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二人目妊娠期間中

妊娠がわかったとき、「うれしい」というよりも戸惑いが大きかった。
二人目妊活もうまくいかず、毎回の落胆に嫌気もあり、ちょうど自営業の仕事が軌道に乗ってきたから、ここらでパート勤めを辞めて、心機一転、自営業を頑張ってみよう!と思い、12月末に退職の意向を伝えた。そして間もない1月1日、妊娠検査薬でまさかの陽性。
つわりの気持ち悪さと体のだるさや眠さは、長女マルを妊娠していたときとは違って、「これがつわりか!」とわかるほどだった。妊娠したからには、雇用保険に加入している今の勤め先を退職するのは得策ではないから、育児休業手当をもらうために、退職願いは取り下げて、パートを続けることに。
自営業で、年末に依頼のあった新規の仕事はとてもやりがいがありそうで、がんばろうと思った矢先だった。でも体調が悪く、パートを続けながら自営業も頑張る気力も出ず、そのまま引き受けたらご迷惑をおかけするだろうと思い、詳しい事情を話さずに、他の方へお任せした。悔しかった。「ぜひあなたにお願いしたい」と言ってもらえたのに。自分の力だけではどうすることもできなかったことが悔しい。
マルも1歳半になり、自我が出てきて、それまでのように親の都合で物事を進められなくなってきた。日常の送り迎えや買い物が、大変になってきた。スーパーで大泣き、駐車場で逃亡。夕飯を作るまでの間も足にからみついて、ごみを散らかして、テーブルに頭をぶつけて泣いて。
私の母が毎月持ってくる育児本には、「テレビはできるだけ見せないようにしましょう」とか「働いていて保育園にいれているなら、一緒にいれる時間は全て子供を優先して、ごはんづくりも一緒に楽しんでやりましょう」、「泣いたらすぐに抱っこしてあげましょう」、「子供が満足するまで遊びに付き合ってあげてから家事をしましょう」とか書いてあって、やってみたけど、一緒に遊んでたら誰がごはんつくるのさ、という現実。保育園からの帰宅後の3時間でやらなければならないことがたくさんあるのに。

朝、マルが保育園へ行ったあと、朝ごはんの片づけ、部屋の片づけ、掃除をしてから、パート前の数分で自分の仕事、バス停まで走ってパートへ行って、残業しないようにガッチガチに仕事して、帰りのバスまで走って大急ぎで帰って、お迎えまでの数分仕事をし、マルを引き取り、夕食の買い物をして帰宅、保育園のお道具片づけ、おむつ替え、お夕飯の支度、食べさせて、片づけて、歯磨き、お風呂いれて、洗濯、汚れてたら手洗い、乾いた洗濯物を畳んで、本読んで、寝かしつけ、そこから翌日の保育園の準備、それから自分の仕事と勉強。マルを迎えに行ってから寝かしつけるまでの3時間は、何が起こるかわからない緊張感の中、始終、神経を張り詰めながらマルの相手をしつつ、千手観音のような動きで家事をこなし、冷蔵庫の中身と明日の給食の献立を調べ、明日の食事のことも考えて。自分のライブの練習もしなければ。マルが病気にかかれば、仕事を調整して病院へ連れていき、妊娠中で免疫力の落ちている私はもれなくその病気を頂戴する。起きてから寝るまで、1分も無駄にできない日常が一年以上続いて、もうヘトヘトだった。
妊娠してからは気持ち悪いし、夜に仕事をしようにも眠気に襲われる。でも千手観音は休む暇もない。体も日に日に重くなる。歩くと股関節が痛いし、マルを抱っこするのもつらくなる。お腹に体当たりされないように、抱き着いてくるマルをかわすようになる。このころ、正直、マルの扱いに手を焼いていた。私にはやっぱり子育てなんて無理。マルが落ち着きないのは、私の育て方が悪いんだろう。お腹の赤ちゃんのことを考えてあげる余裕はなかった。
マルの妊娠時より、お腹が大きくなるのが早かったし、股関節痛も早くから出ていた。恥骨痛もマルの時よりはやく始まって、産休に入った7月からは、お腹の重さで恥骨が割れんばかりにいたかった。親指のばね指も早くもはずれていた。でも慣れてるから、生まれてから注射しに行けばいいやと放置。
本当は、「もう無理、もう限界」って毎日毎日思っていた。でも「昨日は乗り越えられたから、まだ大丈夫、まだ頑張れる」と限界突破をしていたら、プツンと切れて終わってしまった。

(「いつかまた、心から笑える日がくる」に続く)

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