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ゴッホの絵がinspireするパッチの言葉12-2022/07/27

 クラウンの師匠まりちゃんとのつながりから出会えたパッチ・アダムス氏(以下、パッチ)の来日から早1か月。この数日、パッチとの時間があったからこそと思える「感動?オモシロ!倍増体験」が続いた。そのひとつめは、国立西洋美術館のリニューアル後の企画展「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」にようやく行けたときのこ

と。上の写真は、国立西洋美術館のサイト。まさにこの絵=ゴッホの《刈り入れ(刈入れする人のいるサン=ポール病院裏の畑)》は、この展覧会で観たい絵の筆頭だった。黄金色に輝く麦、ゴッホのあのたっぷり絵の具の筆跡を原画で楽しみたいと思って行った。

 展覧会のこの絵の脇には、この絵に関する弟テオへの文も掲げられていた。その内容にびっくり!!ゴッホは、この絵に死のイメージを見たというのだ。 
 「僕は、この鎌で刈る人のなかに、(中略)死のイメージを見ました。
  人間は刈り取られる麦のようだ、、、(中略)。
  しかしこの死のなかに何ら悲哀はなく、それは純金の光を溢れさせる
  太陽とともに明るい光のなかで行われている。」

 たわわに実る麦、輝くような黄金色の麦畑、、、そこに「死のイメージ」を見ているという手紙文に驚愕した。だがここで、ばばばーーーッとパッチの言葉が蘇ってきた。たしか、死ぬことが怖いという人がいたらどうする?という質問に対してだった(、、、とメモにあった笑)。3月のオンライン画面でパッチに会えた時だ。パッチのメッセージは、

  死ぬことはわからないこと。
  生きて生きて生きて死ぬんです。
  経験していないことをなぜ恐れるのか。
  みな死ななくちゃいけない。

 黄金色になった麦は、「生きて生きて生きて」実った。そこで刈り取られるときその命は終わる。みな死ななくちゃいけないので、いつか終わる、いつか刈り取られるのだ。でも黄金色の麦のように、刈り取られるその瞬間まで「生きて生きて生きて」いく。そうすればいいんだ。経験していないことなんかシンパイしなくていい。刈り取られるそのときまで実るように、生きていけばいいんだ。あーそうありたい。いや、そう「ある」と自分が決めればいいことだよと、パッチに言われるね。

 ゴッホという画家は自死したとされ、その事実は重く感じられる。私は、ゴッホが晩年に描いた《糸杉》という絵が大好き。糸杉という樹は、西洋ではお墓にあるらしく、それ故ゴッホが描いた糸杉のシリーズは死をイメージするのでは、という解説をみたことがある。でも私の好きな《糸杉》という絵は、私には理屈なく生きる力を感じさせてくれる絵である。だから私は好きで、自分のグリーフを救ってくれた絵でもある。

 私の大好きな漫画PEANUTSの作者チャールズ・M・シュルツ氏もゴッホが好きだったようで、漫画のなかのスヌーピーもゴッホを愛している。彼が毎日屋根の上に寝ているあの犬小屋には、以前ゴッホの絵が飾られていたという。漫画の中で犬小屋は火事に遭い、スヌーピーが「あーボクのヴァン・ゴッホ!!」とわんわん泣くシーンがあった。

 PEANUTSを読んだ当時小学生の私には、ゴッホの価値などわかっていなかった。だが、漫画から知ったゴッホは、後に私の心を救ってくれた。そして今、パッチのメッセージともつながった。なんて心豊かになる出会いに恵まれてきたのだろう。そう思えただけで、私は自分の境遇を受け入れるどころか、幸せな人生を送っているんだと思えてきた。黄金色に実り刈り取られるその時まで、「生きて生きて生きて」いきたい、そう思えている。

 パッチとの時間があったからこそと思える「感動?オモシロ!倍増体験」その2は、また今度。
(表紙の写真は、黄金色に実った麦のような女性とふれあうパッチ@あおいけあ)

 


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