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二〇一六年四月 陸

scene 108

翌日、放課後を待ちかねたかのように教員室で小川が話しかけてくる。
「石川さん、さあいこうか軽音楽部へ」
「いや小川さん落ち着いて、まだみんな集まってないから」
「そうか、ではもう少し待つとしよう」
「あぁそうだ、ウチのクラスの丹野をアニメ同好会に誘ってくださいよ」
「おおその仕事もあったな、丹野はもう帰ったか」
「いや、丹野は左沢線通学だから、時間まで教室で本を読んでるんだ」
左沢線は、学院の終業時刻の後の発車まで一時間弱待ちがある。
「ほう、どんなジャンルかな。興味深い」
「行ってみますか?」
「そうしよう」
俺と小川は二年一組の教室へ向かう。廊下は、部活へ向かう生徒、帰宅する生徒などで雑然としている。教室へ行くと、丹野は自分の席で本を読んでんでいた。文庫本サイズだ。ほかには、男子生徒が三人、ゲラゲラ笑いながら雑談している。俺は男子生徒たちに、用がないなら早く帰れよと声をかける。
「こんにちわ丹野」
小川は俺に構わずさっさと丹野の隣の席に座り、椅子を近づける。
「こんにちわ、小川先生」
丹野は少し警戒気味に小川に挨拶を返した。
「何を読んでいるのだね」
小川は丹野の本を覗き込む。カバーが掛かっているので表紙から書名はわからないので、小川は丹野に身を寄せる。丹野は明らかに迷惑そうな表情を浮かべた。
「おや、このシリーズか。なかなかいいね、私も大好きだ。シリーズの中盤のようだから先のネタバレは控えよう」
「え、先生アニメが好きなんじゃないの」
「何を言う丹野。ラノベとアニメは表裏一体、特にそのシリーズはもうツークールもアニメ化されたじゃないか」
「そうなんだよね、アレ、完全に原作通りで楽しかった。読みながら頭の中で作ってた映画と同じだったもの」
「おお、なんとアニメ同好会向きの子じゃないか石川さん。さすが目が高いな」
俺を褒めても仕方がなかろう、小川。
「丹野、アニメ同好会においで。ラノベやマンガはみなで融通してるから、蔵書量はけっこうなものだぞ」
実は、アニメ同好会の蔵書のかなりの部分を、小川の所有だったものが占めている。かなりの読書家であり、民俗学の研究資料の蔵書が山ほどある小川だから、マンガやライトノベルのたぐいは、一部のお気に入り以外は読んだら部室に持ってくるのだ。なお、理事長の好意で、石川家の空き部屋を一つ小川の書庫として貸し与えている。小川が搬入に来たときに手伝ったが、この量の本がアパートにあったのなら、一体どこで横になっていたのかと首を傾げるほどだった。
「でも小川先生、アニメ同好会に私みたいのじゃ、浮くよね」
丹野は服装に違反が目立つとして指導部の監視対象になっている。学院では珍しい、ヤンキーっぽい雰囲気の生徒だ。
「なんのことだ?浮くというのは」
「私、指導部に目つけられてるでしょ、こういう服装してるし髪も染めてるし」
丹野は視線を落とす。
「服装?髪?何かおかしいのか丹野の服は。アニメ同好会など、本気を出したら指導部全員秒殺するぞ?」
「いや小川さん、コスプレのときでしょソレは」
俺は笑いをこらえて言った。
「丹野、そのラノベを好きで読んでいるキミなら、みんなと同じ価値観を共有できるはずだよ。服装がどうとかは、コスプレの時以外誰も気にせんぞ?」
「うん…」
「なんだ丹野、乗り気じゃないな。おおそうか、陰気なオタクの集まりに加わって同類と思われたくないか」
「違います、そんなこと思いません。ただ、私なんかを受け入れるとこがあるとは思えないし」
