうか?

自分は何を書かず、何を隠し、何を見せたくないと思っているのか。

普段、表に出さないところにこそ、本当は何を大事にしていて、どんなことに嫌悪感を感じるのかが出てしまう。


「何を書いていいのかわからない。」ならば、何を書きたくないかを書いてみるのもいいと思う。

外堀を埋めるように、除外したい条件を整理することで、逆に書きたいことが浮かび上がってくるかもしれない。

もちろん、価値観が一つじゃないように、やり方だって一つじゃない。

ただ、何か行動をおこして前に進めなければ何も始まらないのだから、そのための最初の一歩はポジティブだろうがネガティブだろうがどちらでもいいはず。

書きたくないことを書くことで、自分の本心を知れるかもしれない。

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