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可哀そうってあんまり言わないで 人生は四苦八苦

甲子園がなくなって可哀そう
吹奏楽コンクールがなくなって可哀そう
高校総体がなくなって可哀そう
「可哀そう」あんまり言われるとどんどん落ち込んでいく。
 
長い人生、理不尽なことはあふれてる。自分ではどうにもならないことはこれからもたっくさん起きる。それを諦める訓練は、早いうちにしておいた方がいい。これまで普通にあったマジョリティ側に入れない、マイノリティな人の辛さに気づくチャンス。
 
津波にあって部活どころじゃなくなった子がいたこと、突然の事故で手足を失った人、オリンピックを目指している池江選手の苦悩、そこに思いを馳せてみる、その機会を奪わないで。
 
佐賀県が、コロナでなくなった高校総体の代替として大会をするというニュースを見た。「ものすごくいいことをしている」風に発表している佐賀県知事のはしゃぎっぷりにちょっぴり違和感。

いい、いいんだよ、すごくいい。子どものためにやってあげることは確かにいい。ただ、それがものすごく特別なことだと、きちんと子どもたちに理解させることとセットじゃないと、意味がないんじゃないかなと思ったり。

コロナのせいは確かに可哀そうだけど、それでも同じ立場の人が大量にいる。同じ悲しみを分かち合える同級生がたくさんいる。家がなくなったわけでもご飯が食べられないわけでもない。一人っきりで悲しみに立ち向かうことに比べたら大したことない。
 
残念だけど仕方ない。だからどうやって次に進むか、に気持ちを向ける訓練は、今後の人生を乗り越えるのに役立つはず。そして常にマジョリティに属しておく必要はないことも、大人になる前にたくさん訓練しておいた方がいい。
 
 
私は高校2年で転校した。私が抜けた後の夏のコンクールで、母校が九州大会で初の金賞を取った時は呆然とした。しかも転校ギリギリまで私も練習していた曲だったし。羨ましかったし転校を悔やんでもいた。
でも、泣きはらしたことも今となってはいい思い出。あの時は天地がひっくり返るほどの悲しみだったけど。
 
そんなことを繰り返しながら人は強くなるんだと思う。可哀そうだと手を差し伸べてあげることが優しさではないと思う。若いうちの傷の方が早く癒える(年取るとなかなか治らないのよ)。
今、人生で一番怖かったことが何かと聞かれたら「8歳の時、転校1日目に教壇に立たされた時」と答える。あの時の恐怖、誰も助けてもらえない独りぼっちの気持ち、あれを超えるものはない。逆に乗り越えたから今の私がある。
 
親が手取り足取り世話を焼いた人ほど、大人になって苦労しているのをたくさん見てきた。

人生は四苦八苦。逃れられないなら早めに経験しておいた方が後が楽チン。
そして、世の中には常にそんな思いをしているマイノリティがいるかも知れないと、気づくココロも育んでほしい。そんな気持ちを皆んなが持てば優しい社会になると思う。


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