小川は少し不思議そうな顔をして丹野を眺める。
「キミは自尊心が高いのだな、受け入れてもらえないことを恐れるということは、自分が大事なのだろう?」
「え」
「アニメ同好会の部員ってのは、ゆるくつながってる。他人を受け入れるだの認めるだのは、考えない。自分の興味のある分野が重なっていればよく話したり一緒に行動したりするが、そうでない者とは口もきかない。そして誰もそれをとがめたりしない」
「そういう人間関係ってありますよね、嫌いじゃないですそれ」
俺も口をはさんでみる。
「丹野、私はよくホームルームとかで、人は誰かとつながっていないといけない、って言ってるけど、つながるって言うとなんか熱くガッチリみたいなイメージある。でもつながり方は人それぞれだ」
「うん、アニメ同好会はゆるいのが多いが、なかには何をするにも三人一緒という常軌を逸した仲良しの男子生徒もいる。みんな底の部分は同好会所属というつながりだけは認識してるんだ。加わりたいという者を排除しないし、去りたいという者は追わない」
「私はバンドの仲間とだけは熱く付き合ってたね。ライブの前後の着替えとか、狭い部屋でみんな裸だよ」
「石川さん、丹野の前でその話はやめよう。またの機会に私に詳しく聞かせてくれ」
丹野がさすがに赤面したのを小川がフォローする。ちょっと悪そうに振る舞っていても、丹野は普通の高校二年生だ。
「ふざけすぎたか、悪かった。丹野、新入生の部活動見学が始まっているから、キミもアニメ同好会を見学したらどうだ」
「そうだな、物事はすべて現場を見ることから始まる」
小川は丹野を促して立たせ、肩を抱かんばかりに接近する。
「はい、小川先生がそんなに誘ってくれるんなら」
丹野は小川に魅入られたかのように素直に従った。
「よしよし、そう来なくちゃな、似たような趣味の者は自然と集うものなのだよ丹野」
「小川先生のこと誤解してました私、すごく冷たい人なのかと」
「無愛想だとは数え切れないほど言われた」
「ごめんなさい」
「なぜ謝る?私はなんと言われてもまったく気にしないぞ?私も自分が大事だ。つまり自分がやりたいこと興味があることを最優先するという意味でな。自分の行動が他人に迷惑をかけないように気配りすることが、最近ようやくできるようになったのだが」
たぶん、かなり迷惑をかけたのだろう。
「私、中学の時ハブられてたから、もう傷つきたくないって…誰とも付き合いたくないって」
丹野が声をつまらせる。
「うむ。丹野、泣け。泣いたらスッキリするだろう。でもこれだけは認識せよ。キミを傷つける権利は誰にもないしその理由も存在しないのだ、この世では」
小川の諭し方はなんとも特殊だが、丹野はものすごくツボっているようだ。小川に抱きついて泣きはじめた。
「丹野は他人に傷つけられないように、不良女子高生のコスプレをしているんだろう?丹野は、全身からナイフを突き出していたんだぞ。だが、アニメ同好会に来れば大丈夫だ。そういうのがご褒美なやつもいる」
そうじゃないだろう小川。それとしっかり抱き返しているな。
「丹野は左沢線で通っているのだから、電車の時間まで時間をつぶすのに使ってもらっていいのだぞ、大歓迎だ」
「先生、小川先生、ありがと、ありがとう」
丹野がいっそう強く小川に抱きつく。頬が触れ合うほどだ。いやな予感がして小川の表情を確認すると、やはりものすごい笑顔だった。
「た、丹野、良かったな小川さんに相談できて。さぁ部活動見学に行ってきたらどうだ」
ふたりをこれ以上抱き合わせたら、次のステップに進むのではないかと恐ろしくなり、俺は合いの手を入れる。
「そうだったな、丹野、行こうか」
「はい、小川先生」
