見出し画像

「自分」にとって、その選択はどんな意味を持つのか?

私の人生は「癌」という病気を通じて大きく変化しました。
それは、「自分」で「選択」する、ことをしていなかった事に気が付き、するようになった、というだけの事ですが、それによって全く違う日々になりました。

私をリアルに知っている人から見れば、「え??自分で選択しまくってたやん!!」って思うかもしれません。
自分でもそう思っていましたが。。。。

振り返れば、社会の目、自分の期待される役割、周りからの評価
そんなものに振り回されて、自分で選択しているようで、実は外側の指標を採用している事の方が多かったように思います。

子供を家族に預けて、1か月の半分出張に行きまくっていた私ですらそうなのですから、多くの人が「自分」で「選択」できていないんじゃなかろうか、と思っています。

と、だらだらと書き進めましたが
コロナ禍における今こそ、本当に自分で選択することを始めないと正解のない常識に振り回されて、人生めちゃくちゃになってしまう人もたくさん出てくるのではないかと思っています。

さぁ今こそ、自分で選択しようぜ!

自分で選択しているかどうかを見極めるためには
私はいつも、いくつかの問いを自分に向けています。
例えば、Aにチャレンジしたいけれど、失敗したら怖いから迷う時。
・なぜAにチャレンジしたいの?
・Aにチャレンジすることは自分にとってどんな意味(価値)があるの?
・誰からも評価されなくてもAにチャレンジしたいの?
・失敗したら具体的にどんな怖いことが起こるの?
・成功しても失敗しても周りから批判を受けるとしたらどうしたい?
などなど。

そうやってじっくり、自分と向き合っていく間に
段々外側の評価や目線を気にせず、自分の中でどんな意味があるのか、を考えることができるようになります。

・案外そのAはやりたいわけではなかったかも。周りがやってるから気になってただけだった。
・Aをやることで自分にとっては大きな意味を持つことがわかった。怖いけどチャレンジしよう

などなど。

選択には正解はありません。
小学校の様に、誰も答えは教えてくれません。
もし、誰かが答えを教えてくれたとしたら、それは、その誰かにとっての正解です。

自分にとっての正解はなんなのか?
それを見つめることはとっても怖い事だから、まぁいいやって誰かの意見を採用してしまうことが多いけれど。

でもそれで、
明日命が終わったら、自分に申し訳なくないですか?
上司の言いなりだった自分。
親の言いなりだった自分。
メディアの言いなりだった自分。

本当は経験したかった事に病気になってから気付いても後悔しか残りません。
怖いけれど、らくちんではないけれど
もう怠けるのはやめて、自分で選択することにチャレンジしていきませんか?

私は今週、24時間そのことで頭がいっぱいになるほど迷い続けた選択をしました。
正解はないので、それが今後どうなるかはわかりません。でも自分にとっては重要で重大で、今やるべきことだったんです。
次回はその話をしたいと思います。ドキドキ。。。


サポートありがとうございます。 励みになります!