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自分の輪郭を生きるということ。強さとしなやかさを手に入れる「価値観ワーク」

友人がエモいnoteを盗作された


先日の出来事。

視座の高さと合理性とエモさを両方感じる知的な文章が魅力のnoteを書いている友人、Michelleちゃんが盗作騒動に見舞われてしまった。

まぁ今ってネットでちょちょっと検索したら大概の情報は文章化されているから、私ももちろん何かの記事を参考に文章を書くことはある。

あるけれど、Michelleちゃんの場合、該当のnoteを1回しか読んでない私ですら

「これは…アレンジすらしてないヤベェやつだ…」

と一発で感じるくらいの代物だった。

内容は「情報」(客観的なもの)ではなく「感性」(主観的なもの)な上に、それを見て共感した人から1500近くのいいねと数多の熱いコメントをもらってしまっているのがタチが悪い。

「当該ツイートを見てゾワッとして…

普段だったら放置してるけど気持ち的には指摘したい。

みんなだったらどうする?」

というMichelleちゃんの仲間内へのコメントを見て

正直自分だったらどうするか、私には想像もつかなかった。

感情は荒ぶれど対応は至って冷静に

しかし、心中を仲間に明かした後のMichelleちゃんの対応は素早かった。

そして素晴らしかった。

まず、パクツイ本人に「削除してほしい」と伝える。たくさんの人からパクツイが共感を得て評価されてしまっているので公開ではなくDMで。(気遣い!)

しかし残念ながらお相手には「盗作とおっしゃるんですか?悲しいです」と逆に被害者モードに入られ、その後すぐブロックされてしまう。

以降先方と連絡が取れなくなってしまったMichelleちゃんは

盗作されて悲しい・悔しいこと
「自分の言葉で表現しよう」という声かけ

それから

「今後こういうのはやめようね」という意味を込めて、アカウント名を伏せたパクツイとオリジナルnoteの比較スクショを載せたnoteを公開した。

ここまで、お相手に対しても仲間に対しても、そして、自身に対しても努めて冷静なMichelleちゃん。

もちろん心中は穏やかじゃなかったハズ。

だけど、心で感じてることと、自分が世界に対してとるリアクションは別物でいい。それが、世界と自分をどちらも大切にできる人間の在り方だと私は思う。

逆流れ弾?通りすがりの人に絡まれた

すると、Michelleちゃんのnoteを見た善意の(と本人は思っているであろう)第三者から

「表現が似てるからってアカウント晒すなんて誹謗中傷です。ネットで袋叩きみたいな行為が怖いです」

という謎のリプが来てしまう。

  1. そもそもMichelleちゃんは当該アカウントを晒してはいない(反面、善意の第三者は8割アカウント名書いちゃってる😂)

  2. 誹謗は悪口や罵りのこと。Michelleちゃんは事実と自分の気持ちを書いただけ

  3. 中傷とは根拠のない嘘デタラメのこと。Michelleちゃん側に嘘はない

  4. 袋叩きとは複数人で非難・攻撃すること。noteやTwitter上でMichelleちゃんサイドから相手を非難するようなコメントは誰からもついていない

まぁ要は、この善意の第三者こそが、誹謗中傷な言いがかりをMichelleちゃんに投げつけていて割とドン引きなんだけど、感情に飲まれている相手に反して、Michelleちゃん自身はどんどん冷静に、そして客観的になっているように私には見えた。

人生において大切にしているもの

その時、あることに気づいた。

それは、先日Michelleちゃんと一緒に取り組んだ価値観ワークの内容だ。

価値観ワークとは私が提供しているサービスの1つで、いくつかの質問から、人生で自分が大事にしていること、いわば自分の核になるコトガラを言語化し

ピカピカの10項目

に磨き上げていく作業なんだけど、Michelleちゃんの価値観10項目の中には以下の言葉が並んでいた。

  • 世界を信頼する

  • 特別な存在であるために批判を恐れない

  • 事なかれ主義がいや、問題があるなら見て見ぬふりせず解決したい

その時私は心が震える気がした。

(あー、Michelleちゃんは今、"自分が大事にしていること"をまさに実社会で体現しているんだ!)