「部員が増えるのはうれしいかぎりだな。あ石川さん、あとで軽音楽部へ見学に行くので」
小川は丹野の手を取ってスタスタ歩いていく。丹野のほうが小川にすり寄っているように見える。
「あれ、ダメなやつじゃね?」
俺は独り言を言い、軽音楽部へ向かった。


scene 109

いつものことだが、部室の外まで音がもれている。あいかわらず菖蒲の速弾きの音がでかい。
「部長ー音デカいぞう」
部室のドアを開けると、ケイトとナルヨシが椅子に座って菖蒲のギタープレイを興味津々で見ていた。菅野と鈴木はそのケイトとナルヨシを興味深げに見ている。日塔は黙々とルートを弾いているが、どうも機嫌が悪いように見える。
「先生、入部希望者早速来ましたー」
菖蒲がギターを弾くのをやめ、ケイトとナルヨシを指差す。
「先生、よろしくおねがいします」
ナルヨシが立ち上がって俺に礼をする。
「よろしくおねがいしまーす、あー」
ケイトがそこまで言うとナルヨシがすかさずにらみつける。
「石川先生」
ナルヨシが小さい声でバカケイトとなじると、ケイトは小さく舌を出す。
「うわー。ほんてん、めんごいちゃー、ケイトちゃん」
鈴木が目を丸くして、全開の山形弁で褒める。鈴木は年下のケイトよりだいぶ背が低いが、昨年から身長が伸びた感じが全くしない。
「やだなーセンパイ、ちゃん付けやめてくださーい」
「ナルヨシくんもイケメン」
菅野の目がハートマークになっている。菅野の趣味はガッチリしたやつだと思っていたが、イケメンは別腹らしい。
「くんづけはいいっす、先輩」
ナルヨシは淡々としゃべる。
「先生、三浦たちはすぐ入部したいって」
菖蒲がニコニコして言う。
「部長がいいとおっしゃるなら、私はべつに何も」
俺はわざと丁寧に返事をする。
「先生やめてよ、新入部員が勘違いするべ」
菖蒲はだいたい標準語だが、ときどき方言がフィルインする。
「はいこれ、入部届。保護者にサインとハンコ貰ってきて、管理部に提出して」
日塔が届出用紙を二枚持ってきて、ケイトとナルヨシに渡す。
「アリガト美優、気が利くねさすが」
菖蒲が日塔の肩を叩く。日塔はいつの間にか菖蒲のサポートとして副部長的な位置にいる。菖蒲にすべてまかせては申し訳ないと、日塔がいろいろ手伝っている。
「保護者…」
ケイトが俺をちらりと見る。ここで提出してしまおうという腹だ。
「バカケイト、アニキは保護者じゃないだろ」
ケイトのたくらみに気づいたナルヨシが小声で叱る。
「だってそのほうが早いじゃん、あーくんにサイン貰えば」
「だめに決まってるだろ」
俺も小声で返す。たしかに、菖蒲と菅野、鈴木には聞こえていない。だが日塔には聞こえたようだ。俺を見る目が怒りに燃えている。
「ケイトとナルヨシの保護者って、東京にいるんだべ、ハンコもらうのも大変だー」
菅野がだいたい半分方言で言う。
「東京じゃなくて神奈川ですけど、いちおう、石川の旦那様が保護者代理を引き受けてくれてて」
ナルヨシはボソボソしゃべるが、しゃべる内容は理路整然としている。他人の前で父を旦那様と呼ぶくらいはできている。
「んだがしたー、旦那様がなー。宗家さ下宿しったんだもねー、そうなるっだなねー」
鈴木の訛りは櫻乃に匹敵する。ケイトは目をパチパチさせた。
「宗家なのすばらすぐ広いがら、部屋もいっぱい余ったんだってウヂのお父さんゆったっけものー」
鈴木の父は、俺の父の有力な支援者である。鈴木とそっくりな、小柄で元気な人だった。たまに自宅にもやってくるので俺もすっかり顔なじみになっている。
「宗家の住み心地はどうなの」
菅野がナルヨシに尋ねる。
「まぁ、住み心地と言っても、まだ一週間ちょっとだし」
