二〇一六年五月 壱

scene 113

ケイトとナルヨシを学院に迎えたが、拍子抜けするくらい何事もなく四月は過ぎていき、ゴールデンウィークに突入する。ケイトとナルヨシは連休に実家には帰らないと言う。小川によれば、それぞれ友人ができているようで、連休中に一緒に遊ぶ計画を立てているそうだ。
連休初日、昼過ぎから小川が家に来ている。小川は月に一度は休日に石川家を訪れ、建物や敷地内を調査している。そして夕方には両親を交えて酒宴となる。小川は今や石川家の親戚待遇といえた。
しかし今日はいつもの調査ではなく、ケイトとナルヨシの家庭訪問のつもりで来ている。なぜならいつものデニムにスニーカーではなく、仕事の時と同じスーツスタイルだ。それに普段より化粧が入念な気がする。いつもの居間で、両親と雪江と俺は小川の話を聞いている。担任教師の家庭訪問を受ける父兄そのものの絵だ。
「入学後二、三週間ほどは、学級の雰囲気はたしかにぎこちないところがありました。言い方はアレですが、皆がケイトとナルヨシに慣れてしまって、なんの違和感もありません」
「そうねえ、学院全体の雰囲気もそうだったわ。上級生たちも最初はいろいろ噂してたようだけど、もう慣れたわけね」
「軽音部では、見学初日からなじんでましたね。もう普通に練習に励んでます。ナルヨシのは練習というよりもシステム開発に近いのかな。ケイトはパーカッションを始めました」
俺は小川に同行してきた教師のごとく報告する。
「パーカッション?」
雪江が首をかしげる。
「うん、軽音的には、ドラムス以外の打楽器一般。タンバリンも、カスタネットもパーカッション」
「ケイトに合ってるかも、かわいいよねタンバリンとか」
「ケイトもナルヨシも、気が合うのかよく話をする特定の生徒が数人確認できています」
小川は事務的に報告しているようだが、頬は紅潮していて目が笑っている。嬉しいのだろう。
「ケイトはおなごの友達で、ナルヨシはヤロコの友達だべ?」
父が大仰に腕組みをして尋ねる。
「むろんです旦那様。ケイトの友達はクラスでも明るい子で女子のリーダー格、はっきり言ってハデめです。ナルヨシの友達は、ざっくり言うと卒業した柏倉賢也くんのような子です」
母は小川の話だけで友達の個人名を特定した。小川が驚愕する。
「さすが奥様、すべての生徒を完璧に記憶していらっしゃる」
「それだけが取り柄だもの。子供たちのことは全部知ってる。お父さんなんか、支援者なら家族構成と一代前の命日まで憶えてるわよ」
父は愉快そうに笑った。
「連休は友達と遊びに行くって言ってた、ケイト」
「どこへ行くつもりかしらね、後で聞いとかないと。身バレが嫌で田舎に来たのに、仙台とか人の多いとこに遊びに行くってのなら叱らないとねえ」
母はこの家の中ではケイトとナルヨシのお母さんである。雪江のコメントに表情から微笑みを消して言った。
「興味本位と取らないでほしいんだけど、学校ではおトイレはどうしてるの」
雪江がちょっと遠慮気味に聞く。
「トイレは、職員の男性用を使わせてるわ。ケイトもナルヨシも個室を使うから。外では外見通りの方を使うそうだけどね。男性用にしたのは、ナルヨシが女子トイレに入りたくないって言うから。本人たちは気にしないんだろうけど、他の生徒が気にするだろうし」
母がすらすらと答える。
「体育の着替えは、部室でなのよね、学院は。私は部活入ってなかったから、バレー部とかに混ぜてもらってた」
「軽音部の部室は、倉庫兼ロッカールーム的な部屋があるからな」
去年、その倉庫兼ロッカールームから、下着姿の日塔が飛び出してきて俺に抱きついたのだ。
「家の中を薄着で歩かないからね、ケイトとナルヨシ。変な話だけど、どんな下着つけてるかわかんない」
下着の話をするとか、雪江が俺の頭の中を見たのかと思った。
「そういうデリケートな部分は、三浦ママに聞いてるわ。あと、中島先生がカウンセリングしてる。サーヤは、聞いたことある?」
「いえ、まだ」
さぞかし聞きたいだろう、小川。
「下着は、ふたりともユニセックスなタイプを使ってる。ケイトはビキニ、ナルヨシはボクサー。ナルヨシはブラをしないし、もちろんケイトも。タイトなタンクトップを着ることが多いそうよ。ナルヨシの生理は同年代の子とそんなに変わらずだけど、けっこう不順みたい」
