二〇一六年六月

scene 124

中間考査も終わり、街を初夏の陽気が包む。この季節は、山形名産のさくらんぼの収穫時期で観光客も増える。山形は秋が短く感じるので、初夏が一番過ごしやすい。
軽音楽部は陵山祭に向けて練習を積んでいる。バンドとして練習できる程度に上達してきた二年生のユニットには、ミュージック総和でインストラクターをしながら作った曲を与えた。ナルヨシがDTMでイメージを聴かせる。日塔はメロディラインを追ってノートになにか書き付けている。歌詞を書くと立候補していたのでそれだろう。ヴォーカルも日塔が担当することになったので、真剣そのものだ。
ケイトとナルヨシのユニットには、部長の菖蒲が加入する。凄まじい速弾きを得意とする彼女は、二年生ユニットの中では浮いてしまう。テンポも音数も自由に設定できるDTMなら、菖蒲のギターを受け止められる。ナルヨシがいい感じのメロディを作ったので、それをベースにと指導していたら、あっさりまた一曲出来上がった。菖蒲はそれをフンフンと聴くと、ギターのフレーズをさらりと弾いた。
「菖蒲はホント、一回聴くと憶えるよね」
「耳コピの独学なんで、いまだに楽譜読めません。タブ譜がようやく読めるくらいに」
「部長のギター、大迫力っす」
ナルヨシが真面目な顔で言う。
「ナルヨシのパソコンとコラボだね。こんなリアルな音が出せるなんて信じらんねず、私みたいなオバサンには」
「部長がオバサンなら俺はジジイだ」
「ケイトがヴォーカル取るんだね」
菖蒲が振り返ってケイトに話しかけた。
「でも私、歌ヘタです」
「俺よりはマシだ」
ケイトの答えにナルヨシがすかさず突っ込む。
「部長歌ってくださぁい」
「わたしゃギター弾くのに忙しくてそれどこじゃないよう」
菖蒲はふざけて老人の口調を真まねて、ケイトが笑い転げる。
「そういや部長が歌ってるのは聴いたことないな」
「私のスキなジャンル知ってますよね先生。なんなら歌いますけど」
「いや結構」
菖蒲のデス声は想像もつかない。
「歌うっていっても、歌詞わかんないよう」
「おまえが作れよ。俺メロディ作ったんだから」
「ムリー」
「じゃあ歌詞は私がやるよ。だからケイトは歌に集中すること」
「はぁい」
菖蒲の部長っぷりが堂に入っている。管理部のデータでは全くニュートラルな性格という分析をされているが、前部長である沖津のふるまいを注意深く観察していたものか。
「んじゃナルヨシ、もっかい通しで聴かせてよ。おぼえちゃうから」
「MP3に落としてありますから、データ渡します。スマホのプレイヤーで聴いてください」
「私は苦手なのよそういうの」
「んじゃ俺やります、スマホ貸してください」
菖蒲とナルヨシは、部室ではいつも一緒にいるようになっている。年下の彼氏にぞっこんの女子、にしか見えない。
「部長の進路はどうなってるの」
ほっとくと菖蒲はナルヨシにすり寄りそうなので、俺はわざと二人の間に割って入る。担任でも管理部でもない俺が彼女の卒業後の進路を尋ねるのは本来ルール違反だが、顧問として知っておいてもよかろう。
「芸工大志望です」
正式な大学名は山形芸術工科大学という、東北地方では唯一の芸術系大学だ。
「国公立の山形大学より難関じゃない」
「私、工業デザイナーになりたいんです。うち、鉄工所やってるんですけど、兄が引き継ぐことになってて、いま父について修行してます。将来は私もなにか手伝いたいから、新しい製品のデザインとか」
俺は高校三年生の頃、こんなしっかりした人生への構想など持っていなかった。つくづく情けない。
「ハムバッカーのかっこいいカバー作ってくれ」
「いいですね」
菖蒲が明るく笑う。
「部長やっぱかっけーっす」
「田舎もんだからね、山形から出たくないのよ。ナルヨシとケイトはえらいよね、高校から実家出ちゃうんだもん。あたしゃ実家がいちばん」
「またー部長ーおばあちゃんネタ反則ー」
ケイトが笑う。
「寒河江にいれば、卒業してもまたここに遊びにこれるしねぇ」
菖蒲はそう言ってナルヨシを見て、にっこり笑った。その表情は、恋する女の表情だ。菅野が柏倉を見上げるとき、日塔が俺と二人になったとき、小川が東海林さんといるときに見せる、あの表情だ。菖蒲よお前もか、ってか女同士なのだがそこはどうなのか。

