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紅茶を飲みながら

帰宅をして、寝る準備を整えてから紅茶を淹れて、ベッドサイドに置きながらダラダラするのが好きだ。
コーヒーでは駄目で、この時間は紅茶が最適解だと思っている。

こうしてダラダラと過ごしながら一日の振り返りや、明日やること、調べたかったことなどをやはりダラダラとこなしていく。

昨日だっただろうか。本当は4月に入ってから会議をしたかったけれど、私も含めほぼ全員が体調を崩していたため、だいぶ久しぶりにネジ締めた。
私達は給与をもらって過ごしている。結果さえ出せばあとはなにを好きにやっても良い、と思うタイプだけれど、それは結果=目標を達成できてするべきことだ。もちろん日々の業務はあるので、その中で多少の驕りを持つことは大切だ。けれど目標を達成できていない段階においては常に「どうやってお金を産むか」を考えなければならない。これは給与をもらっている以上、考える義務があると思っている。
だから私は「じゃあどうするの?」「案件はあるの?」「ないならどうするの?」「それで金作れるの?」と不動産屋らしいことをぶつけるのである。

ではどうやってお金を産むか?そんなことがわかっていたら私はこんなに苦労をしていないし、そもそもノウハウを教え込んでいる。私が教えてほしいくらいだ。

ところで今日ラジオを聴いていたら鈴木おさむが「作家をやめて少し経ったころ、映画を観に行ったら気がついた。映画って面白いんだ、って」という話をしていた。彼はいままで放送作家という職業柄常にアンテナを張っており、それは病的というほどだったんだと思う。あれこれ考えずに普通に過ごす生活に慣れて来て、やっといままで自分が普通の状態で生活を送っていなかったことに気がついた、と言っていた。

なんとなくこの感覚がわかる、と思った。不動産屋である以上、どこかに金脈があるはずだ、と日々街歩きをしていても、車を運転していても何かを探しているように思う。
毎日通っている道など通り過ぎた際に違和感、を感じると引き返したりする。その違和感の正体は隅っこにキラリと光る比較的最近入れられた境界だったり、いつもすりガラス越しに見えていたタンスみたいなものがなくなっている様子だったり…、ともかくそんなものがよく目に付くのだ。
それを見つけたらどうして境界が入ったのだろう?どうしてタンスがなくなったのだろう?を知りたくなる。
売買する準備で境界を入れたのかもしれないし、すでに売買されたあとかもしれない。どちらにしてもお金の匂いがそこからしてくる。
タンスは捨てたのかもしれない。ではなぜ捨てたのだろう。住んでいた方がなくなって荷物の整理をしたのだろうか。引っ越しをしたのだろうか。どちらにしてもやはりお金の匂いがしてくる。
そうして謄本を取ってみる。思ったとおりだ。
「令和6年3月27日 所有権移転 所有者 株式会社◯ープンハウス」

クソが。

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