二〇一六年五月 参

scene 118

やはり帰りは夕方になった。居間では雪江とケイトがテレビを観ている。ケイトの友達はもう帰ったようだ。
「やっぱりあすこに行くと、長いわね」
雪江が俺とナルヨシを見て笑う。
「でもすげえ面白かったよアネキ」
ナルヨシは今まで、照れて雪江のことをお姉ちゃんと呼ばなかったが、今日初めてアネキと呼んだ。男がお姉ちゃんとか姉さん、は恥ずかしいのだろう。雪江が少し驚いた顔をしてナルヨシを見る。
「やーん、アネキなんて呼ばれたー。うれしーかわいー」
雪江がナルヨシに抱きついて頬ずりをする。ナルヨシが真っ赤になった。ケイトはケタケタ笑っている。正確には成人女性が高校生の女子を抱きしめているということなので、大きな問題ではない、のかもしれない。
「アネキ、やめろって」
ようやく雪江から逃れたナルヨシが、肩で息をする。成人女性に抱きつかれると恥ずかしい、というのは少年として普通だな、うん。
「お姉ちゃん、お夕飯のしたくー。あたし手伝うよー」
ケイトは語尾を伸ばすのがクセだ。
「お父さんとお母さんは会合の後パーティだって言ってたし、おばあちゃんは柴橋におよばれしてるし、みんなでパイン行こうか。久しぶりに外で食べよ」
「きゃー。パインって、トールパインでしょ、学院へ登ってく道のとこ。オシャレなお店だなーって思ってたのー」
「保護者と一緒じゃないと、入っちゃダメって言われてるもんな」
「高校生のお小遣いじゃムリだぞ、そこらのファミレスじゃないから」
なお、ケイトとナルヨシの小遣いは月五千円、三浦夫妻から預かっているお金の中から母が渡している。
雪江とケイトは普段着の上からパーカーを羽織る。ケイトとナルヨシのパーカー好きが、雪江に伝染したようだ。
玄関を出て門へつながる道を歩く。夕陽が庭の木々を薄っすらと赤く染めている。俺とナルヨシは並んで歩き、雪江とケイトは手をつないで後をついてくる。雪江と出かけるのに、並んで歩かないのは初めてかもしれない。
門を出ると、駅前交番の警官が俺たちに気づき、にっこり笑って礼をする。交番の前で、この警官が話しかけてきた。
「若旦那、雪江様、めんごい弟と妹だなっす。仲のいいのが伝わってくるみでだっす」
大沼というこの警官、かのキョースケセンパイの前に山形市近辺で最強と恐れられた男なのだそうだが、体と顔がいかついだけで、腰が低くて優しい方言で話す。
「弟っていっても、だいぶ年が離れてますけどね」
「俺も、あんつぁど五つも違うじぇー。あんつぁがらはガキの頃バガバガ殴られでよー」
そういう少年時代が大沼巡査の最強伝説を作ったのだろうな。
「大沼さん、父も母も感心しったっけよー。通学する児童生徒さこまめに声がけしったてー。署長さよっくどゆっておくどー」
雪江が大沼に合わせて方言バージョンでお世辞を言うと、大沼はあからさまに照れ、ペコペコ頭を下げる。クマのような男がペコペコしているさまを見て、ケイトがくすくす笑った。
再び歩きだすと、ケイトが雪江と腕を組む。ケイトは雪江よりいくらか背が高いが、ケイトが女性ポジションである。俺と雪江が腕を組んで歩くときの雪江の位置だ。
「お姉ちゃん、方言もカンペキだねー。何言ってるかさっぱりわかんなかったー」
「あんたもすぐ憶えるわよ。そんで、いつの間にか山形弁使うようになるわ」
「えーウソー」
「いや、マジだ。実際俺は一年ちょっとでダベダベ言ってる」
とはいえ、俺の実家の所沢も多少の訛りはあった。ダベダベはけっこう普通だったのだが。
「俺、菊池の言葉、わかるようになってきた。わかんない言葉話したら、どういう意味?ってすぐ聞くし」
「アスカとレイは、ママが山形の人じゃないんだって。だからほとんど訛ってないのよ」
「そういう子多いね最近。男が大学とか仕事とかで県外に出て、お嫁さん連れて帰ってくるパターン。テレビとかもあるし、最近の子は私から言わせたら全然訛ってないわ」
「お姉ちゃんも訛ってないじゃん。お母さんも」
