見出し画像

だから私は両手をあけて

※ただのお気持ち表明文ですのでご注意ください。

昔から大好きなグループの新曲が出た。
CDのリリースはまだだが、MVは少し前にYouTubeで公開された。

公開される前は、正直に言って不安しかなかった。
楽曲提供者が発表されたとき、バズりだけを意識したような曲が出るのか、売れるためにはやむなしかもしれないが、結局そういう路線か、と落胆してしまった。
その方の名前はもともと知っていて、これまでに書かれた曲のいくつかは私もとても好きなものだった。しかし、最近書かれた曲は全然好きになれなかった。曲もかわいく振り付けも真似しやすいし、「バズった」曲だった。TikTokで死ぬほど流れてきたせいでうんざりしたという面もないではない。
その方のTwitterのbioにはこう書いてある。

世界でいちばんかわいい音楽をつくります。

正直に言って不安しかなかった。

そのグループのことを詳しく知っている人はあまり多くないかもしれないが、ここでは、私との関わりを少しだけ記す。
8、9年ほど前、私は生まれて初めて「女性アイドルを好きになる」という経験をした。今で言えば「推す」という経験かもしれない。その経験をさせてくれた人が所属していたグループだ。
昨年末に、彼女はそのグループを卒業した。卒業記念ライブも行われた。
彼女が卒業した翌日に、そのグループは新メンバー2人を加えた新体制に移行し、新体制初ライブを行った。

私は、彼女の卒業に伴ってそのグループのファンも辞めることになるかもしれないと思っていた。私の人生の第2期と第3期に支え続けてくれた彼女。幾度となく私に生きる力を与えてくれた彼女。その彼女の姿や声はもうそのグループにはない。そう思うと私の人生の第3期もここで区切りをつけ、第4期の始まりを待つのが自然な気がした。
しかし、新体制の初ライブを見ずにファンを辞めるのは不義理というものだろう。そこで、結果的にファンを辞めることになったとしても、新体制初ライブを見た上でそうなったならやむなしと思い、そのライブを見に行った。

新体制移行後初のライブは、彼女のいない寂しさや悲しさを微塵も感じさせなかった。
彼女が心から大切に想ったグループであること、残りのメンバーはその思いを胸に、一瞬一瞬を精一杯に生きていること、今のありのままの自分達を見てほしいという覚悟が彼女達にあったこと、それらを感じさせる時間だった。
チョロいオタクだなと思われるかもしれない。でも、このグループを一生好きでいようという気持ちに変わった。


その曲は、新体制移行後、初めてリリースされる曲だった。
どういう曲になるか期待と不安が入り混じるファンも多かったと思う。
一生好きでいるつもりでいたが、早くも心が揺らぐ。自分のなんと身勝手なことか。

先日、ラジオの冠番組で表題曲が初めて解禁された。しかもフル尺。
私はながら聞きしていたので、あまり集中して曲を聞くことができなかった。「悪い曲ではないけど、まぁあまり好みではないかもな」というのが放送を聞いた率直な感想だった。
底抜けにポップで、「今日どうする?」とか「好き」だとか「いいね」だとか、一聴したところ歌詞がかわいすぎるし、流行りに乗った空虚さを感じた。極め付けは私の苦手な小室進行の多用。

私の信条として、グループの関係者の目につく可能性のあるところで、その人達が傷つき得る発言はしない、というものがある(「この記事はどうなんだ」という批判は甘んじて受け入れる。)。
どう反応すべきか迷い、上手く言葉にできなかった。挙げ句の果てに、それらしい、皮相的な褒め言葉をSNSに投稿したような気がする。


そのラジオ放送の翌日に、MVがYouTubeで公開された。
底抜けにポップで、「かわいい」に全振りした内容だった。
K-POPガールズグループのMV風の制服衣装とダンスシーン。大バズりした同事務所の後輩グループを思わせるメンバーカラーを基調としたかわいい衣装と一人一人のリップシンク。

