見出し画像

ふりむいて 真理子 野間口 至 (著), 野間口 敞子 (著)

愛に満ちた22年間を追悼する

明るい微笑みの奥にあった苦悩

22歳でこの世を去った一人の女性。

本書は、両親が、娘・真理子が紡いだ言葉と彼女を追悼する人々の想いを集めた追悼集だ。

小学生時代のひらがなが多い日記から、大学時代に書いたレポートまで……。自ら命を絶つまでの短い人生の一端が見えてくる。

幸せな空間
野間口真理子さんは1960年に福岡市の病院で生まれた。彼女の泣き声は、地元ラジオ局によって録音され、ラジオドラマに使われたという。日本開発銀行で働く父親は職業柄、転勤が多かった。真理子さんは生後間もなく東京に引っ越し、2年後には妹・恵理子が生まれる。

真理子さんは家族の誇りだった。
小学生のころから世界の名著を読み、感想文を書けば優秀作品に選ばれた。母親の影響でバイオリンも習い始めた。自慢の娘だった。

小学校の先生は、彼女の感受性の鋭さ、表現力の豊かさによく驚かされたと振り返る。本書には、遺稿として真理子さんの作文が掲載されている。その中のひとつ、小学4年生のときの文集では、ジュール・ルナールの名作「にんじん物語」に触れた文章がある。苦しみながらも、希望を捨てない“にんじん”の姿に共感し「わたしもにんじんのようにすなおで明るく、またやさしい子どもになりたいと思います」と綴っている。

本書冒頭に掲載された家族写真から、彼女が大切に育てられた様子が伝わってくる。それに応えるように、真理子さんは成長した。

高校時代の友人や音楽団の団員が寄せた手紙からは、真理子さんの活動的でお茶目な一面も垣間見える。「ノマ」という愛称で呼ばれる彼女の女子高生らしい姿には、親しみが湧いてくる。

交錯する苦悩
真理子さんは、多くの人にとって理想的な存在だったようだ。

親の期待に応えようとする気持ちは、真理子さんを一層成長させた

大学では法学部に進学し、法律相談部では幹事を務めた。しかし、大学3年生のころになると、医学部への転学を考えるようになった。結果的にその思いは叶わなかったが、彼女の心には複雑な思いが巡っていたのかもしれない。

家族や友人たちは、真理子さんの優しさに触れ、その笑顔に癒されていた。しかし、彼女の内に秘められた苦悩に気づくことはできなかった。

母方の義理の伯父で、上智大学名誉教授の大木雅夫氏(1931〜2018)は、後になって真理子さんの明るさの陰に隠れた苦悩に気づいたことを本書に寄せている。

彼は現代人を「ホモ・ペイシェンス」(苦悩する人)だと考え、こう記した。

「人間の苦悩は、複雑さのゆえに、外に表れないことがあり、人間の非力のゆえに、外から透視することができないのだ。人間の死、とりわけ肉親の死が何か意味をもつとすれば、それは、遺された人々に生きようとする意志と希望を甦らせることにこそあると私は思う」

現代社会において、誰もが何かしらの苦悩を抱え、救いを求めている。

本書を通じて、真理子さんの22年間の生涯が、多くの人々との思い出とともに、私たちに共有されるだろう。

私たちはひとりではない。

真理子さんの人生が私たちに残した大切な教訓だ。

文・中島魁人

【著者プロフィール】
野間口 至(のまぐち・いたる)
野間口 敞子(たかこ)



発刊に当たって

 一九八二年(昭和五十七年)十二月四日は、愛娘真理子がこの世を旅立った、私たちの生涯においてたとえようもない悲しい日となりました。
 この現実を信じたくないままに、月日は流れ、痛恨・哀惜・ひたすらに耐える心の底から、七七忌のご挨拶状には、「二十二年一カ月 学半ばの若い命ではございましたが故人としては 純粋に精一杯生きた人生であったと存じます 私共にとりましても 天から真理子をお預かりした かけがえのない年月でございました 私共としては これからいつまでも 心の中で真理子と共に 生き続けたいと存じます」と、私たちの心からの気持ちを述べさせて戴きました。
 そして、せめてもの供養の一つとして、真理子の鎮魂賦を冊子にまとめ、娘に捧げると共に、その追悼集によって、親しくお付き合い下さいました皆様には、真理子を偲ぶよすがにして戴ければと念じて参りました。
 そして、真理子の名誉のためにも、真理子がこの世を旅立つ当日のことまで含めて、私共の憶い出もありのままに書き残して置くことが、父として母としての義務であると考えました。他方、この仕事を進めることが、私たちが立ち直るきっかけともなり得ればと考えました。
 しかし、私たちの心の整理がなかなかつかないままに、この準備も途中でとどこおりがちになりましたが、ようやく一つの念願がかなうことになりました。
 私たちのお願いに応じて、玉稿をお寄せ下さった先生方、学友の方々、その他の皆様方に厚く御礼申し上げると共に、発刊にこぎつけるまでにお世話になった朝日新聞自費出版サービスの方々、またかげながら励まして下さった多くの方々に、心から御礼申し上げます。
 天国の真理子も、はにかみながら、喜んでいてくれることと思います。
 本当に、有り難うございました。