菅野がすり寄ってくるので、ナルヨシは困り気味だ。女生徒同士なのだが。
「静かなのはいいかな。落ち着くよね」
ケイトが話に入ってきた。
「んでも、汽車の音聞けんべー、宗家は線路のわきだすよー」」
鈴木はケイトがお気に入りのようだ。
「言うほどうるさくはないな。木がいっぱい生えてるし、一時間一本だし、気になるほどじゃない」
思わず俺も話に入ってしまった。日塔の視線が後頭部に突き刺さったような気がした。
「雪江様と一緒に暮らしてるなんて、いいなぁ、どんな感じ?」
菖蒲が雪江様というのを初めて聞いた気がする。寒河江市内の女子はすべてそう呼ぶということか。
「おうちの暮らしのことはちょっと…雪江様に理事長や石川先生のこともありますし…」
ケイトがちょっと申し訳なさそうに答える。ケイトも、人前で雪江をお姉ちゃんと呼ぶのを避ける程度の常識は持ち合わせている。
「あ、そだねー、ごめんごめん。軽音楽部らしくしないとね」
菖蒲が快活に笑う。
「で、ナルヨシは、パソコンでやる音楽だっけか。私そっち系うとくってさー。おーい美優」
部員すべてをファーストネームで呼び捨てる菖蒲は、パソコンに詳しい日塔を呼んだ。
「私DTMは知らないですよう」
日塔がやれやれという感じで近寄ってくる。ナルヨシはマックブックをパカっと開いて起動させた。日塔が興味深げに覗き込む。
「私、マックは触ったことないのよね」
「俺はむしろウィンドウズを知らないっす」
日塔とナルヨシは自然な感じで会話を始めた。日塔はパソコンが趣味と聞いていたが、彼女が口にする専門用語のようなものがまったくわからない。
「つまりはパソコンで楽器の音を出すわけ?」
「そこからもっと進んで、パソコンでバンドができちゃうみたいな」
「へー。でもしょせんパソコンでしょ」
ギター少女の菖蒲は、ナルヨシの言うことを少し軽く考えている。
「部長もカラオケ行くでしょ?あの演奏って全部これですよ」
「えーウソだー、すごく上手いべー。アレってバンドの音を録音してるんでしょーや」
菖蒲が雪江と同じことを言うので俺は思わず吹き出した。
「ウチのカミさんと同じことと言ってるな菖蒲」
「ホントだー」
ケイトがケラケラ笑う。鈴木はそれを見てまためんごいめんごいとすり寄る。
「いや、最近のはすげーっすよ部長」
ナルヨシがマックブックをカタカタとやると、ギターソロが流れた。
「なにそれ、ストラトにディストーション入れてマーシャルにつないだ音だべや」
菖蒲が目を丸くした。菖蒲は耳もいいし何よりギター好きなので、俺でも舌を巻くほどの知識量なのだ。
「適当に選んだの、全部あたってる…こわ」
菖蒲がナルヨシの隣へ来てディスプレイを覗き込む。身体が密着しているが、女生徒同士だから放っておく。
「なんだコレ、ギターもエフェクターもアンプもよりどりみどりだどれ」
菖蒲が興奮しはじめて頭を振る。ナルヨシの顔に菖蒲の長い髪がサラサラとまとわりつく。
「うむ、なかなかいい絵だ」
声に振り向くと小川が来ていた。例の危ない表情になっている。
「小川さん、ヨダレ出てる」
俺は冷静な顔で言ってみた。小川が気がついて口を拭う。
「本当に出たかと思ったじゃないか」
「あなたって人は、ホントに」
「石川さんだって音楽の話になれば人格が変わるだろう、それと同じだ」
小川はドヤ顔でうなずく。しかし、一種のヘンタイと一緒にされるのもなんだが。
「しかし、ケイトとナルヨシはまったく問題なく軽音楽部に溶け込んでいるようだ」
小川は真剣な顔になってまたうなずく。まったく、ヘンタイなのか真面目なのかさっぱりわからない女性である。
「あ、小川先生!わたしたち軽音楽部に入部させてもらうことになりました」