これらは全て、私の迷いを増幅させた。ただの我儘に過ぎないが、楽しむための趣味でネガティブな感情を抱いてしまうくらいなら、少しの間距離を置いてみるべきか、とも思った。
新体制初ライブを見た後の思いは何処へやら。
私は私が見たいものを勝手に彼女たちに投影していただけなのだ。
それに気づいてますます自分が嫌になった。


私が私の迷いをどうにもできずにいる間に、SNSでは歌詞の文字起こしを始めるファンが出てきたようだ。ファンの間でも歌詞の内容について意見が分かれる箇所があったらしい。
私は一応歌詞をもう一度聞いてみるかと思い、ある方がアップロードした歌詞と照らし合わせながらラジオを聞き返すことにした。


良くわからない部分は何箇所か残ったが、絶対こう歌っていると確信できる箇所があった。

そして、ああ、四足歩行をやめて 両手あいてるのに また手もつなげない現代を一緒に生きていく方法とか、考えてくれませんか?

衝撃的だった。
自分が一度半ば見下した曲は、単にかわいいだけの空虚な曲ではなかった。流行りを踏襲し、王道を多用した凡曲ではなかった。
現代の閉塞感と世知辛さが、誰もが知る人類史を引照することで、圧倒的なリアリティをもって描き出されていた。それにもかかわらず悲愴的ではなく、悲壮感がそこにはあった。ままならなさを引き受け、それでも生を全うしようとする姿を見た。

MV公開から程なくして、MV動画のコメント欄に、グループの公式アカウントによって歌詞全文が掲載された。

全般的に散りばめられたプラグマティックな単語の数々。
「共闘」、「作戦会議」、「強度」、「共同戦線」、「団体戦」、「最重要人物」等。
楽曲のポップさに見合わない言葉だらけ。

その一方で、目を引く文の拙さ。まるで中学生が、覚えたての言葉を使いたがっているかのよう。
そういえば上記の単語も、難しすぎる言葉というわけではなく、プライベートな場や歌の中では普通使われないという程度の固さ。

それらの対比によって、高揚感・喜びと幼さ・かわいげを感じさせる。巧みな構成力。


しかし、それだけではない。
この歌は確実に、人に前を向かせる、人にしっかりと自分の足で地を歩ませる、力を持っていると感じた。

同じグループの楽曲に「つらいときはみんなで手をつないで力を合わせよう」と歌った曲がある。2011年の震災からの復興を支援する思いで書かれた曲らしく、先日グラミー賞を受賞された方が書いたもの。

だが、ここ数年、人々は表立って寄り添い合うことができただろうか。その空いている両手をつなぐことができただろうか。
そんな時代に、我々はどうすれば共に生きられるだろうか。

あるいは、現代に生きる我々は、目先の何かに心を囚われ、空いているはずの両手さえも、無意識のうちにその何かで埋めてしまってはいないか。
この世界に共に在る喜びを分かち合うことをおざなりにし、合理に執心してはいないか。
一時の欲望を優先して、自分の利益のために他者を蔑ろにしてはいないか。

易きに流れ、そう問うことを止めていないか。
共に生き、共に生を喜ぶために、他者と共にそう問い、思考しなければならないのではないか。
他者と共にそう思考し続けること。それを引き受けるこそ、共に生き、共に生を喜ぶことではないか。

うちら今日どうだった?
そんなことをずっとさ、
いいあって高め合えるのがいいよね
お互い好きのために戦える感じがする!
10年経っても愛してたいから
君と自分もね


アイドルグループに限らず、芸能人や有名人は単なる欲望の対象としてしか捉えられないことも多い大量消費社会。

そんな時代に、私は、このグループとこの曲が、単なる消費の対象とされないことを切に願う。
私は、このグループとこの曲が人の心を震わせる力を持っていることが少しでも多くの人に伝わる一助になれればと思い、この記事を書いた。

私は、前述の彼女に、そしてこのグループに、幾度となく助けられてきた。何の誇張もなく、生きる力をもらってきた。
これは彼女達の初めての曲。今ここがスタートラインであり、彼女達はまだ頑張ってる途中だ。

(本記事に掲載した歌詞はヤマモトショウさんによるものです。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?