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二〇一六年八月 壱

scene 128

八月に入って最初の週末に、ケイトとナルヨシは川崎市の自宅へ帰省する。一週間ほど自宅で過ごした後、三浦家全員で寒河江を訪れる予定だ。本来なら寒河江駅できっぷを買って左沢線で山形駅へ行くところだが、両親が持たせた山形みやげの詰まった紙袋が三つもあり、大荷物になったので車で山形駅へ送っていくことになった。
石川宗家には選挙活動に使っているミニバンがあるので、これに両親と俺達、ケイトとナルヨシの六人が乗る準備をしている。いつの間に連絡したものやら、孫兵衛さんが現れて当たり前のように運転席に乗り込んだ。
「孫兵衛おんちゃん、運転してくれるのーありがとー」
ケイトがニコニコして礼をする。
「めんごい孫だづば送っていくだいなよー」
孫兵衛さんの目尻が下げられるだけ下がっている。
「お願いしまーす」
ナルヨシも少年らしく礼をし、荷物を積み込んで車に乗り込む。一番うしろの席に両親、真ん中の席に雪江とケイトとナルヨシ、俺は助手席に乗り込んで祖母の見送りで家を出た。
「ケイトもナルヨシもちゃんと制服着てで、キチンとしったなー。宗家さ下宿させでもらてんだがら、いづだてキチンとさんなね」
孫兵衛さんがニコニコしながら優しく言う。
「ひさしぶりにおうちに帰るんだからちゃんとしないとね。それに、ママもパパも私らの夏服見てないしー」
孫兵衛さんは石川宗家の敷地の管理人をみずから買って出ており、最低でも週の半分くらいは敷地内のどこかにいる。もう家族のようなもので、ケイトとナルヨシは孫兵衛おんちゃんと呼んで慕っている。
「気持づの優すい娘だったらやー、ほんてん。ナルヨシは真面目で口数少なくて、キリッとした息子だすよー」
孫兵衛さんが手放しで褒める。後ろを振り返ると、ナルヨシが照れて苦笑していた。孫兵衛さんは二人の本来の性別のことを知ってはいるが一切意に介さないので、常に見た目のままの性別で扱う。
「あなた達、ほんとにお弁当いらなかったの?」
母が昨日からずっと言っていることを繰り返す。
「うん、菊池と志田が、山形駅で渡すからって。断ったんだけど、あの、キョースケオジキが弁当を用意するって言ってるって」
「キョースケは弟分のヤロコな友達さ感謝すっだいなだ、お母さんあどしぇーがら」
「それはわかるけどねぇ。詩織も妊娠してて体調不安もあるでしょうし、お弁当作らせちゃ悪いわぁ」
「気づかねなてお母さんらしぐもねえ。キョースケが親分に弁当なの頼むわけねえべ」
父が笑って言った。母が、え?、と応える。
「キョースケのごどだ、一流の料亭どがに特注の弁当頼むに決まってるべした」
父がそう言って笑う。なるほどたしかに、キョースケ先輩が詩織さんの手作り弁当をドヤ顔で持ってくるとは思えない。むしろおせち料理並みの三段重とかになりそうだ。母は、ようやく気がついたと言って笑った。
孫兵衛さんは国道を走らず、裏道の県道を走っている。低い山沿いに伸びる田舎道で、一面に広がる田んぼの先に、いくつか高いビルが建つ山形市街が見える。
「きれいだね」
ケイトがその景色を見てポツリと言う。夏の山形は晴れ間が多く、空気が乾燥して爽やかだ。空気もきれいなので、遠くの街や高い山がくっきりと見える。俺も景色に感動したものだ。
「最初、田舎はハッキリ言って嫌だった。でも考え変わった。俺、山形好き。友達もできたし」
ナルヨシが誰に言うでもなくつぶやいた。
「お姉ちゃんの寒河江は最高でしょ」
雪江はサラッと寒河江を私物化したが、完全に間違ってはいないのだ。
「日本でも世界でも、色んなところを見て歩くのは有意義よ」
母が少しだけ理事長っぽく言った。ケイトとナルヨシがハイと応え、隣に座る雪江が微笑む。
車は三〇分もかからずに山形駅西口に到着する。西口は新しく開発された地区だそうで、県都の駅前にしては広々としていて駐車場も潤沢だ。