ケイトが小川に気づいてにっこり笑う。
「入部届を旦那様に見てもらって、明日出します」
ナルヨシもはにかみながら小川に頭を下げる。
「うんうん、よろしい。頑張って部活に励むのだよ」
小川はくるりと振り返り、俺に向き直る。
「石川さん、放課後の彼らはあなたに任せたよ、よろしく頼む」
小川はそう言うと、俺の右手を両手で掴み、ぐっと握った。真剣な表情である。ヘンタイなのはほんの一瞬で、基本は真面目な女性ということだ。
「丹野に変なこと吹き込まないでくださいよ」
手を離しながら小声で小川に言う。
「変なこととは心外だな。さっき話してたが丹野は最初からB」
「もういいですわかりました」
丹野は小川に同類の香りを嗅ぎ取ったのだな。あの打ち解けようはそういうことか。
「そうそう私のほうの新入部員の丹野を見ないとな。石川さんあとはよろしく」
小川はそそくさと部室を出ていった。


scene 110

軽音楽部の部員たちは、もうケイトとナルヨシを後輩部員として扱っている。
「ささやかだけど、隣の部屋にロッカーあるから、割り当てとく」
副部長として事務を仕切る日塔が、ふたりにオリエンテーションをしている。
「美優先輩ありがとうございますー」
「日塔先輩、どうもッス」
「この部室鍵かからないから、貴重品は置きっぱにしないで」
「えーそーなんですかー。ドラムとか盗まれちゃう」
「学院の敷地をぐるっと取り囲んで、セキュリテイしてある。深夜に敷地内に忍び込んだりしたら、すぐ警備会社が飛んでくるが、こんな年代物のタイコを盗むやつはいないな」
俺もオリエンテーションに参加してみた。
「山の中だし、校門以外入り口ないよね学院」
「周りの森から入ろうと思っても、センサー張ってるから」
「そもそも私は周りの森に入ろうと思わない」
ナルヨシのツッコミに応えた俺に、日塔がオチをつけた。ケイトがくすくす笑う。
「日塔先輩って訛ってないッすね」
「あたしも思ったー美優せんぱーい」
「父の仕事の関係で、生まれてから一〇歳まで東京に住んでた」
「どこっすか、東京」
「調布よ。悪かったわね区じゃなくて」
「いや、俺らより確実に都会だし」
「うちら神奈川県民でっしたー」
日塔は楽しげに話している。そういえば去年の今頃、日塔はつとめて男っぽく振る舞っていたなと思い出す。いまナルヨシを見れば、去年の日塔はまったく男っぽくなかったとわかる。女言葉をあまり使わないようにしていただけだった。いうなれば理事長のときの母と素面の小川みたいなものだ。
「美優センパイ、ここは男子部員っていないの?」
倉庫兼ロッカールームから部室に戻って、ケイトが尋ねる。
「いちおう、いるよ。ひとり」
「今日は来てないんですか」
ナルヨシがマックブックをカタカタやりながら菖蒲に尋ねた。
「もう少しあとかなー。学校終わってからだからなタクミ」
菖蒲がフレットの上で左指を踊らせながら答える。
「え、まだ授業やってるクラスがあるんです?」
ケイトが不思議そうに首をかしげる。
「特例っていうか、テストケースというか、学院の生徒じゃない生徒を軽音楽部で練習させてる」
俺は菖蒲の指を見ながら答えてやる。
「左沢線で山形市内の高校に通ってる、寒河江の子だよ。美優たちとオナチュー。なお山形で一番偏差値高い高校いってるのな」
菖蒲は俺の視線に気づいて、ますます早く指を動かしてみせる。俺は速弾きはあまりやらないので、単純に面白がって見ている。
「私や石川先生と同じく、パートはギター。タクミの行ってる高校は軽音楽部がないんだってさ。誰も教えてくれる人がいないそうだし。石川先生が理事長に頼んで、練習生として参加してるの」
