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子育て期間(私と息子の発達障害2-2)

 (2-1の続き)
 その頃、私は自分自身が #ADHD ではないかと疑って(片付けられない、考えがあちらこちらに飛ぶ)メンタルクリニックを受診しました。
 検査したところむしろ自閉症スペクトラムだとの診断でしたが、息子のことを話したところ、連れてくるように言われ、#リタリン (下記注)の処方を受けるようになりました。
 これが効いて、高校では授業を受け続けることができたのだと思います。学校では各種の資格取得を推奨していて「危険物取扱責任者」の資格なども取れました。

 進路については「できることなら進学して、自分の好きなこと・得意なことを伸ばしてほしい」と思っていました。パソコンは小さい頃から使っていたので、IT関連なら #書字障害 があっても何とかなるのではと考え、4年制大学の工学・情報系学部への進学を勧めました。
 息子はよく頑張って推薦入学の条件を満たし、面接を受けて大学に進学することができました。

 しかし、ちょうどこの頃、リタリンの濫用(下記注)が社会問題になり、ADHDには処方されなくなってしまいました。
 代わりに同じ成分の #コンサータ (下記注)が認可されましたが、この時点では18才未満限定で、息子はもらえる薬がなくなってしまいました。#ストラテラ はまだ認可されていませんでした。

 あいにく大学は自宅通学できず、私は十分なフォローが行えませんでした。「大学生になったんだから、手を離さなければ」という考えもありました。
 大学はよく相談に乗ってくれ、その紹介で #LD の詳しい検査を受けて一定の配慮もしてもらえましたが、残念ながら息子は休みがちになり、単位不足で中退となりました。

 大学を中退したからといって、そのまま就職するのは難しいように思われました。
 まずは大学から紹介してもらった県の #障害者職業センター に相談に行き、そこで #視覚過敏 などがあることがわかりました。また、#発達障害者 向けの職業訓練の専門施設が所沢と岡山にあることを知り、所沢の施設への入所を目指しました。
#ハローワーク の推薦、夏の説明会、秋の試験を経て入所することができましたが、そこでは発達障害者の入寮を受け入れておらず、息子はまたアパート生活になりました。

 訓練期間終了まであと少し、というところで、息子から「もう無理」という電話がかかってきました。
 何がどう無理なのかは分かりませんでしたが、このままにしておいてはいけないということはわかりました。アパートを引き払って、連れて戻りました。
 その後、数カ所の #福祉就労施設 を見学し、そのうちの1つにしばらく通所しましたが、うまくいかず退所。 #ジョブカフェ (若者向け就業支援サービス)などに行きつつ自宅で過ごしていましたが、たまたま「 #森と木ラボ 」を見学して通所を始め、今に至っています。

 自宅に戻ってからはメンタルクリニックへの通院も再開し、 #ストラテラ などの処方を受けています。
 今にして思えば、私が #自閉症スペクトラム だったことは彼にとって大変な負担だったでしょう。これについては次の章に書きたいと思います。

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注…リタリン(メチルフェニデート)はADHDでない人には一種の覚醒効果をもたらすため、いい加減な処方や多重通院などで大量入手・摂取する人がいる事が報道されて問題視されました。現在ではナルコレプシーに対してのみ処方されています。
コンサータは成分は同じですが、徐放剤(少しずつしか効かないようになっている薬)です。当時はADHDが子供の病気だと考えられていたため、最初は18才以下の使用しか認可されませんでした。現在では大人への処方も認可されています。


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