「無理してんのよ」
このセリフは、母が昔俺に言った記憶がある。まったくよく似た親子だ。
四人で街なかを歩く。五十嵐の母が営むスナックの前では、また彼女がすっ飛んでくるのではと身構えたが、よく見ると本日貸し切りの札が出ている。少しホッとしてトールパインへ向かう。
店のドアを開けるとマネージャーの櫻乃がメイド姿で出迎える。店長は、昨年の陵山祭で櫻乃のメイド姿をことのほか気に入ったようで、年明けの二人の結婚後、女性フロアスタッフにメイド服を着せた。むろん見立ては小川が行ったが、イベンターとしての才能に溢れた荒木も一枚も二枚も噛んだ。リニューアルオープンと銘打ってイベントをやり、小川とその趣味の友人が数人ヘルプに駆けつけた。メイドのいるカフェレストランとしてローカル局が取材に来るほどの話題となり、寒河江の新名所となりつつあるのだ。
「いらっしゃいーユキー」
櫻乃がにっこり笑って俺たちを席に案内する。
「お姉ちゃんもキレイだけどさ、あのヒトハンパない美人だよね、何なの女優さんなのあのヒトー」
ケイトが雪江の腕につかまったまま小声で言う。
「お姉ちゃんの親友よ。幼稚園からの付き合い。子供の頃から美少女で有名でね、読モなんかしょっちゅうよ」
俺たちを席に案内すると、櫻乃がケイトとナルヨシを見て微笑む。
「ほんてんめんごいったらやー、ユキもあーくんも、しぇらぐめんごがってるって聞いだよー。ヤロコでもヘナコでもしぇーべしたねー、こだいめごこいんだものねー」
ケイトとナルヨシは、櫻乃が何を言ったのか少しも理解できていない。
「サクラ、あんたも少し標準語で話す努力をしなよ。この子達固まってるじゃない。いっそ英語で話したら?」
「うー、ごめんなー、オラなまってでごめんなー。英語でもいいべが?」
「いいいいいえ、英語はまだちょっと」
ナルヨシが必死でフォローする。
「ケイト、ナルヨシ、お姉さまのご親友にご挨拶なさい」
俺が大仰に言うと、雪江が笑って、自己紹介しなさーいとケイトとナルヨシに命じた。
「はじめまして、三浦ケイトです。四月からお姉ちゃんの石川家にお世話になってます」
「三浦ナルヨシです。同じく。学院で三年間がんばりますのでよろしくお願いします」
二人は席に座ったままだが丁寧に礼をした。メイド姿の櫻乃は軽く涙目になっている。
「ケイトちゃん、ユキばお姉ちゃんって呼ぶんだら、私のこともお姉ちゃんって呼ばってけろー、頼むじぇー、どーが」
櫻乃の優しい声に、なんとか意味が理解できたケイトが普段の明るい笑顔でうなずく。
「はいお姉ちゃん」
「うー、めんごいちゃー、こだな妹欲しいっけー」
櫻乃も雪江と同じようにケイトに抱きついて頬ずりをする。親友はこういうところも似るのか。
「雪江様ぁー!」
これもメイド姿の五十嵐が俺たちの席へ駆け込んできた。
「シフト終わって帰ろうと思ったら、雪江様が。ななななななんだっすこのヘナわぁ。雪江様も櫻乃様もお姉ちゃんって呼ばって、オオオ、オレばさしおいでぇ」
この辺りでは、女性も平気でオレという一人称を使う。ただし、主にお年寄りがつかうもので、若い女性ではあまり褒められたことではない。激昂したときなどにポロっと出ることが多いそうだ。
「優菜うるさい。ケイトは私の妹よ。気安くさわんな」
「優菜シフト終わったべ。残業すねでけろー」
「やだ、怒ってるけどこのヒトもすんごい美人ー。お姉ちゃん、寒河江って美人多いの?」
ケイトは雪江に守られていれば五十嵐は襲ってこないことに気がついたようだ。冷静に分析している。
「なえだ優菜、しゃねっけの?ユキの家さ学院の新入生の双子が下宿してるて」
ケイトは雪江と櫻乃に両脇をガードされた格好である。五十嵐も手出しできない。
「なにほいづ、雪江様と同じ家さ暮らしったなて、なにほいづなにほいづ」
五十嵐は感情が高ぶると方言がきつくなる傾向がある。もはや櫻乃レベルだ。
「理事長判断よう。いろいろデリケートな事情があってねえ」
