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カリスマのそばにいすぎてはいけない

今までの人生で、何人かカリスマと呼ばれるレベルの人のそばにいたことがある。

1つは学生時代、当時の桑沢デザイン研究所の所長であり天皇陛下に紫綬褒章を賜るほどの世界的デザイナーでもあり、尊敬する恩師の内田繁先生の元にいた時。

もう1つは就職後、独立して今もお世話になっているワインインポーターでありワインショップ経営者のオーナーさんと仕事をしている時だ。

前者の恩師は高齢でご逝去されたけれど、僕が教わっていた5年間ほどで本当にいろいろなチャンスをいただいた。あれから10年たって、今ようやくあの時に教わっていたことの大切さや貴重さを実感している。

後者のカリスマオーナーさんとは今も仕事をしているけれど、やはり発言の鋭さや重み、若手スタートアップへの支援などの身軽さ、どこを取ってもカリスマ経営者というのはこういう事なのか...と唸ることが多い。

どちらの方も1代で富と実績を築き上げ、人を巻き込み文化を醸成し、多くの人にデザインやワインを広めた伝道者でもある。その成果は多くの人を少し幸せにしているから、富や人がそこに集まるのは人類全体が進むために有意義だと思う。

でも、そんなカリスマのそばにいるときにふと思う。これは、ずっとそばにいちゃダメだなと。


カリスマの強すぎる光

カリスマとまで呼ばれる人の手腕は凄まじい。練磨研鑽を絶やさず、たとえ朝令暮改であろうと過去の因習や判断に引っ張られる事なく即断即決。そうでありつつ、柔軟な部分と、絶対に譲らない信念のようなものを守る頑固さもある。

そして、彼らは成果も出す。出してしまう。ピンで戦っても強く、組織をまとめ上げるともっと強い。圧倒的である。

そんなカリスマの元には、当然のように優秀なNo.2やNo.3がそばにいる。彼らあってのNo.1だったりするのだけれど、例えNo.2が抜けてもカリスマが2人になるわけではない。どうしたって、No.1の圧倒的な輝きはオリジナルなものに感じる。

圧倒的な輝きや光は、見るものの心を奪うけれど、影も生み出してしまう。どんな成果だってチームのものだと言ったところで、どうしたって目立つ人の実績に見えてしまうのだ。

カリスマの元でカリスマに憧れてカリスマをコピーしている限り、永遠にオリジナルにはなり得ない。また、その後光を自分のものと勘違いをして驕ってしまえば、光源たる場所から離れた時に自分の光の弱さに愕然とするのだ。


オリジナルは2人いらない

僕は学生時代、最初は内田先生のデザイン事務所へ就職することを希望していた。その気持ちが企業へのインハウスデザイナーという道に変わったのは、ある人物からの助言があった。

その方も残念ながら若くしてお亡くなりになってしまったのだけれど、デザインジャーナリストの山本雅也さんである。

雅也さんとは学生による自主企画の合同卒展に審査員依頼をして知り合ったのだけれど、とにかく歯に絹着せぬを地でいく鋭い舌鋒の方だった。

何度かご自宅のマンションに伺ってお話を聞いたりする中で、作品を見てもらったりもしていた。そしてある日、こう言われたのだ。

「あのさ、君がどんなデザインがしたいのかわからないんだけど、本当にこれやりたいと思って作ってる?内田繁は2人いらないよ。」

当時の僕は、今思えば恩師の影響をバリバリに受けまくっていて、守破離の守を忠実に実行していた。

でもその精度はコピーには程遠く、なのに主張したい自我も漏れ出ている、お世辞にも良い出来ではなかった。

そんな自分の心の内をズバリ言い当てられて動揺し、誰かに頼り作ってもらった道を歩くのではなく、自分の道を探そうと決めた。2006年の秋頃の話だ。


あれから10年以上たつ。気づけばそこそこ遠くまでやってきた気がする。

内田先生も、雅也さんも先に旅立ってしまった。

あのままそばにいてもダメだった気がするが、離れてみてどうだったのだろうか?僕は自分の道を歩めているのか?あいかわらず地図もなくさまよっている気持ちなのだけれど、今はまだ自分の中の小さな光を少しづつ育む時なのかもしれない。

カリスマとはつかずはなれずが1番かも。
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