みどりの窓口でケイトとナルヨシがきっぷを自分で買う。三浦家から預かっている現金の中から、交通費と小遣いとして母が渡していたお金だ。初めて自分できっぷを買ったとケイトがはしゃいでいる。ナルヨシは無言だが、こちらも明らかに気持ちが高ぶっているようで頬が赤い。
きっぷを買い終えてコンコースへ出ると、菊池と志田が待ち構えていた。
「ナルヨシ、ケイト、これ、オジキから」
「洋食と和食と中華、何が好ぎだがわがんねがら、とりあえず全部入れてもらったんだど」
山形で一番歴史があるホテルの名前が染め付けられた風呂敷包みがふたつ、ナルヨシに差し出された。思ったとおり、おせち料理三段重のサイズである。
「菊池、志田、ありがとう。気を使わせたわね。もちろん阿部にはあとでお礼の電話をするけど、あなたたちからも伝えておいて、ありがとうって」
母が理事長にならずに二人に礼を言った。
「ありがたく受け取らしてもらうけど、こんなに食えないよ、お前らじゃあるまいし」
弁当を受け取ったナルヨシが苦笑する。
「ひとつを二人でわけよう。ひとつはまるまるお家にお土産で持ってこ、ママがびっくりするわ」
ケイトがそう言って、菊池と志田にあらためて礼を言う。二人は真っ赤になって照れている。
「おう、そろそろ新幹線着くから、中さ行けはぁ」
父が優しく声を掛ける。
「はい。お父さん、お母さん、みんな、行ってきます」
「来週また戻ります」
ケイトとナルヨシはぺこりとお辞儀し、大荷物を結わえ付けたキャスターを引いて改札を抜けた。そしてまたこちらを振り向き、手を振りながら新幹線ホームへ向かっていった。
「やだ、涙出ちゃった」
母が目頭にハンカチを押し当てる。
「なに、すぐ帰ってくるなださげ」
父が母の肩を抱く。
「菊池、志田、今日は本当にありがとう。ケイトもナルヨシも本当に喜んでいたな。阿部さんにはなにかお返ししないと」
俺はケイトとナルヨシの兄として、二人に頭を下げた。
「石川先生、やめでけろっす。俺だはオジキのお使いしただげだっす」
「そうっす、オジキは、俺らみたいなハンパモノの友達になってくれたナルヨシに礼がしたいって」
菊池と志田は、俺よりも体が大きくて筋肉質、顔も怖いのだが、中身は普通の高校一年生だ。教師に頭を下げられてオロオロしている。
「んだなー、孫兵衛、あどでよ、長井さコメば二、三俵持ってってけろ。ひとまずこのヤロコださ、毎日やんだころ飯食わせでけろってな」
父がそう言って菊池と志田の肩を叩き、明るく笑った。
その日、陽が沈む頃に、三浦家からケイトとナルヨシが帰ったと電話が来た。母は、来週皆が寒河江を訪れることを楽しみにしていると応え、笑った。


scene 129

ケイトとナルヨシがいないと、家の中がこれだけ静かなのかと痛感する。とはいえ昨年はこうであったわけで、別に寂しさは感じていなかったはずだが。母にそれを話すと、三浦家はもっと寂しかったのよと笑った。その笑いもどこか寂しげだ。
彼らが旅立った週末も明け、また普段の生活に戻る。生徒は夏休みだが、教員は普通に業務がある。今週は夏季休業前の週として、片付けておかねばならない案件がいろいろある。あれやこれやしているうちに、もう昼だ。
学院には学食はなく、弁当を持ってこない生徒や教員は指定業者が昼に持ち込むパンや弁当を買う。俺は必ず弁当を持ってくる。朝食を家族揃って取るのが基本ルールの石川家なので、朝食が終わったあと、テーブルの上に残ったものを適当に弁当箱に詰めるだけで昼飯の出来上がりなのだ。しかし今日は、ケイトとナルヨシがいない分を減らしたためか、なにも残らなかったので弁当なしだ。
夏休み中であるためいつもの指定業者も来ず、さて昼飯をどうするかと思っていると、指導部の山口さんと増田さんが教員室へやってきた。指導部の事務室は別の部屋なので、彼らと会うのは放課後が多い。
「石川さーん、昼メシ行かね?」
「今日はいつものお弁当ポーチ持ってなかったですよね」
山口さんの昼メシは基本的に指定業者の弁当である。増田さんのほうは会って半月ばかりだが、自分で弁当を持ってきているようには見えなかった。
