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ソクラテスの哲学:プラトン『ソクラテスの弁明』の研究

死を選んだ哲学者ソクラテスの哲学と現代への影響

西洋哲学と東洋哲学の違いはどこにあるのか

その哲学的探究と対話スタイルで知られているギリシャ時代の哲学者、ソクラテス。
ギリシャ哲学はその後の西洋哲学にも大きな影響を与えているとされるが、その中身を知らない人は少なくないのではないか。

西洋哲学の祖であるソクラテスの哲学と、彼の思想が現代の西洋哲学にどう生きているかを見てみよう。

 ソクラテスは「無知の知」で知られるギリシャの哲学者です。

 彼は自らを「神からの啓示を受けている」と公言し、対話と質問を通じて政治家や知識人を論破したため、当時の保守派の怒りを買いました。

 異端とされたソクラテスは、神々を冒涜した罪で告発されます。最後は死刑判決を受け、毒を飲んで死に甘んじることになります。

なぜソクラテスは死を選んだのか
 本書は、ソクラテスの哲学は「私は哲学しながら生きていかなければならない」というソクラテスの生き方と一体で理解されるべきであるとの考えの元、ソクラテスの哲学とその生き方を解説する内容となっています。

 現代の私たちはギリシャ哲学を、ソクラテス—プラトン—アリストテレスという系譜で認識しています。ここでソクラテスの哲学にはどのような特徴があるのかを確認しましょう。

・哲学的探求の重要性=知識や真理を追求することが人生の重要な目的である。
・知恵と実践の結びつき=知識は実践に結びつけることで、人々の幸福や社会の改善に寄与する。
・自己啓発と人間的成長=知識を追い求めながら生きることで、より良い人生を送ることができる。

 ソクラテスは知識の追求と真理を探求する使命を果たすために死を選びましたが、有名な哲学者となったのは、その異端性ゆえとも言えるのです。

西洋哲学と東洋哲学はどう違うのか
 続いて、ソクラテスの哲学が現代に与えている影響と東洋哲学との違いを見てみます。

 西洋哲学には次のような特徴があります。

・個人の権利、法の正義、人権に焦点
・自己認識と批判的思考
・自分自身や信念、価値観について深く考える姿勢

 狭く深く思考し真理を追求するスタイルは、共同体の調和や仁愛を重視する東洋哲学のスタイルと大きく異なります。上記の西洋哲学の特徴は、ソクラテスの対話と質問を通じた論理的なスタイルが基礎となっていることがわかるでしょう。

 少子高齢社会や、低い生産性、円の価値暴落など、多くの課題を抱える日本。西洋の先進事例に習えば課題を解決できるようにも思えますが、本当にそうなのでしょうか。

 思想は個人の価値観だけでなく社会システムをもかたちづくっています。本書を読むと、そのことに改めて気づかされます。

文:筒井永英

[著者プロフィール]
甲斐 博見(かい・ひろみ)
日本の哲学者、著述家。西洋哲学におけるソクラテスとプラトンに焦点を当てて研究している。特にプラトンの対話篇『ソクラテスの弁明』の研究で高く評価されている。


まえがき

 最初、筆者は本書を書くにあたってソクラテス独自の哲学をプラトンの『ソクラテスの弁明』(以下『弁明』と略記)だけから描きだせるという見通しをもって、その課題を『弁明』全体のテキスト解釈によって行なうことを構想していた。それはソクラテスの哲学を当たり前のようにいわれるソクラテス―プラトン―アリストテレスという哲学史的展開のなかに位置づけないで、彼の哲学を完全に彼の哲学的生、すなわち「私は哲学しながら生きていかなければならない」という彼の生き方と一体に理解しなければならないと考えたからである。筆者は長いあいだ『弁明』を読んできて、この著作がプラトンの創作ではなくてソクラテス自身の話したものであり、プラトンはそのソクラテスの言葉をできるかぎり忠実に『弁明』に書き記したのだという確信をもつようになっていった。というのは、『弁明』で露わにされるソクラテスの哲学―哲学的生はそれをデルポイの神託を受けて以来生きて来た当事者が語るのにふさわしいものであり、創作に馴染まない内容であると思われたからである。

 しかし、この確信はソクラテスとプラトンの間柄について曖昧な理解しかもたなかったので未熟なものであった。両者の哲学の違いはどこに、どのようにあるのか。プラトンの初期対話篇群は『弁明』の「ソクラテスの哲学」と同じなのか。違うならどのように違うのか。『弁明』をソクラテスのものとみなすならば、プラトンはどこから、どのように彼の哲学に着手したのか。そして翻って考えれば、『弁明』のどこに、どのように「ソクラテスの哲学」が書かれているのか。これらのことがよく分かっていなかったからである。

