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青戸 健 「男の勲章」は最後のシングルかも知れない

これからの人生、できるだけ純粋に、少しわがままなくらいに、自分が歌の好きな気持ちを出して歌っていきたい

「自分を褒めてあげましょう」

――最新シングルの「男の勲章」はいわゆる等身大の歌。どのように制作されたんでしょう?
青戸 作詞してくださった原 文彦先生が地元の愛媛から上京された時に、2時間ほどでしたかね、自分のこれまでや現状、その時思っていたことなんかを聞いていただいて、そこから作っていただきました。
――それがちょうど新型コロナ感染症が流行り始めた頃?
青戸 そうです。それで仕事が次々に中止やキャンセルになって、一体どうなってしまうんだろう?って不安に襲われていた時期でしたね。
――そんな中である方に元気を取り戻せる方法を教わったとか?
青戸 時々受けていたマッサージの先生に、厳しい状況をこぼすつもりでもなく話していたんですよ。私の場合、いろいろな不満やストレスを抱えては自虐的になりがちなところがあって、きっとその時もそうだったんでしょう。そうしたら「自分を褒めてあげましょう」って言われたんです。朝晩鏡に向かって「今日もいい男だね」とか「今日も一日よく頑張ったな」とか声を掛けてあげてくださいって。その人自身が若い時からいろいろ苦労したのをそうして乗り越えて来たんですって。でも、自分みたいないい歳をしたおっさんが、そんなこと恥ずかしくてできないと思ったんですけど、その時は何故か素直に聞けてね。それで始めたんですけど、半年くらいは抵抗がありました。もともと作り笑顔が苦手で、以前テレビ番組にレギュラー出演していたことがあったんですけど、時々出演者の集合写真を撮る時に自分だけカメラマンに「青戸さん、笑って!」って言われたんです。でも上手く笑えなくて、ある時「可笑しくもないのに笑えねぇよ」って小声で言ったら、近くにいた宮路オサムさんに聞こえてしまって「笑うのも仕事なんだよ!」なんて怒られたこともあったくらいで(笑)。でも続けているうちに次第に鏡に向かって自然に笑えるようになって、気持ちも明るくなってきたんです。鏡に向かう習慣ができたら、それまではそんな風に考えたこともなかったんだけど、自分の顔に出来たしわっていうのは頑張って生きてきた証、つまり勲章みたいなものかも知れないって思うようになって、それで原先生に初めは別のタイトルだったのを「男の勲章」にさせてくださいってお願いしたんです。
――青戸さんは少年時代から歌手に憧れながら、夢を叶えたのが46歳の時。デビューしてからも活動は順風満帆というわけではありませんでしたから悔しい想いも沢山されたでしょう。そういう人が自分を褒められるようになったのは素晴らしいことですね。
青戸 ホントに、悔しい想いは沢山しました。騙されたり、妬まれたり、馬鹿にされたりね。「なんで俺の人生は、って言うか、なんで俺の人生だけ、こんなに上手くいかないんだ?」なんて考えるような時もあって…。でも振り返ってみるとずいぶん沢山の人に助けてもらったり支えてもらったりしていて、悪いこともあったけど良いこともあって、それで今の自分がいるんだなんてことも先生に話して、そういうことも詞にしていただきました。
――それでもコロナのせいで発売が予定より3年も延びてしまった。
青戸 全く先の見通しが立たなくて、発売しても何も活動できないという状態が続いていましたし、一昨年(2021年)にはがんの手術もあって。
――以前、大腸がんの手術をされていますよね?
青戸 7年前ですね。他に前立腺がんもあって、こちらは手術を先延ばしにしていたんですけど、定期的な検査を受けていたところ、病院の先生から「そろそろ限界ですよ」って言われて入院しました。実際に開腹してみたら想ったより状態が悪くて、3時間の予定だった手術が6時間かかりました。術後は痛みが酷くて辛かったんですけど、コロナのせいで誰も付き添えないから一人きりで「あぁ、このまま終わっちゃうのかな…」なんて考えたりして。そんなこともあってようやく発売できた歌だから、自分の中では本当にこれが俺の最後のシングルかも知れないというくらいの気持ちがあるんです。だから、最後くらいは自分で自分を褒める歌でもいいんじゃないかなって思ってね。
――そうして出来上がった歌だから過去の曲とは一味違うし、とても評判が良いとも聞いています。
青戸 以前から自分のことを知ってくれているファンの方はもちろん、マスコミの皆さんとか業界の関係者の方が「今までで一番いい」なんて言ってくれています。以前は聴いてくれる人に、なんとか気に入ってもらおう、買ってほしいなんて心があって、どこかで「いかがです、いい歌でしょう?」なんて気持ちも入れながら歌っていた気がするんです。でも今回はそういう感覚が全くなくて、お客さんに聴いてもらうというより自分と会話するような気持ちで歌っているんです。