「ええ、今日は弁当がないんでどうしようと思ってたとこです。パインでも行きますか」
俺は机の上をさっと片付け、椅子から立ち上がる。
「いいことを聞いた。私もご相伴に預かるかな。石川と同じく、私も弁当がなくてな」
理事長が教員室の隅の打ち合わせスペースにいた事に気が付かなかった。俺たちは軽く「アチャー」という顔をした。むろん理事長から見えない角度で。
「特別に私のクルマを出してあげよう。すぐそこに停まってるからね」
夏休みで校内に生徒の姿はまったくない。部活動も今週は休みとさせている。
「さあ早くしないと昼休みが終わるぞ」
小川のあの語り口は多分に理事長を真似ている。理事長はリモコンキーで車のロックを外すとさっさと後席へ座る。俺は助手席に座ろうとしたが、山口さんが目で後席を指すので、しかたなく従う。
車内がエアコンで冷える間もなく、クルマはトールパインに着いた。どやどやと店に入ると、増田さんがいきなり大声で挨拶をする。カウンターに父が座っていたのだ。
「これは旦那様、お久しぶりです!その節は」
「あらお父さんもいたのねぇ」
理事長が母に変わり、父の隣へ座る。
「サクラちゃん、お父さんといっしょにテーブル行っていい?」
声質まで変わってしまった理事長を見て、増田がぽかんとしている。俺は小声で理由を教えてやった。
「理事長、かまねがら好きな席さ座ってけろー」
メイド服がすっかり馴染んだ櫻乃がニコニコして応える。
「俺もだがら、皆日替わりでしぇーべ?清志郎、日替わり四つ追加な」
父が大きめの声でいうと、厨房からウッスという返事が返ってきた。
「旦那様もここでお食事で」
増田が若干緊張気味である。
「んだって俺の事務所ここの上だも。本会議がねえば月の半分はここで昼メシだ」
「なんすか、増田さん旦那様もう知ってるんだ…うわおまえ五十嵐か」
山口さんが、水を運んできたメイドが五十嵐だと気がついて、軽く引きながら言った。五十嵐は高校時代よりもずっと力の入ったメイクで、にっこり微笑んで去っていく。
「陸上部が解散になって、会社に居づらくなってた私を拾ってくださったのが、旦那様です」
増田は神妙な顔で、五十嵐が置いていった水のグラスに口をつける。
「まぁほだな大したもんではない。需要と供給がいいタイミングで一致したわげだ」
「お父さんの大学の同級生が、増田の会社の取締役だったのよう。その方も、陸上部が解散になって、部員だった社員には申し訳ないって落ち込んでるのを見て、山形に来れる者がいたら一人は学院で引き受けるって言って。彼が手を挙げたわけ」
「へーそーだったんスカ」
山口さんが大仰に頷く。増田さんは照れ笑いしている。
「んで、学院の陸上部はものになりそうなんだが?増田」
父が真面目な顔で尋ねる。
「正直申し上げて、今年度は充電開始というレベルです。幸いというか、三年生の部員はいませんし、まずは来年度のインターハイがデビュー戦と」
「種目は何や?」
「短距離と中距離でまとめようかと。この先、中学生から資質のある者を探して、長距離に挑戦したいですね」
「ほうが、んだらまず市議会の文教委員長さ紹介すっから、市内の中学校回ってこいっちゃ」
父は早速アシストした。
「一年生の男女四人はなかなかの原石です。男子二人は持って生まれた筋力がケタ外れなので、正直どんなスポーツでも非凡な成績を出せるでしょう。さらに筋肉を鍛えて、短距離に挑戦するのが最もいいかと。女子二人はしなやかな筋肉なので、中距離一五〇〇メートルが向くかなと思っています」
陸上競技を語る増田さんの表情は輝いている。俺がギターのことを話すのと同じだ。
「雪が降る地域で暮らしたことがないので、冬の間の練習メニューを組むのに苦労してます。仙台にいる先輩にアドバイスを頼んでいるんですが、仙台も雪はそんなに降らないと言ってましたし」
「東京だど、冬でも天気いいがらな、走り込みでぎる」
「いくら天気が良くても、寒くって。走ろうなんてかけらも思わんかったですよ」
俺は軽口を叩く。増田さんも笑った。
