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「静かな乱世」の今、サステナブルな自己実現は可能か。

今って・・少なくともこれから先にやってくる時代って、歴史でいう「乱世」のようなものなのではないかと思う。大河ドラマ(源平〜鎌倉への移行期、戦国はもちろんのこと、幕末など人気のテーマ)や韓国時代劇(高麗〜李朝、李朝の終わりなど時代の切り替え時の「革命」を描いたドラマがけっこうありますネ)のように、物理的に派手な、見るからに分かりやすい「乱世」ではないものの、ハイテク情報化時代の現代らしい乱世が、静かに起きているように思う。

パラダイムシフトが起こり、常識や、長くお決まりだった社会的な土台、制度などが崩れていく時。うかうかしていると、そこに呑まれてしまう時。

前に見ていた韓国時代ドラマで、こんなセリフがありました。

乱世には、3種類の人間が生まれる。1つめは乱世の犠牲になるもの、2つめは乱世と闘うもの、そして3つめは乱世に乗るもの。

『六龍が飛ぶ』より

とのこと。更に、「乱世に乗る」人間たちにより、乱世はさらに混乱を来すのだとか。・・・なるほど。

間違った世の中の制度、人間の心のありようなど、長年たまった負のエネルギーが飽和状態になり、表に出て問題として現実化する。見せかけは整っていたように見えていた社会が、乱れ始める。それが乱世、時代の変換点。

混乱した状態や、問題が起きている場、などで、自分の立場を安定させようとか、自分の存在感を示そうとか、というのがこのセリフにおける「乱世に乗るもの」にあたるのだろう。・・自分のために、混乱や良からぬ状況を利用する、ということだ。

そんなつもりは無くても、「問題」に向き合っているうちに、それぞれの「利害」が行き交って、みたいな事態は、常日頃、人々の間では起こりがち。そんな時こそ、「自分のため」ではないのか?・・と、自分自身に問いかける必要があるだろうと思う。

パラダイムシフトの真っ最中の時代を生きる私たち。
そんな中で生じる社会の乱れを利用する(「乱世に乗る」)のではなく、混乱していく時代状況の中にあっても、自分自身の人生の目的を忘れず(「乱世の犠牲者」にならず)自己実現していく道のりは?

やっぱり、努力する、し続けるしか無いんだよなあ・・と思う。ガムシャラである必要はない。けれど出来る努力は何でもするという精神が、自由とか、自分らしい、という道を選んだ者にはどうしても必要だ。苦手を一つ一つ克服したり、視点を変えてやり直したり。

自分なりに常に、「我が道」をより良いものへと更新しつづけることによって(それは常に「乱世と闘う」ような道のりかもしれないけれど)・・どのような時代にあっても、自分らしい創造と、利己的ではない自己実現が叶うのではないかな。

窓を開けて空気を入れ替え、更に遠くの景色まで見てみよう。新しい世界を拓こう。

(2022 March Twitter に加筆)