そう思ったからだ。

絶対的な善悪ではなく”好みの問題”

事なかれ主義を採用せず、批判を恐れず世界に対して「自己」を表現していくこと。

特別な存在でありたいという欲求をありのまま受容し、"こう在る"と決めることこそが自分を特別たらしめるのだ、と自己と思考を一致させていること。

そして、そのすべては世界に対する敵対心や競争心ではなく、信頼を前提としたアクションだということ。

これ、「善悪の話ではない」というところがポイントだと思っていて。

むしろ、Michelleちゃんは

「これは完全なる自分の"好みの問題"なんだ」

と自覚することによって、自己と他者のどちらにも寛容でいられる気がした。

「許せないアイツ」と「で、自分はどうしたい?」

実はめちゃくちゃ主観的な"モノの善悪"を基準にアツくなる善意の第三者と、

はなから

「私はこうありたいからこうしているし要望も伝えるけど、最終的にどうするかは相手の自由」

という態度で応対するMichelleちゃんが、1つのやり取りの中でこんなにもスレ違うのは当然だと思った。

(自分の基準に反する悪いやつは)許せない!!

という思考と

色んな人が(自分の好みに当てはまらないし、いい気分がしない人も)いる

という思考では

そこに乗ったエネルギーの種類も違うし、前者は苦しく後者は気が抜ける。

「そうだとして、この後自分はどうするか?」

と、あとに続く脳内会話も変わってくるだろう。

前者は「許せない相手にどう対応するか?」と相手に対する怒りの思考が続くことになるし、後者は、やるせなくなりながらも「で、自分はどうしたい?」と意識が自分に戻ってくる。

それは柔軟性や許容力そのものだし、

自分のやりたいことをやって、好きに生きてる人の方がしなやかで強いと感じるのは、こういう理由からだと思った。

うぅぅぅ

Michelleちゃん、すごい!!

あんた、かっこいいよ!涙

嫌な感情になっても相手を信じる

善意の第三者はその後、Michelleちゃんの応答から「自分こそが当該アカウントを晒しているのだ」ということに気づいたらしく、自分のリプを削除していた。

そして誰にともなく、独り言のように「この世界は嫌な場所だ…」という旨のツイートを立て続けにしていた。。(わざわざ見に行ってしまった暇人な私w)

その後、数日してMichelleちゃんから新たな知らせがあった。

騒動の初期に早々に彼女をブロックし、鍵アカになっていたパクツイアカウントからコンタクトがあり、謝罪と当該ツイートを削除したという報告があり、Michelleちゃんのnoteからパクリ比較のスクショを削除してほしいとの依頼があったということだ。

それを受けて、Michelleちゃんは相手の要望を受け入れ、コトはとりあえず一件落着ということにあいなった。

世界への信頼と自分を生きるということ

もし自分だったら、ここまで冷静に対処できるだろうか?

全てが収束した形になって、Michelleちゃんは最後に

「発信の目的が『万人に賛同されること』じゃない以上、反対意見やdisがあるのは当たり前。

そういうとき

自分が間違ったなと思ったら謝ればいいし、そうでないなら、例え優等生の振る舞いではなくても『これがわたし』と堂々としていればいいのかな、と思う。

その他、

今回の収穫は、自分の感情に蓋をせず、おしゃれでもスマートなやり方でもないけど気の済むようにやったこと。」

と言っていた。それも、ことの顛末を知って一緒に怒ったり心配してくれたりした、仲間への感謝と共に。

なんというか、とてつもなくしっかりした"軸"を感じた。自分のやっていることに確信を持っている感覚と、人は間違いを犯すものだから何かあったらお互い様だよね、というスタンス。

本当に、かっこいいな!と思った。

ありのままの自分を愛するということ

自分の軸に確信を持つことは、強さとしなやかさになるんだと改めて感じて、価値観ワークの後にMichelleちゃんからもらった振り返りを見てみると、こんなことが書いてあった↓

人々の中で自分が自由に伸び伸びいられることが大切!主語はいつだって自分であることを認める。自己ちゅーは否めないけど、物理的に拘束でもされない限り、環境に左右されない・被害者にならないというスタンスは気に入っている。そして例え物理的に拘束されたとしても、自分の心の自由を守れると思えた。自分がまた少し可愛くなった。

これが、彼女の中での「自由であること」

そして「自分を愛するということ」だ。

最後に、一連のMichelleちゃんのアクションに感銘を受けた私は、「自分に正直にアクションを起こしてくれたことで多くの人に気づきを与えてくれてありがとう」と本人に伝えたのだけど、

Michelleちゃんからはこんな返事が返ってきた。

「あのワークをやったことで個々の違いが本気で腹落ちしたし、自分の本音がわかりやすくなったよ…!!

それをそのまま発揮できたのは受け止めてくれるみんながいたから!こちらこそありがとう💜」

だって!泣

自分の輪郭を生きるって、こんなにも眩しく爽やかで、魅力的なのか!!

そして私は、自分も自身の価値観を大事に生きようと改めて心に誓ったのだった。


アーティストがその感性を磨くがごとく、自分の輪郭を顕に生きることに情熱かけてます。共に自分を生きようぞ