「へぇ。さすが理事長」
ナルヨシは相変わらずマックブックをカタカタやる。ケイトはちょっと手持ち無沙汰なようすである。
「ケイトちゃんはパート何やー」
ドラムの練習を中断して、鈴木がケイトに話しかける。部で一番小柄な鈴木、身長はケイトの鼻のあたりまでである。
「美緒センパイ、あたし何も楽器できないですー」
「んだら私と一緒だー。何もしたことないがら、ドラムやってみろって云わったのよ。半年くらいやってんげどねー」
「えーセンパイ半年でぇ?すっごい上手だと思ったー。才能あるんだー」
「やんだー、私なのじぇんじぇん下手でよー」
ケイトは、いきいきと明るく振る舞う。話しているうちに気持ちが軽くなってくるというか、人を怒らせない素質があるのだろう。日塔・鈴木・菅野のファーストネームをいち早く憶え、親しく呼ぶ。何も知らなければ、本当に明るくて可愛らしい女子生徒だ。
「いや、マジでドラム初めて半年でこんな上手だなんて、俺、信じられねっスよ」
ナルヨシも調子を合わせる。ナルヨシはめったに笑わないが、ただ無愛想なわけではない。正直で真面目なのである。ケイトとナルヨシは中学時代にこの性同一性障害のために陰惨ないじめには遭っていないと報告があったそうだが、女子として男子として普通以上に「いい子」だったからなのだろう。
「鈴木の師匠が良かったからな」
「んだー、琴音センパイと柏倉センパイが、基本おしぇでけだがらー」
「卒業した人らだけどね、沖津琴音先輩って、お父さんがドラムやってて、教わったんだって。柏倉賢也先輩はキーボードだったげっと、本職はピアノで。手足を全部違う動きをさせるのは、ピアノもドラムも一緒だって、基本動作をみっちり」
菅野が補足説明する。柏倉の名前をフルネームで呼ぶ時、目がうるんだが。
「美緒センパイ、あたしにドラム教えて」
ケイトが鈴木にすり寄って言う。
「ほだなー、まだ教えるレベルでないー」
鈴木がめずらしく困り顔をする。鈴木も基本はケイトと同じように明るいキャラクターなのだ。
「おー思い出した、ミュージック総和で知り合った人いるんだ、ドラマーじいちゃん」
「なにそれー」
菖蒲と日塔が笑う。
「天童のエースってジーンズ屋の隠居だって。若い頃から四〇年以上ずーっと友達とバンドやってるんだと」
「ふえー、四〇年前って、どんな音楽なんだろ」
「美優、四〇年前でもロックはそう変わらないよ。もうヘビーメタルって言い始めてたと思う」
さすがメタルオタクの菖蒲は、ロックの歴史にも詳しい。伊藤と名乗ったその老人は、山形では早いうちからアメリカンカジュアルファッションを扱う店を出したという。エースという店名もアメリカの大人気バンド、キッスのギタリストの名前を拝借したものだと笑っていた。
「その人、ひまな時にコーチに来てもいいって言ってた」
女子部員だらけだと言ったら、バンドの仲間全員連れて行くと笑っていたが。
「先生それいい!是非お願いして!キッス好きなんでしょ!」
菖蒲はアメリカのヘビーメタルならだいたい聴いていると言っていた。
「わかった、管理部長と相談するわ。外部の人をお招きする時はけっこう大変なんだ」
「ほだな、私天童さ行くべしたー、教えてもらいにー」
実は、部員の中でもっとも真面目に練習しているのは鈴木だ。ドラムを叩くのが楽しくなってきたとも言っていた。
「まーそれは、一回来ていただいてからだな。いきなり押しかけたら失礼でしょう」
俺は苦笑して鈴木をたしなめる。

(「二〇一六年四月 漆」へ続く)

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