飛行機が満席で乗れなかったときの話@札幌
新年早々親戚の受験生の子と話をした。
どうも津田塾大学の偏差値とか格付けが
私が受験生だった30年ほど前とは
大きく違っているようでかなり驚いた。
いやー昔は・・・と、若者をつかまえて
昔話をしていると、地震警報でスマホが鳴った。
翌日には羽田で航空機の衝突事故が起き
国際線を含めて航空ダイヤが乱れまくって
波乱の年始となった(私はノーダメージ)。
昔話のついでに。
私が学生だった25年ほど前は、
「スカイメイト」という制度があり
22歳以下の若者は国内線の予約なしで
当日空港に行き、空席があった場合のみ
正規運賃の半額で航空券を購入できた。
スカイメイト会員は確か手数料1000円ぐらいで
最長5年(更新可)で22歳の誕生日まで有効だったはず。
会員証を制作した航空会社に関わらず、
どの航空会社を使用しても半額運賃は適用された。
当時の東京-札幌の正規運賃は2.4万円とかで
スカイメイト会員だと1.2万円で飛行機に乗れた。
空港使用料?そんなものはこの時代にはない。
しかも国内線では毛布や新聞サービスはもちろん
茶菓子まで無料で提供されたのだ。普通席で。
LCCなどなく、ついでにスマホもない時代。
国内幹線はJAL・ANA・JASの3社独占状態で
エアドゥはまだ飛んでいなかったはずだ。
私は学生のころから旅行が好きだったので
そのときも学校の授業を適当に自主休講して
初夏の北海道を旅行していた。
しかし7月にはテストがある。
それを受けてパスしないと単位がもらえない。
単位がもらえないと卒業できないから困る。
私は土曜日の夕方千歳空港に行き、
スカイメイト運賃で羽田に戻る予定にした。
スカイメイト運賃だと事前予約できないので
飛行機に乗れないことを想定しなくてはならない。
最悪満席で土曜日に羽田に戻れなくても
日曜日のうちに戻れば月曜のテストに間に合う。
本命は土曜のフライトで、保険として日曜。
千歳空港には土曜日の午後4時すぎには到着。
JAL・ANA・JASの3社それぞれのカウンターで
空席状況をたずねたが、当日の羽田行きは
各社見事なまでに満席だった。
空席待ちスタンバイもできるのだが
スカイメイトの優先順位はかなり低い。
望みは薄い。多分無理。
カウンターへ行き、明日の羽田便の状況を
尋ねると、これまた全社全便満席との答え。
千歳-羽田線は各社大型機をバンバン飛ばしているが
それでも供給が追いつかず全便満席という大入り。
偶然何かのイベントに重なったのだろうか?
お盆や正月でもない7月上旬の週末なのだが
怖ろしいくらいに北海道民が東京へ殺到している
(もしくは私のように都民が帰京している)。
ユダヤ人の出エジプト的な何か?
令和の現在はスマホでどこでも情報収集ができるのだが
当時はネットはあったけど速さ64kbpsのISDN時代。
令和はメガでネットの速さを語るが当時はキロだぞ。
情報は依然として書籍、または直接電話して集める時代だ。
若い私はとりあえず札幌に戻る高速バスの中で
これからの身の振り方を考えた。
スマホという単語すら存在しない中、
思いついた案は2パターン。
A案 札幌1泊 翌日千歳で朝からスタンバイ
B案 寝台特急「北斗星」で東京に帰る
A案は不確実要素が多すぎた。
翌日の飛行機に空席があるか保証はないし、
札幌のホテルも今から探す必要がある
(ネットでホテル予約などできない時代だ)。
消去法でB案に決定。
札幌駅のみどりの窓口に行き、
当日の北斗星の切符を購入。
と思ったら完売とのことだった。マジか。
夜7時、札幌駅で途方に暮れた。
経験値も経済力も少ない若者にとって、
なかなかシビアな状況だった。
当時はJ-POP全盛期で、歌詞にはよく
「あてもなくさまよう」だとか
「居場所がない」だとかがあったが
まさにそんな感じ。歌っちゃおうかな。
「朝までファーストフードで・・・」という
出だしで始まる当時流行したJ-POPがあるのだが、
とりあえず24時間営業マックに行けば
食料とトイレには困らないことに気づき
繁華街のマックを目指すことにした←ELT案
そのときたまたま目に映ったのが
札幌の高速バスターミナル。
あ、もしかしてこれは・・・!