 しかし、『弁明』の28a2以下のいわゆる魂の気遣いの勧告が行なわれる箇所の解釈をしていたとき、「ソクラテスの哲学」というのはそのまま自他の吟味であり、生の吟味である、ということがすこし分かってくるようになった。ソクラテスはプラトンの初期対話篇のように哲学的諸問題の事象的探究をする哲学ではなくて、生の吟味のための哲学を人々のあいだを歩き回ってしているのであり、それを無視してその哲学(学説)だけを抽出しようとするのは意味がないと思われるようになったのである。生の吟味という点ではメレトスとの問答がその好例であろう。その問答をとおしてメレトスの魂のたたずまいが露わになってくるからである。ここにおいて、筆者は『弁明』にはただ生の吟味という哲学をしてきたソクラテスの哲学的生が示されており、そのようにして生きた者として自分のことばかりでなくおよそ人間の生きる現実と真実について七十歳のソクラテスがおのれの思慮・知(プロネーシス)を尽くして真実のすべてを語っていると思うようになったのである。

 とはいえ、筆者にはこのような理解によってもまだソクラテスのことが分かったという感じになったわけではなかった。それは彼の哲学的生というのが結局のところ主知主義的な生き方ではないのかという思いを拭い去ることができなかったからである。たとえそのソクラテスの哲学的生が人間の生の知性的な純化でありうるとしても、それは精神の覚醒だけで存在できる人間並み以上の人間の生き方ではなかろうか。そしてプラトンが『弁明』でそのような精神的な覚醒者を書いたとするなら、それこそ『弁明』は才能に溢れた若いプラトンがつくりあげた哲人ソクラテスの創作であると理解しても構わないのではないかとさえ思われたのである。

 そのころ、『弁明』を統一的に解釈することを試みた本書の最初のヴァージョンはできあがりつつあったが、いま述べたような隔靴掻痒の感は残ったままであった。ちょうどそのようなとき、天啓のように、「ソクラテスという人間はみずから本当に魂を気遣って生きていたのだ」、『弁明』のソクラテスがごく自然に「魂の気遣い」という言葉を使っているのは彼にとって説明するまでもないことだったのだ、ということに気づいたのである。そこで筆者はつぎのように思った。ソクラテスにとって、魂の気遣いは哲学的生以前に人の生きることを根本のところで意味づけているものであり、魂が存在することは哲学に先立つことであり、哲学の前提であったのではないか。誰しもが各々そのような魂として存在し、魂を気遣いながら生きているのであり、それを見失えば、人としての生を生きることから逸れてしまい、『弁明』のなかの魂の気遣いの勧告で言われるように、評判や金銭や名誉・地位のことばかり気遣う歪んだ魂(生)になるのではないか。そうであれば、各々のものとしてある魂は、ソクラテスにかぎった特別なことではなく、われわれの各々がそれを自分自身として生きていかなければならず、まさにそのようなものとして気遣われなければならないのではないか。そしてこう考えると、ソクラテスという人間はその魂の気遣いを当然のこととしてその気遣いの最善の仕方が生の吟味としての哲学であると自覚したのであり、魂の気遣いのための最善の在り方として哲学的生を生きたことになるということができるのではないか、と。

 さて、ソクラテスは魂の気遣いのために彼の哲学的生を生きたのだというところから見ると、なぜプラトンは『弁明』の延長線上に位置するように『クリトン』や『パイドン』を書いたのかということが分かってくるようになる。死刑票決後、人の世のなかから排除されたソクラテスは、そこで生きるわずらいから解放されてはっきりと魂そのものの存在になっていく。現実となったおのれの死への存在がそれを際立たせる。プラトンはこれらの対話篇でそのようなソクラテスを描いたのだ。とくに、『パイドン』では親しい仲間に囲まれて最後まで問答しながら哲学できる喜びのなかで、あの世の生への希望をもって死に臨みつつ幸福な一時ひとときを生きるソクラテスが描かれている。その『パイドン』の死にゆくソクラテスにおいてはたしかに魂の不死であることが信じられている。ここでプラトンは『弁明』のソクラテスが不死なる魂の人であり、神の配慮を受けているがゆえに、至福の死を迎えていることを見届けたのだと思う(驚くべき大往生の在り方!)。そのうえで、プラトンはこのソクラテスの死をもって遺した魂の不死という問題をみずからの思索のなかで真剣に考えたのだと思う。それは彼の哲学全体を限定する問題になるであろう。

