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『神のふたつの貌』



蛙の四肢を石で潰す。

ひくひくともがく姿を見下ろす12歳の少年。

彼は痛みを感じることのできない障害、無痛症であった。そこで、蛙は痛みを感じるのであろうかと疑問を持つ。

痛みを感じないのであれば、自分は人間ではなく、動物や昆虫と変わらないのではないかと。

蛙を潰し壊し続ける。
無痛症は肉体的な痛覚が欠落しているだけではなく、精神的な痛みも欠落しているのか。

少年の父や祖父もプロテスタントの牧師である。
キリスト教カトリックとプロテスタントの教義を交えながら、神とは何かについて物語は進む。

神がいるならば、何故世界に不幸は溢れているのか。

あまりにも素朴で深淵な疑問だが、聖書は恣意的に取れる節が溢れている。

生と死。
始まりと終わり。この境界線をどう解釈するか。
仏教で言うと、解脱や輪廻にあたるのか。

不幸にまみれ、苦痛に喘ぐ者を殺すとする。

法治国家であれば、犯罪として断ぜられるわけだが。

しかし、法を無視したとするなら、それは救ってやることになるのか。苦痛から解放してやったと。神の身許に送ってあげたと。

久しぶりに、じわじわと恐ろしさが込み上げる一冊でした。

キリスト教プロテスタントに帰依する門徒の方が読んだら、どういう感想を持つのだろうか。

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