昭和五十八年十一月

野間口 至
敞子


幼稚園・小学校時代の思い出


手のぬくもりが今も


もみじ幼稚園の担任の先生 堀(旧姓 桜井)皐月

 昭和四十年四月、桜の花が美しく咲いている頃、貴女は四歳五カ月の年齢で、もみじ幼稚園(豊島区駒込)ばらぐみに入園なさいましたね。三十三名のお友だちの中には、アメリカ人のウィルスヘザーちゃんも一緒で国際色豊かなクラスでした。髪の毛を少し長くして、少し小柄な貴女。入園式の写真を、今、みていますと、中列に少し不安そうなお顔で、集団生活に第一歩を踏み出されましたね。あたたかい御家庭の中で育った貴女は絵をかいたり、折りがみをつくって並べたり、手先の器用な貴女でした。運動会では、先生と手をつないで入場行進をしたり、ハトポッポ体操をしたのを覚えていらっしゃいますか。お隣は目のパッチリした西田正美君、貴女とつないだ手もしっかり結ばれています。
 そして、秋の遠足。馬事公苑(世田ヶ谷)に行きましたね。大きな馬がパカパカ走る姿をみましたね。記念写真では、貴女の妹さんが先生の隣に写っています。そしてやさしそうなまなざしで、お母さまも御一緒に写っています。
 クリスマス会には、舞台の上で「びっくりうさぎ」のオペレッタもしましたね。仲良しの鈴木さおりさんなど、七名のお友だちと自分で作ったお面をかぶって、うさぎの役をしましたね。
 四十一年四月には、年長ふじぐみに進級しました。進級写真では、かみの毛を三つ編みにして、前列にお行儀よく手をおひざに、座っていますね。徳川宗敬園長先生も、にこにこ顔で御一緒です。
 春、新宿御苑に遠足に行きました。芝生の上で「ねことねずみ」のおにごっこもしましたね。ここでも貴女と先生はしっかり手をつないでいる姿が写真に写っています。その手のぬくもりが、今でも伝わってきます。
 秋、運動会では、大きなタイヤを友だち(青木昌弘君)と二人で力を合わせてころがす競技もしましたね。頭にお花のかんむりをつけて、お花の体操もしましたね。
 遠足、埼玉県・平林寺近くのさつまいも畑へ小雨降る中、おいも掘り遠足に行きました。
 クリスマス会には「ぞうのたまごのたまごやき」のオペレッタで、黄色のトンガリ帽子をかぶって小人役をしましたね。長い長い歌を、みんなはよく覚えてくれました。
 そして沈丁花のにおう三月、二年間の幼稚園生活に三十三名のお友だちと一緒に巣立っていかれました。
 小学校、中学校、高校、大学とすてきなお友だちに囲まれて勉強に、語り合いに、遊びに、青春をぶつけていらしたのでしょうに……。
 安らかに おねむりなさい 真理子さん。

印象深いお嬢様


もみじ幼稚園の友人のお母様 鈴木 磨里子

 野間口真理子様、そのお姿もお心も、それはそれは美しく聡明なので印象深いお嬢様でした。駒込のもみじ幼稚園で私の娘と同じクラスでしたので、仲良くさせていただきました。余りにも理知的で美しいお母様と御姉妹でしたので、御一緒に連れ立って歩いておりますと、通りすがりの方が振り返る程で私をはじめ皆様方の羨望の的でした。そのような素晴らしい御一家とご交際いただけた私はとても光栄に存じました。
 真理子様はとても素直でやさしく、ご自分を表面に出す事のなかった控え目な、非常に繊細な神経をもっていらして、勿論喧嘩などする筈もなく、私はきつい自分の娘と比較しては、真理子さんのような子になってほしい、と念じていたものですから、出来るだけ遊んでいただいて感化を受けたく行ったり来たりしておりました。
 残念な事に私共一家は、一年生の二学期から川越に移転したため、おめにかかる折も少なくなり、最後におめにかかったのは中学生の時でした。普通、中学生と言えば生意気盛りで、私の娘は反抗期でもて余し気味でしたのに、真理子様は幼い頃と同じように素直でやさしく、そしてますます美しくご成長なされているのに驚きました。その後、久しくお目にかかる折もなく過ごしておりましたので、今年こそは皆様にお会いして……と年賀状にそのむね記しましたのに、ご返事が思いがけない訃報で返って参りまして、胸の押し潰される思いで、しばらく茫然となり、いまだにとても信じられません。恐らくこれからも真理子様のような素晴らしいお嬢様にお目にかかる事はないと思います。亡くなられてつくづく感じるのですが、神の子のような気がします。本当に惜しいお方でした。悲しい事は一日も早く忘れてしまいたいと念じておりましたので、以上の事を記すのがやっとでございます。
 最後に真理子様のご冥福を心より御祈り申し上げます。