雪江は五十嵐をからかっているとしか思えない。
「ほだな、雪江様…あーくんは男で旦那だから仕方ないげっと、女として雪江様ばこの世で一番愛しったのは、この私だべした…」
「何バカなこと言ってるの!」
「どだなだず」
さすがに雪江と櫻乃が呆れてツッコむ。ケイトはあまりのことに口をあんぐりさせたままだ。ナルヨシは五十嵐から少しでも離れようと、奥に座っている俺にぴったり体を寄せている。
「んだって、んだって」
五十嵐はメイド姿のまま泣き始める。仕方ない、という感じで雪江が立ち上がり、五十嵐の肩に手をかける。
「優菜、もういいから。シフト終わったんでしょ。一緒にお茶しよ」


scene 119

雪江が優しく声をかけると、五十嵐はすぐに泣き止んだ。ケイトと五十嵐が雪江を挟んで座る。料理は店長に任せると櫻乃に言い、ケイトとナルヨシにドリンクを選ばせる。俺と雪江はビールを頼んだ。五十嵐もビールと言ったが、櫻乃に怒られ、ケイトとナルヨシと同じジンジャーエールになる。
「優菜、昼はここでバイトしてんでしょ?サクラに聞いてないの、この子たちのこと」
「忙しくって、話する暇もないものー。夜は自分ちで仕事だしー、ウチだって櫻乃様とゆっくりお話しすっだいのにー」
五十嵐は少し落ち着いて、方言がソフトになっている。
「まぁ一応自己紹介したら」
俺はケイトとナルヨシを促した。二人は素直に従い、五十嵐に自己紹介の挨拶をする。
「あらーごめんねー。ウチ、五十嵐優菜。あんたらと入れ違いで、こないだ学院卒業したんだー。家が飲み屋やってっからー、来てねー」
「いや俺高校生だしムリっす」
「やーんセンパイおもしろーい」
五十嵐のギャグとも本気ともつかない受け答えに、ケイトとナルヨシがすかさず突っ込んだ。
「ナルヨシくんだっけ?しぇー男だー。ウチの好みだー」
「ミノルに言いつけてやろ」
「やんだ雪江様、冗談だー。んでも、しぇー男なのは間違いないべしたー」
「ホントあんたって子は、男がスキなのか女がスキなのかわかんないわね」
「だから女は雪江様と櫻乃様だけだってゆってんべした」
「複雑だずね、いっそ嫌わっだほうが気が楽だわ」
櫻乃が苦笑しながらドリンクを持ってくる。
「優菜、シフト終わったんでしょ。いつまでそのカッコでいるのよ」
「あ、優菜のは自前。サーヤに選んでもらったの、店でも着るがらって自分で買ったんだ」
「着替えなしで、このまま夜の部でーっす」
五十嵐が明るく笑うが、ケイトとナルヨシは引いている。彼らにとって、スナックのホステスという職業は未知であり、力いっぱい胡散臭いのだろう。
「サーヤがよー、私もメイド服着てフロアに立ちたいってよー」
「さすがにそれはダメなんじゃね」
「もちろんバイト代などいらん、って」
櫻乃が小川のマネをして、ケイトとナルヨシも笑った。
「サクラお姉ちゃんも小川先生の友達なのぉー?」
ケイトが尋ねる。狙っているわけではないのだろうが、いちいちかわいらしい。
「んだよー。サーヤは歳上だげっと、ユキど友達だす、私もいつの間にかサーヤて呼ぶようになってー。おらえの旦那もめんごがってんのよー、サーヤば」
「いらっしゃい」
そこへ、店長が俺たちのビールのつまみを持ってやって来た。
「五十嵐、キャンキャンやがますいんだお前。少し落ち着げバカ」
店長は五十嵐を叱りつけるが、本人はすいませーんと笑うだけだった。店長の恐ろしげなオーラに、ケイトとナルヨシが青くなる。
「ナルヨシ、昼間お前の友達と一緒だった人の親友、ってのがこの店長さんだ」
俺はナルヨシに小声で教えてやる。
「うっす、三浦ナルヨシと申します。石川家に下宿させてもらって学院に通ってます、三年間よろしくお願いします」
ナルヨシはたちあがって、店長に丁寧に頭を下げる。ケイトもそれに倣って挨拶をする。
「おう、さすが理事長が家に下宿させるだけあんな。ガキだげっと筋は通ってる」
