站桩功のイメージが違う

站桩功のイメージが違う 長文です・・・・
殆どの人の站桩功のイメージは、体を緩めて、重力により足裏に重さが下りていくと理解する。これは間違いではないが、このままでは鈍重で使えない。地面にギュッと卸してしまうと微妙な動きを感じることができない。これは以前に私のYOUYUBUで出したが、箱の中に得体の知れないものを入れて触ろうとする時、はじめからギュッととは触らない そ~~っと触るはずである。足の裏を敏感にするにはずっしりと降りてはならない。軽くすることが求められる。では軽くするにはどうするのか、これがわからない。よく気球が地面にロープで止められているようなイメージと説明をしている。以前、ひとみ先生から、頭を気球のように軽くして上に上がっていくと教えられた。それからだいぶ時間がたって、最近は内臓を軽く肋骨内に引き上げるようにしている。これらは、よく言わてい堤肛、肛門をしめる・会陰を引き上げると同じ意味だ。これらをするためには、中正安舒でなければできない。中正安舒になるためには、頭を下げずに放鬆すると体は正しい中心の位置に修正しくれる。自分で動かしたりしない。これは站桩功で練習して、套路で実践する。体全体が無重力のように軽くなるので、手を動かしたりするときは勁力は使わない。意で軽く動かす。普通は頭は軽い「陽」で、足が重い「陰」になっている。この足裏の「陰」の中で「陽」をを使う。これは、よく言われる陰の中に陽があること。頭が気球のように軽く、上に引き上げられ、足裏も地面から離れるような軽さがある。軽いことで、踏ん張ることができない。いわゆる支点ができないから相手も抵抗する手掛かりができない。合気の先生の動画で、最後の方で、足の支点を感じ取られて抵抗される言っているのはこのとだ。馬張勲老師は、池の上の蓮の葉の上に立つイメージといわれている

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