バースデーカード


駒込小学校一、二年の担任の先生 宇治 茂子

 暦も七夕月に変わろうとしています。
 あわただしく過ごすうちにすでに半年……
 帰る事の出来ない旅立ちをしてしまった吾子を、
 姉を、友を……と偲ぶ人々の言いようのない深い悲しみを
 知っているのでしょうか。
○イロが白クテ 目ガクリットシテタ 女の子!
○白イ大キナレースのエリノツイタブラースガヨク似合ッテタ 女の子!
○イツモ ニコニコシテタ 女の子!
○ホンノスキナ 女の子!
 そして一房のブドウを形どったカード!
一つぶ一つぶ これが一年生の作品? と思う程 それはそれは
丁寧に鮮やかに書きあげたバースデーカード。
 下校の時、サヨナラ! と共に、ひとりひとり握手して見送ったものでしたが、その折、恥ずかしそうに「センセッ! オメデトウ!」と、ささやきながら渡してくれたもの。
 何故かその事が強烈な印象として残っているのです。
 悲報に接した時も、フッと心によぎったのも、このカードの事でした。今、そのブドウの紫と同じ色で、アジサイが校庭に豪華に、一方、淋しげに咲いています。
 芯に強さを秘めながら、心のこまやかな優しい女の子だったのですネ。
 成人してもそれは変わることなく、多くの友人を得たことでしょうに。
 六年の卒業を待たずに私は転任しましたが、折々に来る便りで、その成長ぶりを伺い知る事が出来ていました。
 それにしても何故? どうして? と問わずにはいられない思いですが、今は静かにご冥福を祈るのみでございます。
 二年生の時に書いた真理子さんの日記の一部をご披露して終わらせていただきます。
         ×      ×
朝 まどの外を見たら 雪が ふっていました。
雨が前に ふっていないので つもると思いました。
きゅうしょくのころ たくさん つもりました。
休み時間に一度外へ出て あそんだけれど
すぐ きょうしつに入ってしまいました。
かえる時 人のとおっていない雪の上を あるきました。
ふかいので 長ぐつの中まで 雪が入ってしまいました。

抜群の作文力


駒込小学校三、四年の担任の先生 蒲生(旧姓 松本)廸子

 真理子さんがご永眠の悲しいお知らせをいただいて、しばらく呆然としていました。早稲田大学に在学中で、楽しく学生生活を過ごしていると、二年前には年賀状をいただき懐かしく思いながら将来を楽しみにしておりましたのに。こんな悲しいことが突然起きようなどとは、私にはどうしても信じられません。ご両親のお嘆きをお察しするに、胸がふさがる思いでございます。
 駒込小学校では、教職経験のまだ浅かった未熟な私にとって、優秀な真理子さんの存在は大きく、真理子さんとの出会いの中から担任として、逆に学んだことが多くございました。
 三年生、四年生の頃の真理子さんの姿が、今でもはっきりと目に浮かんでまいります。白いブラウスに赤いつりスカートがよく似合う、色白のお人形のようにかわいらしいお嬢さんでした。
 口数は少なく、クラスの中ではおとなしい方で、私と言葉を交わすこともあまり多くはありませんでしたが、心がいつも通じているような気がしていたのは、毎日かかさず書いてきた真理子さんの日記を読んでいたからでしょうか。ところどころに色鉛筆で書いたかわいいさし絵のはいった日記には、家族のこと、駒込のおうちの庭の木や草花のことなどが、整った美しい文字で書かれてありました。そこには明るい御家庭で、素直にやさしく育っている真理子さんの様子がよく表されておりました。
 本が好きで、すすんで読書をしていたのも印象的です。
 三年生の頃から、みんながあまり読まないような文学作品にも親しんで、その感想を読んでは、感受性の鋭さ、表現力の豊かさによく驚かされたものでした。作文力が抜群で、豊島区の読書感想文コンクールには学校代表として出品され、優秀作品に選ばれたこともありました。思いやりの深い純真な心の真理子さんでしたから、その作品には誰をもひきつける力がありました。
 こうして書いておりますと、古河庭園で御家族四人で休日を楽しんでいらっしゃる所にばったり出会った日のこと、渋谷でのバイオリンの発表会、高麗清流園の移動教室、牛乳ビンを黙って洗ってくれたこと、校庭でいっしょにボールで遊んだ日のことなど、次から次へとよみがえってまいります。
 いつかお会いできる日までと四年のクラスのお別れの時にいただいたアルバムには、真理子さんが妹の恵理子さんといっしょに笑顔ですわっています。
「先生が大好きです。組がえしても松本先生とすごした今までのことはいつまでもわすれないことと思います」の言葉をアルバムに残して去っていってしまった真理子さん、今はもはやお目にかかることができなくなってしまいました。
 書くことがたくさんあるような気がして、気ばかりあせってなかなかうまくまとまらず、本当に申し訳ございません。
 豊島区の読書感想文集と駒込小の文集に載っていた真理子さんの作品を同封いたしました。
 どうぞご家族の皆様、くれぐれもお体をご大切になさいますようお祈り申し上げます。
 真理子様のご冥福を心から祈りつつ。

ここから先は

119,836字 / 2画像

KAPPA

¥1,500 / 月
このメンバーシップの詳細