店長が怖い顔を少し緩めて二人を見る。俺は店長に、昼間山形でキョースケセンパイと会い、彼が連れていた少年がナルヨシと友達だという事を話した。店長はそれは良かった、俺からもキョースケに話しておくと笑った。そして、ナルヨシにいいツラしてると小さく言って調理場へ戻っていった。
「昼間の人も怖かったけど、店長の怖さはちょっと違う…」
「あんな怖い人と一緒にいるの、サクラお姉ちゃん…」
ケイトの正直な感想に、櫻乃と雪江、五十嵐まで笑った。
「悔しいけど、雪江様と櫻乃様が気にいるのわかるわこの子。すんごくめんごい。性格がめんごいんだね」
「やだー、やめてくださいセンパイ」
「んー?ウチはセンパイなのが?雪江様と櫻乃様と同じぐ呼んでっちゃ」
「お姉さん…」
「優菜お姉ちゃんだず」
「えへ。優菜姉ちゃん」
「きゃーめんごいー」
やはり五十嵐もケイトに抱きついた。軽くハグして身体を離す。
「ケイト、だっけが。ゼンゼン胸ないなー。かわいそうになー。ウチもある方じゃないげっと」
「優菜、ちょっと耳」
雪江が五十嵐の耳に唇を近づける。何を誤解しているのか、五十嵐は目を閉じて耳を雪江の唇に押し付けた。
「バカ。あのね」
雪江はケイトとナルヨシのことを五十嵐の耳元でささやいて教えた。五十嵐は最初、雪江に顔を近づけられてうっとりしていたが、話を聴き進むにつれ、驚いて目を見開いた。
「男?」
五十嵐はケイトを指さした。ケイトはすまなそうにうなずく。
「女?」
指さされたナルヨシは男らしく頭を下げた。
「こういう事情があるから、お母さんがうちに下宿させたのよ」
雪江が冷静に解説するが、五十嵐はまったく聞いていないようだ。
「どどどどどどうすべ、みーさん以外の男に抱きついたっけはぁ…雪江様と櫻乃様以外の女に心動かされだ…」
「なにブツブツゆってんなや」
一品目の料理を店長が自ら運んできた。
「ててて店長、これ男、これ女」
「おべっだよ。サクラに聞いだもの。現物は今日はじめで見だげっと、普通に男と女に見えるんだがら、別にかまねべ。前菜お待ち」
「んだって店長~」
五十嵐は当惑している。
「心配すんな、ミノルさゆったりすねがらよ」
櫻乃も料理を運びながら五十嵐をからかう。
「あぁもう、いいわ。ケイトは女、ナルヨシは男、こんでいいわ、めんどくさい」
「めんどくさくってすいません、五十嵐さん」
「ごめんなさい優菜姉ちゃん」
「ほらー、それそれ。気分良くなってどうすんのウチ。二人してめんごいべしたー」
五十嵐は全力でニヤける。どうやら開き直ったようだ。
「五十嵐んちの店、本日貸し切りって札が出てたな。宴会か」
俺は途中で見たことを思い出して五十嵐に尋ねた。
「あああああああああー、んだっけ!今日白岩の消防団の宴会だっけ!やばーママにごしゃがれるー」
「ここは私のおごりだから気にすんな優菜、早く行っといで」
「あーん雪江様ありがとー」
「優菜、あんたが私の妹一号なんだからね。ケイトは二号よ」
「雪江様…」
雪江の言葉を聞いて、五十嵐は立ち尽くした。
「優菜姉ちゃん、鼻血…」
ケイトが蒼白になる。五十嵐の右の鼻から、鼻血が一筋滴り落ちた。
「あ、雪江様に妹一号って言われた…へへへへ」
五十嵐はニヤニヤしながら去っていった。
「怖い」
「鼻血美人」
ケイトとナルヨシがぼそっとつぶやく。
「まぁ変なのがいたけど、それは忘れて、食べよう」
運ばれてくる料理を食いながら雪江が話し出す。
「あの子はねー、とってもかわいいんだけど、少しヘンなのよね。私とサクラが高校三年の時の中三」


scene 120

「お姉ちゃんたち二人だと、美少女ペアだったねー」
「自慢だけどそのとおり」
雪江の応答に、ケイトがトマトクリームソーススパゲティをツルンと食べて、うふふと笑う。
「私だが制服の下さ着るセーターの色替えっと、優菜がすぐ同じ色にして、他の女の子も替えるんだっけ。これタイ料理、ラープ・ムウ。レタスで包んで食べで」
ナルヨシがうわ辛いと言いながらもパクパク食べる。
「あるもんで作った。サービスだ。八宝菜に二宝くらい足らね」」