小川が熱心にメモを取っている。
「ケイトもナルヨシも細身だから、身体の性徴は目立たないけど、ナルヨシはささやかながら胸の膨らみはあるわ。ケイトもスカートしかはかないからわかりにくいけど、股間は多少ふくれてる。ケイトはひげや体毛はほとんどないわね。こういうのは普通の男性でもめずらしくないし」
小川が鼻息を荒くしてうなずき、メモを取る。
「中島先生のカウンセリングによると、ふたりとも性的欲求を感じたことはないと言ってる。好きという感情はあるけど、恋愛という感情はあまりピンとこないって。男にも女にも」
「そうだね、変な言い方かもしれないけど、ケイトもナルヨシも、ちいさい子みたいなのよね。素直で可愛い子供が高校生やってる感じ」
雪江が的確な感想を述べた。
「そうかそういうことか。ケイトとナルヨシが私のセンサーに触れまくりなのに、ああいう感情を抱かせないのは、そういうことか。おのれ謀ったなケイト、ナルヨシ」
「サーヤ、昼間っから何言ってるの!」
雪江が笑って小川の口を抑える。
「まあ、これから三年間で、ケイトとナルヨシをどう導くかなのよね。本来の性に誘導するのか、トランスジェンダーとして生きることを決定づけるか」
母が理事長としてのセリフを母の口調のまま語る。
「俺は、ケイトは女、ナルヨシは男として生きていくほうがいいんじゃないかと思うな。これまで十何年そうやって生きてきたんでしょ。今見るかぎりでは変わろうとはしてないよね」
「これから先、法律も変わるさげの。同性婚は地方自治体レベルだと実質的に認可されてっとこあっから。昔みでに苦労することはそう多くないんでねがな」
「私は、恋愛感情が理解できないってとこが少し引っかかる。ケイトもナルヨシも友達できたって言うけど、高校の頃って、友達同士で話するのって半分以上恋愛話でしょ?下世話な話もするよ?」
「私はつい最近まで、恋愛とはアニメの中でしか成立しないものだと思っていましたが何か。現実での恋愛感情というものは持ち得なかった」
小川がメガネに手をそえて位置を正す。
「でもサーヤは理解したでしょ、恋愛感情」
「ユキの半分も理解できていない自信はある」
「そう言われりゃナルヨシ、大丈夫なのかな。男子高校生の日常会話なんて、女の子にゃ聞かせられないのばっかだぞ」
「たしかにありゃひどかった」
男子高校生経験者である俺と父は顔を見合わせる。
「何かと言ったら女の話しかすねっけな」
「東海林さんは高校時代バスケと勉強が忙しすぎて、女性のことを考える余裕がなかったと言っていましたが」
「俺も高校の頃はギターの方が好きだったか。彼女なんかいたためしなかった。シモネタは大好きだったけど」
「ケイトは生理現象としての朝立ちはするけど、性的興奮で勃起したことはないって、中島先生に堂々と話したそうよ。男性としての肉体構造は普通に機能してるんでしょうけど、やはり精神構造がまったく男性ではないのよ。たぶんナルヨシもそう。生理はあるんでしょうけど、男性を受け入れるなんて、ノンケがホモに掘られるレベルで我慢できないでしょうね」
「おおお奥様いけません、ノンケだのホモだの、掘るだの、いけません。私は大好きですが奥様はいけません」
小川がすかさずツッコむが、そこじゃないだろう。


scene 114

「お母さーん、いい?」
あいかわらず男子とは思えない可愛い声で、ケイトが居間の襖を開けて顔を出す。居間に陣取る大人たちの相好が一気に崩れる。
「なあにケイト」
母が優しく手招きすると、ケイトは猫のように足音を立てずに居間に入ってくる。ケイトの私服の定番であるパーカーとミニスカート姿だ。
「えー小川先生もいるー」
「ケイト、君はまだ知らないだろうが、私はこの石川宗家の建物や敷地内を学術調査しているのだよ、昨年から。むろん旦那様と奥様に許可を頂いている。休日に私がこの家にお邪魔させていただくことは、決して珍しいことではない」
「ふーん、大学院卒業してもまだ勉強するんだ、やっぱりすごいな小川先生」
ケイトはそう行って小川の隣にぺたんと座る。小川がありがとうと言って顔を背け、口元を触ってよだれが出ていないか確かめた。
「それで、なにかしら」
「そうそう、お母さん、明日とか、お友達を部屋に連れてきていい?」
「あらあら。鬼の理事長とカタブツの石川先生がいる家に遊びに行きたいなんて子がいるのかしら」
