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「定型発達」第16回ー「相手の立場に立って考える」ことを空間認識力の問題だと考える理由

#発達障害#アスペルガー #ASD )当事者から見た普通の人達( #定型発達 )の不思議な特徴とその理由について書いていきます。連載。

ある精神科医師の主張

ある精神科医(有名な方だそうです)が「ある図形を正面から見た場合と右側、反対側、左側からの見え方を想像する『心で回転』という課題は、相手の立場に立つ練習であり、相手の気持ちを考える力に繋がる可能性がある」と主張しているというツイートを読みました。

立体図形の見え方を理解するのは、空間認識力とそこから導かれる論理的推測です。一方、相手の気持ちを考える力というのは、情緒的な「共感」能力(第15回をご参照下さい)です。
この二つにつながりがあると考えているこの医師は、定型発達の方であろうと考えました。彼らは論理的推測と情緒的共感を区別なく扱う傾向が強いからです。

ASDの「コミュニケーション不全」は論理力の欠如ではない

この「相手の立場に立って考える」ことはASDにとって一般的に苦手なこととされています。そのため、上記医師の提唱をASDの子供に当てはめ、空間認知力と論理的推測力のトレーニングを行うことでASDのコミュニケーション力を高めようとする動きがあるようです。

しかしASDの特徴は、共感をするために必要な相手の情報の得にくさ(必要な情報を拾うオートフィルタの欠如)であって、論理的推測はむしろそれを補うためのものであると私は考えています。

私自身、「共感」はできないが、それを不完全ながら論理的推測による理解で補おうと長年努めてきました。ですから、そのような必要のない定型発達の人よりも論理的な考え方に馴染みがあります。
また自分に限らず、ASD及びASD傾向で論理的能力の高い人には、老若問わずおおぜい出会ってきました。

なぜ定型発達は共感能力を空間認識力の問題と考えるか

では、彼らはなぜ、立体図形の見え方を理解することが相手の気持ちを考える力に繋がると考えたのでしょう。
殆どの定型発達者は、自らの持つ情報のオートフィルタの存在に気づいていません。なので、ASDにはそれがないために「相手の気持ちを考える」ことが難しい、というのも理解しがたいことと思われます。

推測ですが、彼らは「相手の立場に立てない」という言葉を物理的な「相手側(裏側)から物を見ることができない」と同一の物だと把握しているのかもしれません。

定型発達は「同じ側に立つ」ことと「共感」することをしばしば同一視するように見えます。今回の話も、その奇妙な延長線上にあるのかもしれません。

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