店長が珍しくギャグを飛ばして料理を持ってくる。
「ありがとー、さすがキヨシローちゃん、イタリアンもタイ料理も中華もなんでもできるよねー」
雪江が無邪気に笑うが、ケイトとナルヨシは店長のイメージが怖すぎて笑えない。
「どうだや、学校は」
店長は隣の席から椅子を持ってきて俺たちのテーブルにつく。
「は、はい、最初はやっぱ言葉とかわかんなくて困りましたけど、今はだいぶ慣れたッス。友だちもできたし」
ナルヨシがかしこまって答える。店長が気にすんな楽にしろと笑う。笑い顔も怖いのだが。
「理事長や小川先生がいろいろ気を使ってくださるので、私らが男女ごっちゃなのも、あんまり気にされなくなったと思いますう」
「いいっだな、お前ら、自分で言わねば誰も気づがね。好きに生きろっちゃ。理事長が気にかけてけっだんだら、何も心配ない。俺だって、理事長が見守ってくれっだがら、人間らしくなったんだ」
ケイトとナルヨシは真剣な表情で店長の話を聞いている。
「俺よ、中学から高校にかけてはな、自分で言うのもおがすいげっと、ケンカ最強つって暴れっだっけのよ。ケンカ相手は殺すつもりでやってだっけ。警察なの毎週泊めらっだ。停学どころか一発退学なはずなのに、理事長だけが、子供のケンカなのほっとけつってな。山形の飲み屋街でチンピラ半殺しにした時だけ、正当な理由なく夜に出歩いたのが重大な校則違反だって無期停学になったけどな」
店長は愉快そうに笑うが、笑えない。
「お母さんはキヨシローちゃんをウチに連れてきて、補習してあげてたのよ、けっこうな回数。規則に従うと、ケンカで退学じゃなくて赤点で退学になりそうだったんだって」
雪江がそう言うと、ようやくケイトとナルヨシが少し笑った。
「おばんです若旦那にユキ。そしてはじめまして、三浦きょうだい。この店のオーナーのリッキー・荒木です」
荒木が軽妙な語りで店長の隣に立つ。ケイトとナルヨシは荒木に挨拶を返す。
「俺、こいつと高校の同級生でさ。君らといっしょで、俺も高校から山形に来たの。だからこいつがすげー危ないやつだって知らなくて、友達になっちゃったんだよなー。理事長の補習に付き合って俺もお屋敷行ったし、俺んちにも呼んで、俺が勉強教えたりな。感謝しろよ清志郎」
「うっせ。あ、こいつ俺の義理の兄だがら」
店長は荒木と話すとき、いつも少し笑った顔になる。たぶん本人は満面の笑顔のつもりなのだろう。
「俺も若旦那と同じ大学だったから、君らの実家のあたりも憶えてる。世話になってた人、新百合に住んでたからよく遊びに行ってたよ。君らが小学生くらいの時になんのか」
「えーリッキーさんすごいですー」
「ケイト、リッキーって名前じゃないのよこのおじさん」
雪江が苦笑する。
「なんだユキ、おじさんはないだろ」
「じゅうぶんおっさんだべ、もう二八だ」
「まぁな、おまえと付き合うようになってもう干支ひとまわりしたんだ」
そんな話をしていると、だしぬけに父と母がトールパインへやってくる。
「私らもまぜて」
「ばあちゃんは柴橋さ泊まってくるってゆうさげな、俺らもここで一杯やっぺ」
「お母さんたち、一杯やって来たんでしょー」
雪江がケラケラ笑う。ドリンクはもうビールではなく、ハイボールに切り替わっている。
「ああいうパーティって、飲むのも食べるのも中途半端で、かえって困るわ」
「清志郎、俺とお母さんにもハイボールな」
父がそう言うと、店長がウッスと応えて席を立ち、調理場へ戻っていった。
父と母はなんだかんだ言って上機嫌である。言うほどつまらないパーティではなかったのだろう。
「なんか機嫌いいんじゃないのお父さん。すすんでお酒飲むほうじゃないのに」
「あのね、お父さん、次期の文教公安委員に決定したって、幹事長から内示あったの」
「県議会の?」
俺は思わず聞き返した。文教公安委員会といえば、学校と警察に大きな影響を持つ。これまで父と母はその方面に暗然たる力を持っていることを匂わせていたが、いよいよ水面上に現れるというのだ。俺たちのテーブルに腰を落ち着けてしまった荒木が、おめでとうございます旦那様と祝いを述べた。