父が爆笑した。雪江と小川もクスクス笑う。
「連休の課題をみんなで協力して片付けて、ゆっくり遊ぼうってことになったのー」
「誰が来るの?」
母の問いに、ケイトは二人の名を答えた。
「あらそう。課題をやるんなら、この居間でやんなさい。ケイトのお部屋じゃ三人で課題のプリントを広げるとこないでしょ」
「うんわかったー。ありがとお母さん」
「ケイトはその二人とお友達になったの?」
「入学式の次の日に声かけてきたの。面白いねアナタ、って言われて。アタシは何も面白いことしてないけど?って答えた。しばらく話してて、やべー男と話してる気がしないって」
その気持ちは俺もわかる。
「明日はお父さんと一緒に党の会合に出るから、一日いないわ。雪江、気にかけてやって」
「明日お母さんもお父さんも留守だと、ふたりの前でお母さん、お父さんって呼んじゃうキケンセイがないなー」
「呼んでいいのはお姉ちゃんだけよ。あーくんて呼んじゃダメよ」
小川が雪江に、羨ましいぞユキ、と小声で訴える。
「んじゃ俺はミュージック総和に行ってようかな、ケイトは見たら呼んじゃうだろうから。いなくなっとこ」
「アニキ、そこ、俺も連れてってくれない?」
今度はナルヨシが居間に飛び込んできた。
「アニキいまミュージック総和って言ったよね?聞こえたよ俺。そこ行ってみたいんだよ」
ナルヨシは常に真面目なのだが、普段にもまして真剣な目をしている。
「ナルヨシ、パソコン音楽の何かを見に行きたいの」
母の語り口はあくまで優しい。パソコン音楽という新語を作ってはいるが。
「山形だと、楽器はミュージック総和って店が一番だって聞いて。シーケンサーとかいろいろ見れるって。アニキ頼むよう」
「わかったわかった、たかがショップに行くだけじゃん、そんなに力むなよ」
一緒に暮らしはじめてだいたいひと月、ナルヨシにアニキと呼ばれるのにも照れがなくなっている。むしろ家の中では、実の弟のように可愛がっているつもりだ。俺には弟がいなかったが、いたとしたらこうなのだろう。
「連れてってくれる?マジ?アニキサンキュー」
普段あまり感情を表さないナルヨシがニコニコしている。なにか俺も嬉しくなってしまう。俺とナルヨシがにっこり笑いながら顔を合わせているのを、小川が見ている。
「いやぁん仲良しねぇ、ステキぃ」
小川の口から、明確な女言葉が艶めかしいイントネーションで発せられたので驚いた。小川は泥酔したときくらいしか女言葉を使わないのだ。そして半開きの口元から舌が出てきて、自分の唇をゆっくりなめ回し始めた。
「サーヤ、くち!」
小川のさまに気づいた雪江が、小声で注意して背中を叩いた。幸い、ナルヨシは気が付かなかったようでほっとする。しかしなんて顔をするんだ小川。
「いや、大好物なのでつい地が出てしまったようだ」
小川は悪びれるでもなくお茶を飲む。しかし小川の地というのはそれなのか。
「んじゃ、明日は出かけるか。軽トラックだけどな」
「俺、あんなの乗ったことない」
ナルヨシが無邪気に笑う。
「いいわねー、私はケイトのおもりなのにー」
雪江がケイトに皮肉を言う。ケイトがふくれた。
「いいわよ、お姉ちゃんも行っておいでよう」
「冗談よ。子供だけ家に置いておけないでしょ」
雪江が優しく笑うと、ケイトも機嫌を直して微笑んだ。そして、ナルヨシを伴って居間を出ていく。
「ケイトの友達の子だけどね」
母が微笑みを消して語り出す。
「白田明日香と斎藤怜、ふたりとも陵山西中」
「西か…」
父が少し憮然とする。雪江も表情を曇らせた。寒河江市には中学が三つあって、一番新しい中学だということだ。
「寒河江も結構広くってな。ほとんど山だつったらそれまでだげど、林業も言われるほど廃れてねえし、昔は銅が出た山もあって、山間部の人口は少なくはねえんだ。あっちの方はしばらく北中の分校でやってたんだげっと、南北の学区を整理したのと、山際の新興住宅地をあわせて西中を新設したのが一〇年前だ」
「ふむふむ。あの銅山跡地も調査したいと考えていました」
小川はいちいちメモをとる。
「おう、近いうづにあそこらのじいさま紹介してやっぺ。そんでな、西中は山間部と住宅地の子供が一緒になって、少しギャップが発生してだんだな、最初っから」
「そうですね、習俗に微妙な違いがありましょう」