最後に自分を励ませるのは自分なんだ

――歌詞には故郷の地名も織り込まれていて、青戸さんの私的な歌とも言えますが、人生を長く歩んできた人であれば、男性のみならず女性にも共感される内容で、特に1番から3番に共通の最終行が印象的です。
青戸 そう、誰にでも当てはまる詞ですよね。しかも造りごとじゃない。
――大泉逸郎さんの「孫」やすぎもとまさとさんの「吾亦紅(われもこう)」がそうだったように、フィクションではない歌には、だからこその説得力や人を引き付ける力がありますよね。
青戸 そうですね、そういう意味では、理想だけれど難しいと言われる“自然体”で歌えているのかも知れないって思いますね。
――作曲はご自身でされていますが、“自然体”の歌ならば苦労することなく書けたんでしょうか?
青戸 いや、これが、今までなら一度出来上がったら特に直すこともなかったんですよ、才能があるもので(笑)。ところが今回は最初から書き直したりもして20~30回は直しました。それだけ愛着もあるので「今までで一番いい」なんて言っていただくことがあると本当に嬉しいんですよね。
――その嬉しさもまた歌詞の最終行の通り、コロナや手術を乗り越えたからこそ感じられるものでしょうが、コロナ禍というものが苦しみ以外に青戸さんに与えたものがあるとすれば、それは何だったでしょう?
青戸 やっぱり自分で自分を励ませるようになったことですね。それまではいつも不満やストレスを抱えていて、物事をネガティブに捉えがちだったんですけど、前向きな考え方ができるようになりました。これはもうマッサージの先生のお蔭なんですけど。
――例えばこれが10年前だったら、その方のアドバイスを実践に移せていたと思いますか?
青戸 いや、やっぱり恥ずかしいというか照れ臭さが先に立ってできなかったでしょうね。
――なぜ今回はできました?
青戸 うーん、病気を経験して、人の助けやアドバイスの大切さを知れたということもあるかなぁ…? それとやっぱりコロナ。これまで売れてきた歌手人生じゃないから、いつもまさに自転車操業で、スタッフだって自分とマネージャーしかいなくて、マネージャーは歌えないから、自分が自転車を漕げなくなったら、それで終わり、アウトなんですよ。
――アウト健…。
青戸 …その通りです(笑)。だって、歌い手が歌えなくなったら自転車どころじゃないですよ。歩くこともできない。だから、そのマッサージの先生に会った時は、追い詰められてよっぽど情けない顔をしていたんだろうなと思うんですよ。でも、それで言葉を掛けてもらえたから、最後に自分を励ませるのは自分なんだって気付けたんですよね。だけど、もっと早くわかっているべきだったと思います。それまでは自分はただ一生懸命歌えばいいと考えていて、実はそんな自分を沢山の人が支えたり守ったりしてくれていることをあまり意識していなかったから。応援してくれる人がいっぱいいるのに何も返せなくて、ただただ甘えているだけでしたね。誰かに何かしてもらう前に自分でできること、やるべきはやらなければいけないって今はわかっているつもりですけどね。
――でも今の時代に、特に演歌系の歌手がファンの期待に応えるだけの成果を上げるのは簡単ではありませんでしょう。
青戸 そうなんですけど、やっぱり期待してもらっている以上は、いつまでも同じでは申し訳ないっていう気持ちはあって。でも、いつの間にかその気持ちだって思っているだけ、形だけってことになりがちで。振り返るとやってもやってもCDが売れないキャンペーンで、並んで買ってくれたのはいつも同じファンの人だったなぁなんて思い出すんですよ。同時にそういう時に「おい、誰か1枚買っておけ。後でダビングしてみんなに回せばいいから」なんて大きな声で言ってるカラオケサークルの人もいてガッカリした記憶なんかもよみがえってきますけどね(笑)。
――確かに一時はカラオケ愛好家の間でダビングの横行が問題になったことがありました。しかし今や演歌・歌謡曲の市場自体が縮小してしまってヒット曲が生まれることすら難しくなっています。
青戸 特に東日本大震災以降は目立って売れ行きが下がりましたね。でも、実際のところ、現実というのはいつも厳しくて誰にとっても甘いものじゃないと思うんですよ。楽勝のように成果を上げている人だってきっと努力や苦心をしていて、それが実を結んでいるんだと。もうね、落ちるところまで落ちたなと思えるくらいの現実を経験したので、今はもうこれ以上は落ちようがないや(笑)って気持ちもあって、これから先まだ歌えるのであれば、売ることではなくて、自分の気持ちやメッセージを届けることを第一に考えて活動していきたいですね。

皆さんも、あなたの勲章を増やしていきましょう!

――青戸さんは作曲もされるので若い世代の作詞家と組むなんていうことで、また新しい歌を生み出せる可能性もありますよね。
青戸 やってみたいですね。私、一番好きで影響を受けたのは五木ひろしさんなんですけど、ロス・プリモスや東京ロマンチカなんかのムード歌謡も大好きなんです。
――ステージではエレキを弾きながら加山雄三さんの曲を披露されることもありましたよね。
青戸 湯原昌幸さん、和田青児さんと3人でエレキの競演をしたこともありました。若い頃、湯原さんが在籍していたスウィング・ウエストの公演を観に行ったこともあったので、その時のスターと自分が同じにステージに立っていると思ったら舞い上がってしまって湯原さんに話しかけられても上手く返せなかったのを覚えてます。
――思い出というものは何歳になってもみずみずしいものなんですね。より自分らしい自分を表現できるようになった青戸さんには、ますます元気で、歌の好きな皆さんに新しい思い出を届けていってほしいと思います。
青戸 ありがとうございます。あんまり長くは残っていないと思いますけど、これからの人生、できるだけ純粋に、少しわがままなくらいに、自分が歌の好きな気持ちを出して歌っていきたいと思います。
――勲章が増えることを祈っています。
青戸 私だけでなく皆さんも、あなたの勲章を増やしていきましょう!


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