「当たり前でしょ。あーくん、ますます気をつけなきゃダメよう」
母がニヤリと笑う。
「なんの話ですか、マミジツみたいなことはもうしませんて」
日塔のことを言ってるのがまるわかりだったので、俺はわざととぼけた。
「ケイト、ナルヨシ、今日は何してたの」
母が優しげに二人に問う。ふたりとも競うように今日の出来事を両親に話している。
「まぁ、阿部に会ったの?」
母がナルヨシの話の一端に食いついた。
「俺もそれ聞いたっす、つまみ、ケイジャンチキン」
店長が追加の料理を持ってやって来て、相槌を打つ。
「まぁ、長井の幹部の息子だったら、キョースケがたまに面倒見ててもおかしかぁねえっすね」
「お父さん、お母さん、俺も友達を家に呼んでいいかな、一緒に課題をやろうと思って。あいつら勉強苦手だから…」
ナルヨシが伏目がちに頼む。子供でも、ヤクザの息子と友達付き合いをすることのリスクは知っていると見える。
「あらまぁ、偉いわねぁナルヨシ。勉強の苦手な友達を助けたいなんて」
「んだな、男気があんなぁナルヨシは」
いろいろ複雑だがそういうことにしておこう。ナルヨシは父の褒め言葉にあからさまに照れている。
「いいの?菊池と志田の親は…」
「ナルヨシ、私は学院の理事長よう?それを問題にするなら、入学させるわけ無いでしょ?」
「たしかにあのヤロベラの親は、長井一家っていうヤクザの組織に属してっけど、長井はよ、指定暴力団の傘下ではねえんだ。テキヤつってな、お祭りなんかで店出てるべ?ああいう商売を昔からやってた。お祭りの店全体を取りまとめたり、乱暴者がいだら放り出したりするような荒いこともやっから、ヤクザの流れの一つに数えられる」
父がすらすらと説明する。政治家はこういうところにも明るい。
「だから問題ないってわけじゃないでしょうけどね、菊池も志田も悪い子じゃないってわかったから、学院の生徒になったの。それでナルヨシの友だちになったんだもの、うちに来ちゃいけない理由はなにもないわ」
「んだんだ、お母さんの言うことに間違いはねぇがら、心配すんな」
「お父さん、お母さん、ありがとう。アイツラに連絡していい?」
「おう、はやぐゆってやれっちゃ」
「えー、シンタローとレンジロー?むっさ苦しー。アタシその日はおうちにいたくないー」
ケイトはそう言うが、顔は笑っている。ナルヨシはスマホを手にして何事か入力している。菊池と志田に連絡を入れているのだろう。
その後しばらく食事と酒と会話を楽しんでいると、ナルヨシのスマホに着信だ。ナルヨシはディスプレイをさっと眺め、両親に報告する。
「お父さん、お母さん、菊池と志田、明後日来たいって。いいかな」
「もう今日の大会で連休の予定は済んだから、いつでもいいわよ」
「あどは畑をちょこちょこやるくらいだ」
「ありがと。でもなんか、変なこと書いてあるんだよ」
「なにって言うのや」
「アネさんとオジキも一緒に来るって書いてある…」
「あらまぁ。詩織とは安孫子の結婚式以来だわねぇ」
母はなにやら嬉しそうに、バッグから携帯を取り出して電話をかける。
「もしもし、石川です」
母の携帯から、おっとりとした話し声が漏れている。キョースケセンパイの妻にして職場では上司でもある、長井詩織さんである。母は楽しそうに話しているが、詳しい話は明後日にと言って電話を切り上げた。
「ちょうど私に話したいことがあるって、子供たちについて来て押しかけてくるそうよ、夫婦で」
清志郎、明日キョースケが来るってよと言いながら荒木が席を立ち、厨房へ向かう。
「お父さん、お母さん、本当にありがとう。菊池と志田、喜ぶよ」
ナルヨシが丁寧に頭を下げる。両親はその姿を見て満足そうに頷いた。

(「二〇一六年五月 肆」へ続く)

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