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空の色と地面の色が変わった15-2022/10/07

 10月に入り一気に秋になった。空が高い。秋晴れの日もあった。還暦を過ぎてからの2年、空を眺めると何度も考えてきたことがある。28年前父が亡くなり「両親とサヨナラしたんだ、、、」と思ったそのとき、

 空の色と地面の色が変わった。
 だが、何色になったのか、、、???

 父の死の10年前に母が他界していた。両親とのサヨナラという、人生のけっこうなフェイズだったから、そう感じたのだろう。でもそう感じただけで、空と地面が何色になったのか?思い出せないだけか、そもそもイメージされなかったのか。そのまま時は過ぎた。「もう帰るとこはない、、ひとりで生きるんだよ」と自分に言いきかせ、よく言えばクヨクヨせずに働き生き延びた。ある意味健全だったと思う。実姉が父の七回忌を待たずして亡くなり、これはちょっとしんどかったが、それでもとりあえず壊れずに還暦過ぎまでやり過ごしてきた。あの時変わったと思った空の色と地面の色、いったい何色だったのだろう?
 
 還暦も過ぎた今思うに、両親と別れたからといっても冷たい雨やどんより曇りの色ではなかった。でも空高く雲一つない秋晴れ色でもない。
 変わったと思った地面の色は、、、?凍てつく寒々しい地面ではない。でも命漲る草色でもない。
  
 私は、18歳から父の要介護生活を15年みつめた。病の後遺症で父はほぼ寝たきり、脳の病だったから、うまく話せなかったり感情をうまくコントロールできなかったり。母が先立ってしまったので、私が特別養護老人ホームの手続きをした。24歳の時だ。施設では入所者家族として保護者のような振る舞いもした。
 だがそれでも、息をする父の存在は私を守ってくれていた。そのことを、父が死んでから実感した。要介護の父でも、だ。だから、「もう守ってもらえない」。空の色と地面の色が変わった時とは、そう思ったときだったように思う。
 
 変わった空の色と地面の色。悲しかったから、絶望の色味もその時はあったかもしれない。家族みんなの旅立ちは切なく、生き抜くために気持ちに蓋をすることも多々あった。でもなんとかやってきたのだから、絶望色なんかではなかったはずだ。
 
 先月(2022年9月)、イギリスのエリザベス女王の様態変化が発信された直後に空に虹がかかったという写真が公開されていた。この写真をみて、変わったと思った空の色は、雲もあって空色は淡いけど虹の橋が架かっている、こんなだったのかも、と思えた(笑)。父も母も姉もあの世で暮らすけれど、ちゃんとつながっているよという虹の橋のかかる空。地面は、というと(ロンドンの写真には写っていないけどw)、雨降って地固まった土台のような色。きっと、、そんな色だ。
 
 胸張れるような業績は何もないが、今まで生きてこられたのは、虹の橋の向こうで父がやっぱり守ってくれたんだね、と思う。パッチ・アダムス氏の教えを伝えてくれるクラウンまりちゃん(金本麻理子さん)に出会えてからは、昔母から日々言われた「ユーモアもって生きるんだよ」がありありと蘇ってきた。母が固めてくれた地面があったから、赤ハナのクラウンになれたのかもしれない。空の色も地面の色も変わったと思い涙を流した日もあったが、それは失ったばかりではなかったのだ。2年も考えてきた何色問題、ロンドンの写真1枚がけろっと解決してくれた、、、ように思えてふふふ~と笑ってしまった。さあ、きょうも赤ハナクラウンな気分💗
(表紙の写真は、AP通信の写真(=ロンドンで8日、エリザベス女王の様態に関する発表後にバッキンガム宮殿の上空に現れた虹))をお借りして色を加工しました)

追伸
上記を書いたひと月後(2022/11/7)、こんな絵を描いてFacebookに投稿した。
 両親とサヨナラしたとき、空の色と地面の色が変わった、、で、
 何色に?
 何色問題が解決したので描いてみたら、どこの子どもが描いたの?的
 な絵にー(苦笑)

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