「新興住宅地の方も、山間部から移住した人もいるけど、他の町や他県から来た人も多いのね。工業団地に近いから」
「西川のあの事情の原因の一つだと、五十嵐の母親に聞きました。工業団地への企業進出で住民が増えたこと」
「悪いごどではねぇんだ、ただでさえ人口減ってんだがら。とはいえ、微妙な反りの合わなさはいつまでも残ってんなよ」
「言いたくないけど、陵山西中は三中学の中では非行に走る子供の数がいちばん多いの。安孫子や西川みたいに、明るくケンカだけしてる非行だけじゃなくて、盗みや薬物、バイクの無免許運転、性的暴力とかの犯罪になってる」
「千葉では中学生の犯罪減りました。昔がひどすぎたとも言いますが」
小川が身も蓋もないコメントをはさむ。
「私らが中学に上がった年なのよ、西中できたの。西中ができなきゃ南中に来てた地域の子が泣いてた。学校がつまらないって」
「それでもだいぶ改善さっだんだ。議会でワイワイ言って市長と教育長に談判して、東京から専門のコンサル呼んだりしてな」
「学院に来たばかりの大畑指導部長も、特別顧問として無給で付き合ったり。それでも根絶はできないみたいなの」
「完全には無理でしょうけどね。たしかに陵山西中から学院に来るのは、南北に比べると少ないと思ってました。ただ単に西中の生徒数が南北に比べて少ないからと思ってた」
「田舎のおおらかなとこ、悪いとこ。西川のおじいちゃんじゃないけど、よほどひどくなければ許す、ってとこもある。あと、将来家から出ていかないように、甘やかしてるってのもあると思うわ」
「山のほうがら学院さ通うのも、バスの便が良くねえから結構時間がかかっさげな。まだ左沢線の駅の方が近いがらつって、山形市内の高校に行くやつも多いんだ」
「ケイトの友達になったっていう白田と斎藤も、決して品行方正な優等生ではなかったの。あーくんが去年叩きのめした、馬見ケ崎実業の生徒で構成されてる暴走族の集会で、中二の夏に補導されたことがある」
「お母さん、やめて。俺は手を出してません」
「白田も斎藤も、オヤズはよっくおべっだげど、娘をバカに育てるやつではねえがら心配はすねげどよ。娘らは勉強はそこそこだげっと、陸上の中距離走では県のランキングに入る実力があんなよ」
「学院の陸上部は、目立ちませんねえ」
小川がぼそっと言った。学院の陸上部は、休部状態だという。大会が近づくと、他の運動部から足の速い生徒を連れてきて帳尻を合わせている。
「今年の新入生は、陸上競技に才能がありそうな子に枠を設けたのよ。将来の強化部門として、陸上部を据える。指導部が在校生から陸上競技に向いてる生徒をスカウトして、転部させるプロジェクトをスタートしてるわ。まだ未確定だけどコーチも招く予定だし、中島先生のつてでスポーツドクターも」
「そういえば、西中は陸上が強かったイメージある。原石の子を集めて指導者とドクターがつけば、けっこういいとこ行くんじゃないの?」
「白田も斎藤も、ちょっときっかけがあったらまたやらかす危険性がある。光るものを持ってる子たちだから、目を離さないようにしようと思ってたの。ケイトが引き寄せてくれたのかしら」
母はようやくいつもの優しい微笑みをたたえる。
「私も担任として、アスカとレイのことは注視しておきます。何しろ名前が只者ではない」
小川が微妙にベクトルのずれたコメントをする。
「サーヤ、あとは菊池慎太郎と志田蓮次郎」
「ナルヨシの友達ですな。ちょっと前まで中学生だったとは思えない体格をしているコンビ」
「あのふたりは山形市の中学だけど、スポーツ万能。実はふたりとも、父親が詩織のとこの幹部でねぇ。親が気を使って部活に入れてなかったの。でも短距離走だけ大会に出てて、たいしたトレーニングもしてないけど県で五位以内」
「あいづらは、同じ中学のヤロがいねどごさいぎでえど思って学院さ来たんだ。長井の親分に頼まれではなぁ」
父が苦笑する。詩織さんはヤクザの親分でキョースケセンパイの妻で学院の卒業生だ。
「菊池と志田は、非常に物静かです。ナルヨシを加えた三人で話しているときは、ときおり笑顔を見せますが」
「めぐり合わせかしらねぇ。こっちはナルヨシの友達になるなんて」
母が楽しげに笑った。

(「二〇一六年五月 弐」へ続く)

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