scene 125

その週末、小川が石川家にいる。だいたい月一回は、休日に小川が石川家に朝から晩までいるのだが。石川宗家屋敷の調査だったり、書庫として借りている部屋の整理だったり、空き部屋でただひたすら本を読んでいたり。そして夕方早いうちから両親を交えて酒盛りが始まり、東海林さんが迎えに来るパターンだった。
ケイトとナルヨシが石川家に下宿し始めてからは、小川もさすがに気を使って夕飯前に帰っていたが、今日は離れの俺の書斎で飲むことにする。以前は酒を進んで飲む方ではなかったが、山形へ来てからというもの、公私にわたって酒を飲む機会が増えたので、結構酒好きになってしまった。それでも、酒豪を自認する雪江と小川には及びもつかないが。
夕飯のおかずの一部をそのまま書斎に持ち込んで、先代が使っていた質素な応接セットで一杯やっているわけだが、三人くらいだとちょうどいいサイズである。
「ここが石川さんの勉強部屋かね。こちらの離れは若夫婦のエリアということで、これまで調査対象から除外していたが、以後対象に加えさせていただこう」
小川は、細かな模様が彫られたグラスについだ日本酒を飲んでいる。そのグラスは、この書斎の小さな食器棚にあったものだ。祖母によると、先代はこの書斎に通す客は本当に親しい者だけにしていて、軽い飲食を行うので食器やグラスを部屋に常備していたのだそうだ。
「これは正真正銘、明治初期の薩摩切子だね。小皿は有田。すばらしい」
小川が飲み干したグラスを灯りにかざして、しみじみと言う。
「サーヤは食器とかにも詳しいわね」
雪江は愛用のマグで焼酎を飲んでいる。
「飲み食いするのが大好きなのでね。あくまで学術的研究の一環だが」
「サーヤはクラス担任するの初めてなんでしょ?うまくやれてる?」
小川が持ってきた日本酒は透明なデキャンターに移されており、雪江がそれを持って小川についでやり、俺にも少しつぐ。
「まぁ私なりにやっているよ。一〇歳も年が離れた少年少女たちと付き合うとは、三年前には全く思いもつかなかったが、実際楽しい」
小川がうまそうに酒をすすりながら言う。俺も同感だ。
「ケイトとナルヨシは?」
雪江が少し心配そうに尋ねる。
「普通といえば普通なのではなかろうか。おもに自分の友だちとしか会話はしないようだが、それは多かれ少なかれ、誰でもそうだろう」
「まぁそうだな。俺は高校に友達いなかったから、ほとんど会話してない」
「石川さん、それはあまりに悲惨な高校時代ではないか」
「なんかクラスにいたー、誰とも口きかない男子。あーくんそんなやつだったんだ、ちょっと引くわー」
小川も雪江も好き放題言う。
「いや、高校には音楽の話できるやついなかったんだよ。軽音楽部みたいのもなかったし。高一の夏頃から、メンボで入ったバンドに行ってた。放課後とか休みの日とか、バンドばっかだったもん。大学生のバンドにも入ってたし、友達いなかったわけじゃない」
「へぇ、そうなんだ。あーくんの高校時代の話もっと聴きたい」
雪江が俺にすり寄ってくる。
「ユキ、それは二人っきりのときにして。見せられるこっちの身にもなってよ」
小川の口調が女性っぽくなる。酔いが回ってきた証拠だ。
「まぁまぁ、サーヤも東海林先生といちゃついてんでしょ」
「東海林さん、学会とバスケの予選で忙しいんだもの…全然かまってくれない…」
「サーヤも可愛い女になったねぇ」
「おっと私としたことが。まぁケイトとナルヨシを毛嫌いしていじめ行為に及ぶような者は、ウチのクラスにはいない。あえて彼らに触らないようにしている者はいるがな」
「俺には関係ない、ってほっとくやつはいいんだよ。お前嫌い、消えろってのが問題」
「ケイトとナルヨシの友達の存在も影響しているな。アスカとレイは女子のリーダー的存在だし、慎太郎と蓮二郎は、本人たちは控えているだろうが、あの外見で男子には無言の圧力になっている。ケイトとナルヨシを的にかけるというのは、アスカや慎太郎を敵に回すことなのだよ」
小川の普段の口調は、やはり意識してやっていたものか。
「そうだ、ナルヨシのことだけど、ちょっと気になることがあって」
俺は少し声をひそめる。雪江と小川が俺に顔を近づけてくる。
「なんだね気になるというのは」
「ナルヨシがなんかやばいの?」
二人とも真剣そのものの表情だ。
「ナルヨシが、じゃないのかこの場合…軽音部の部長が、ナルヨシに惚れてんだよなー」
「軽音の部長って?琴音のあとか、知らないわね」
