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『タウシュベツ日誌 第0号』2020年2月+あとがき ⑦/7 完

冒頭『タウシュベツ日誌 第0号』巻頭

前項『タウシュベツ日誌 第0号』2020年1月+Column


2020年2月 P42‐49

2020年2月6日 アーチ橋が落とす影

〈2020年2月6日〉かつてきれいな円を描いていたアーチが落とす影。年を追うごとに綻びが目立ってきた。 P42


2020年2月3日 そそり立つ流木

〈2020年2月3日〉4年前の「平成28年台風第10号」は湖底の景色を変えた。ぬかびら源泉郷では統計を取り始めて以来最大となる72時間雨量350ミリ以上を記録。周囲の山から流れ込んだ土砂や流木で、糠平湖の水はその後1年近く濁りが取れなかった。氷上に立つ不思議な木もその名残りだ。 P43


2020年2月19日(2点) 雪上を漂う霧に包まれる

〈2020年2月19日〉前日の昼間の暖かさから一転し、氷点下2ケタまで冷え込んだ朝に、寒暖差で生まれた霧が漂う中を橋まで歩く。わずかな風で霧が流れると、空にはもう春の雲があった。 P44-45
〈2020年2月19日〉冬霧に包まれるタウシュベツ川橋梁。写真を撮る際に大切だとされることの一つ、適切な時に、適切な場所にいること。単純だけれど、簡単ではない。 P46-47


2020年2月27日(2点) 冬の終わりの日が暮れて

〈2020年2月27日〉この本には2月末までの写真を収めようと決めていた。最後のページを飾れればと、細い月が橋を照らす日、夕日が沈むのを待って橋に向かう。一番星からほんの30分ほどで頭上に無数の星が散らばった。 P48
P49


あとがき

P50-51

 100メートル走だと思っていたらフルマラソン。タウシュベツ川橋梁を撮り続けた15年を振り返ってみると、ちょうどそんなイメージです。フルマラソンで終わるのかすら分からないほど長い間通うことになるとは、撮り始めた時にはまったく考えていませんでした。
 
 この間に、写真展を開き、写真集を出版し、新聞やテレビから声をかけてもらうことも増えました。自分で名乗ったことはありませんが、経歴を並べるとまるで写真家のようです。たまにそう呼ばれる機会があると面映ゆいものですが。

 大学を卒業後、就職の決まっていなかった僕は、アルバイトをしてお金を貯めては国内を旅して回り、やがて好きだった土地のひとつ北海道に住み始めます。最初の仕事は静かな温泉街にある宿での住み込み。その仕事の合間に撮り始めたのがタウシュベツ川橋梁でした。

 1年また1年と北海道での暮らしを味わううちに、長くこの土地で暮らしたいと思うようになった頃、ふと頭に浮かんだのが星野道夫のことでした。アラスカに暮らし、写真を撮りながら心に残るエッセイを多く残した写真家です。

 20年以上も昔のアラスカで彼のように写真を撮って暮らせるのであれば、ある程度写真が撮れるようになれば、僕も現在(2007年頃)の北海道で暮らしていけるのではないか。アラスカよりは北海道の方がハードルは低いはずだ。

 ハードルが低かったのかは分かりませんが、北海道暮らしも15年になろうとしています。星野道夫をロールモデルに、タウシュベツ川橋梁を撮る。ただそれだけですが、そのことが僕を15年間北海道に住まわせてくれたように思えます。

 そうした意味で、タウシュベツ川橋梁の最後の日々を記録する『タウシュベツ日誌』は、僕が作らなければいけなかったのかもしれません。その機会を与えてくれた読者の皆さんに感謝します。

『タウシュベツ日誌 第0号』P51より


書誌情報

《タウシュベツ日誌 第0号》
発行:2020年4月4日
収録期間:2019年9月-2020年2月
本文52ページ、オールカラー、A4変形
著者:岩崎 量示

タウシュベツ日誌 第0号

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