「野球部とかサッカー部は、冬の間遠征行ってなきゃもっぱらウェイトトレーニングだわな」
サッカー部のコーチの一人である山口さんがアドバイスする。
「半分遊びで、腰まで雪が積もったグラウンドで一〇〇メートル競走したり」
「おお、おらだも高校んどぎ、雪積もったグラウンドでラグビーごっこしたっけ。転んでもさっぱり痛くねえがら」
山口さんの言葉に父が答えて大笑いする。
「なるほど、冬の間は身体づくりに専念するというのはいいですね」
増田さんの表情がぱっと明るくなった。
「そうか、あの菊池と志田は鍛え上げればもっと爆発力が増す。大化けするかもしれないな…」
山口さんも体育教官軍団の指導部らしい表情になってつぶやいた。
「ほれごそ、運動部の連中で雪かきしたらいいべ、年寄りだけの家とが。市と県から補助金出るべ、それを謝礼のかたちで貰え。運動部の遠征費用の足しにすろちゃ」
父がすらすらと考えを語る。このあたりが政治家だ。
「あらいいわねそれ。良い話題になるわ、学院の運動部員、老人宅の雪かき」
母が笑ったところで、五十嵐と櫻乃、店長が日替わりランチを運んでくる。
「キョースケの弟分だったら、俺もしっかりど面倒見てやらねどねっす、理事長」
店長が真面目な顔で理事長の前にランチをサーブする。この人の真面目な顔はとにかく怖い。増田さんは店長と目を合わせないようにしている。
「あーくん、ケイトとナルヨシ最近見かけねね。夏休みなのに」
五十嵐が俺の前にランチをサーブして尋ねる。
「実家に帰省してるよ」
「なんだー東京さ帰ったのー」
五十嵐は東京・神奈川・千葉・埼玉あたりはざっくりと東京としているようだ。
「東京じゃない、神奈川県川崎市だ。俺の実家は東京都町田市だけど、あいつらの実家の隣町」
山口さんがランチを口に運びながら言った。
「理事長、寂しいべー、んぼこだいねくてー」
櫻乃が訛り全開で言った。
「そうねぇ、でもお盆にご両親と一緒に帰ってくるわよ」
母がにっこり笑って言う。増田さんはその変貌っぷりにあっけにとられている。
「ないだて。どっちさ帰省しったんだがわがんねねー」
美人の櫻乃が全開の訛りで微笑む。増田さんはこちらにもあっけにとられていた。
「マネージャーは、店長の家で暮らしてるんだっけ?」
山口さんが軽い感じで尋ねる。
「まぁな。宗家にはじぇんじぇん及ばねげっと、おらいも狭くはねえからよ。姉ちゃんはとっくに嫁に行ってっし、部屋は余ってんだ」
山口さんは店長より年上だが、お互い気が合うらしくタメ口で話す。
「山口、増田、おまえだは休みは何してんなや。田舎さ帰るが」
父は山口さんと増田さんを姓で呼び捨てるが、決して高圧的ではなく親しみを込めている。
「自分は、サッカー部の練習もありますんでずっと寒河江にいますわ。ってか、町田には三年くらい帰ってないっす」
山口さんは彼女ができて半年だし、次に町田に帰るのは結婚を報告するときだろう。
「私も寒河江にいます。まだ来たばかりですし、早く慣れないと」
増田さんは真面目な顔で言った。
「ほうがほうが、んだら、盆休みにはうちさ飲みに来いっちゃ。どうせ客が次々来るなだ、一人や二人増えたってどってごどねぇ」
「そうね、もともとお盆は来客で賑やかだし、地元に顔を売っとくチャンスよぅ」
両親が笑って言うが、俺は昨年は五分家と荒木以外の来客は、誰が誰なのやらさっぱりわからなかった。
「よろしいんですか旦那様、私のような新参者が」
増田さんがやはり真面目な顔で言う。
「かまねかまね、俺の商売柄よ、家さ人がいっぱいいだほうがいいんだ」
父は豪快に笑う。県議に無投票当選してもうすぐ一年だ。
「自分ができることはお手伝いします」
山口さんはめずらしく重々しく言った。
「山口、気い使うな。俺の事務所と県連から手伝いが来るさげ。しぇんしぇーは投票だげしてけろ、小間使いなのすねでよ」
そう言ってまた父が笑い、増田さんはようやく緊張を解いて笑った。

(「二〇一六年八月 弐」へ続く)

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