いくら軽音部顧問の俺の妻でも、部長のことまで興味はないだろう。
「石川さん、それはなかなかエキサイティングだな。一周まわって百合とか、夢のようなシチュエーションだ」
菖蒲のことを知っている小川の瞳は、キラキラ輝いている。
「え。部長って女の子なの」
雪江がやれやれという表情になる。小川の影響で俺まで百合の意味を知っている。
「まぁ外見通りならね、一年生のかわいい新入部員の男の子にときめいちゃう三年生の女部長、ってサーヤが好きそうなお話だわ」
「よくわかってるじゃないかユキ。男装女子とわかっていながら心揺さぶられる年上の女生徒、こんな美味しいおかずはまたとないだろう。ごはんがドンブリ三杯あっという間だ。酒が一升と言い換えてもいい」
「なにそれサーヤってばおかしー」
俺と雪江は小川のノリに腹を抱えて笑う。
「お姉ちゃんとあーくんと小川先生だけで盛り上がってる」
「大人のギャグはわかんねえ」
開け放していた書斎の入り口から、ケイトとナルヨシが顔を出している。
「こらこら、のぞくんじゃない」
俺は笑い涙を拭きながらソファに座り直す。
「そんなとこいないでお入りよ」
雪江が二人に手招きする。
「うるさかったかね」
小川は、いちおう担任らしく居住まいを正してみせる。
「おうち広いから、あっちの居間には全然聞こえないよ」
「こっちにつながる廊下のとこで、笑い声聞こえたから、ちょっと」
「だってサーヤ、おっかしいんだもの」
雪江がクスクス笑う。
「何が面白かったのお姉ちゃん」
ケイトが雪江にすり寄る。雪江はナイショと笑う。
「ケイトとナルヨシは、この家ではユキと石川さんを違う呼び方をしてるじゃないか?」
小川が何やらやばい表情で話し始める。
「お姉ちゃん、あーくん」
「アニキ、アネキ」
ケイトとナルヨシが俺たちを指さして言う。
「その、なんだ、私のことはサーヤと呼んでくれて構わんぞ、この家では」
「呼びません」
ケイトとナルヨシは、ノータイムのユニゾンで答えた。小川がコケる。
「だって、お母さんとは学校ではめったに会わないし、あーくんとは部活の時だけしか会わないからなんとか使い分けられるけど、小川先生とは学校でいつも一緒だもん、ゼッタイサーヤって言っちゃう」
「そもそもサーヤなんて呼び方出来ない俺。小川、ならまだしも」
「あらあら、そぉよねぇ、いっつも一緒だもんねぇケイト。ナルヨシに呼び捨てにされるのも悪くないわぁうふふふふふ」
「サーヤ、くち!」
小川が女性的な口調になるのは、酔ったときと興奮しているときだ。その時は、たいがい口が半開きになって舌が少し出る。雪江に背中を叩かれて、小川は我に返った。
「いかんな酒が回ってきつつある。そろそろおいとましよう」
小川がそう言って立ち上がり、帰り支度を始める。酔いと興奮がいっぺんに来たか。
「センセ大丈夫?」
ケイトが心配そうに小川によりそう。ナルヨシもそれにならう。
「ははは、ケイトにナルヨシ、私が酔っぱらいなのは他のみんなには内緒だからな」
「はーい」
「進んで言う理由がない」
ケイトとナルヨシに挟まれて小川が部屋を出る。俺と雪江も見送りに加わる。小川は両親と祖母に挨拶をし、玄関を出る。俺たちは門までの道を歩いていく。
「センセとあーくんとお姉ちゃん、ほんと仲良しね」
ケイトがにこにこして小川に語りかける。
「そうだな、石川さんとユキは、この街に来て初めてできた友達だから」
「俺にとっての菊池と志田だ」
「センセ、私寒河江に来れて幸せ。みんないい人だし楽しいよ」
「私もだ。知らない街で暮らすのは不安だったが、すぐにそんな不安は消えたよ」
「俺もそう思います」
小川とケイトとナルヨシは楽しそうに話しながら歩く。
「サーヤって真面目なのかヘンタイなのかわかんないわね」
「俺もそう思う」
小川がこちらを振り返る。
「私は真面目なヘンタイのつもりなのだが」
「自覚してたんだ…」
俺と雪江は顔を見合わせて苦笑する。ケイトとナルヨシはきょとんとしている。
「今度は私の部屋に遊びに来るといい。石川家に蔵書を置かせてもらっているから、座るスペースくらいはできたのでな」
小川はケイトとナルヨシにそう言うと、門を出ていった。
「行っちゃダメだぞー」
小川の姿が見えなくなったのを確認して、ケイトとナルヨシに言った。

(「二〇一六年七月」へ続く)

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