C案 夜行バスで札幌から別の都市へ移動し
千歳以外の空港から翌日東京に戻る
スカイメイトは正規運賃の半額だ。
正規運賃は当然距離に比例して値段が決まる。
距離が短ければそれだけ運賃は安い。
千歳-羽田より距離が短い路線はどこだ?
函館-羽田だ。私の答えは決まった。
運よく函館行きの夜行バスには空席があった。
これで今夜の寝場所の確保もできた。
あとは飛行機の空席があることを願うのみ。
翌朝、朝市や五稜郭などを観光する余裕もなく
慌ただしく函館空港に向かった。
一刻も早く空港でスタンバイしたかったのだ。
函館空港で路線バスを降り、ターミナルに入ると
ANAのカウンターが目に入った。
羽田行きの時刻を見ると20分後。しかも空席表示。
「次の羽田行きに間に合いますか?」と
私はスカイメイト会員証を見せながら尋ねると、
ANA姐は鬼のような速さで搭乗券を発券し
「私についてきてください!」と、パンプスなのに
猛ダッシュで私をエスコートするANA姐。元陸上部か?
羽田のような巨大空港だと無理だったと思われるが
函館は規模が小さかったので何とか滑り込みセーフ。
ANA姐の尽力により私は無事に東京へ帰還。
翌日のテストも結果的にパスでき
その半年後には無事卒業できる運びになった。
めでたしめでたし。
なのだが。
今現在の自分なら、もう少し案を出せる。
D案 千歳から一旦羽田ではない空港に行き
そこから飛行機等で東京に戻る
例えば飛行機で仙台まで行き、仙台から東京まで
高速バスや新幹線で東京に戻るといった具合。
例えば飛行機で大阪まで行き、そこでさらに
別の飛行機に乗り換えて羽田に戻るといった具合。
E案 苫小牧や室蘭からフェリーに乗り、
そこから東京に戻る。
例えば苫小牧や室蘭から大洗までフェリーで移動
(当時は室蘭-大洗ルートがあった)。
大洗から東京までバスや鉄道で戻るといった具合。
知識も経験も増えた今だからこそ思いつく代替案だが
当時の私はC案まででいっぱいいっぱい。
ただもし当時iPhoneが手元にあって
情報を直ちに収集できるような状態だったら
代替案は増え、よりよい選択ができたのかもしれない。
2024年正月、日本の国内線は事故や地震の影響により
ぐちゃぐちゃに乱れまくって遅延や目的地変更、
そして欠航も相次いだ。
もし搭乗予定の便が欠航等になった際には
航空会社がなんらかの案を出してくれるはずだ。
例1.後続便や他社便に振り替える。
例2.返金+補償金を出すので、あとは各自でどうにかしろ。
例3.金なら返す。以上。←LCCはせいぜいこんな対応。
もちろんそれに従うのもいいが、
なんでもかんでも航空会社まかせにするのではなく
旅客が自分自身で情報を集めた上で
代替案をいくつか提示し、それが実現可能か
航空会社と交渉するのもありだと思う。
↑例えば私は搭乗予定の便が8時間遅延決定となり
それだと仕事に間に合わず社会的に抹殺されかねないので
マレーシア航空と交渉して別便別ルートで
搭乗券を出してもらい仕事に間に合ったことがある。
↑例えば私は空港に行ったその場で乗る予定の飛行機が
欠航になったことを知り、しかも交渉する航空会社の
係員が誰一人として存在しない状況だったので
見切り発車で他社便の同区間の航空券を購入し
後日交渉してその代金を返してもらったことがある。
2024年の正月、東京に戻る予定の多くの人が
相次ぐ飛行機の欠航により帰京が困難になっている。
今はスマホでいくらでも情報収集ができる。
航空会社からの提案だけでなく、自分で代案を考え
交渉する積極姿勢でいってみてはどうだろうか。
ま、分捕り合戦はみっともない、という話です。
ときどき何から何まで全額補償させてやると
鼻息荒く交渉、というか脅しをかけている人がいるが
個人的にはドン引き。そこに愛はあるんか。
今回は事故による滑走路の閉鎖という事情があるのだから
そのあたりを汲みつつ落としどころを見つけて
問題を協力的に解決していくのが大人ってもんでしょう。
2024年私が最も気になる若者は、ロンドンにいるらしい
日本人の自称大学生25歳なのだが、
日本で裁判をするためビジネスクラスでの帰国が妥当、
それを貴殿が払え!と声高らかに請求しているらしい。
今年も堀口くんの言動から目が離せない(怖いもの見たさ)。
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