 今日、魂の存在とか魂の気遣いといったことはほとんど実体をなくしてしまっているように見える。いまでは魂の不死性の問題などは絵空事であろう(ちなみに、ブレンターノはこの問題を哲学の真剣な問題にしようとした最後の哲学者といえるかもしれない)。それは西欧の近代化において「神は死んだ」からであり、もっと前(ローマ共和制の時代)から人間が「動物的人間(homo animalis)の圏域」のうちにある「理性的動物(animal rationale)」という意味での「人間らしい人間(homo humanus)」という存在了解によって生きるようになったからである(ハイデガー)。この人間たちと動物だけになって「ノアの箱舟」ならぬ「ノイラートの船」に乗って、自分たちで操船しながら、そのつど生じてくる難題に悪戦苦闘するうちにいつのまにか「何のために航海するのか」を忘れて、生きのびるために漂流するだけになりつつある近代社会の現実は、西欧にとどまらず世界の「歴運(Geschick)」(ハイデガー)となってしまっているようにみえる。(「ノイラートの船」のなかにはイスラムの人たちのような神を信じて変わらぬ生き方をしている者たちも乗り込んでいるが、彼らにこの船の歴運を変える力と自覚があるであろうか。)しかしそうであるからこそ、あらためてソクラテスの魂を気遣う哲学的生のことを思い出すことは大事なことになるであろう。ソクラテスは二千数百年ものあいだ人々に語り継がれてきた存在であり、人間の生き方のいわば羅針盤のような存在であり続けた。このソクラテスをいま甦らせわれわれの現前へもたらす試みは意味ある哲学的企てではなかろうか。

 さて、本書の題名は『ソクラテスの哲学――プラトン『ソクラテスの弁明』の研究』としたが、内容はいま述べたとおりである。いわゆる「ソクラテスの哲学」なるものを『弁明』から抽出することを目論んでいるわけではない。


 本書の諸章はソクラテスの哲学的生と魂の気遣いという観点から『弁明』の解釈を行なったものである。これらの諸章はそれぞれに対応する旧稿を素地にして書かれたが、上で述べたような事情から根本的に見直され大幅に書き改められている。また、これらの諸章はテキストの順番どおりに並べられてはいない。それは『弁明』の中心的問題からその広がりへと解釈が進んだからである。旧稿はそれぞれ独立した論文として書かれたので、本書にはそうした論文を集めた論文集のような名残が残っていて、ところどころ考察が重なるところがあるが、それを直す作業はあまりせずにそのままにしておいた。本書の諸章とその旧稿は以下のようになっている。


  序章 ソクラテスの哲学
「序論 ソクラテスの哲学」東京都立大学人文学報第三九九号、二〇〇八年
「ソクラテスと哲学・序論」西日本哲学会年報第九号、二〇〇一年
「プラトンのソクラテス像・序章(一)――『ソクラテスの弁明』に即して」福岡大学総合研究所報第九一号、一九八七年

  第一章 不知の知
「ソクラテスの不知の知について」東京都立大学人文学報、第三五六号、二〇〇五年、
「ソクラテスにおける哲学の誕生」森俊洋・中畑正志編『プラトン的探究』所収、九州大学出版会、一九九三年
「「真実を語る」ということ――『弁明』、「不知の知」の問題性」九州大学哲学会編『哲学論文集』第十六輯、一九八〇年

  第二章 魂の気遣い
「ソクラテスの魂の気遣いの勧告について――プラトン『ソクラテスの弁明』(28b3-30c1)の研究」東京都立大学人文学報、第三六七号、二〇〇六年

  第三章 言葉の真実を知り、生を吟味する哲学者、およびメレトス論駁
「ソクラテス 言葉の真実を知り、生を吟味する哲学者――『弁明』17a1-18a6と37e3-38a8を中心にして」東京都立大学人文学報 第三八四号、二〇〇七年、
「言葉の力或いは言葉の真実について――プラトン『ソクラテスの弁明』篇の冒頭部の言葉(17a1-18a6)」東京都立大学人文学報第二〇七号、一九八九年

  第四章 ソクラテスとプラトンの間柄――姉妹篇としての『弁明』と『クリトン』、とくに『クリトン』第二部の問題との関係
「ソクラテスとプラトンの間柄について――姉妹篇としての『ソクラテスの弁明』と『クリトン』」九州大学哲学会編
『哲学論文集』第四十四輯、二〇〇八年

 最後に、本書の註と各章の後につけられた付記、付論、補説、補記について一言お断りしておきたい。本文は主としてテキストの解釈に充てられたので、それから外れるものは註としたが、本文の流れに沿うものが多いので註は本文中に入れた。付記、付論、補説、補記は本文を書いた後で、単調になりがちなテキスト解釈を外から眺め、筆者自身の見方を外の空気にさらすために書き入れた。これらの工夫が本書の意図を少しでも浮かび上がらせることができれば幸いである。

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