見出し画像

ホロライブ5th fes.に参加して"推し活"について思うこと

推し活"という言葉がいつ頃から持て囃されたのか。正直よく覚えていないが少なくともVtuber業界において"清く正しい推し活をしよう!"という流れを決定付けたのは昨年5月にホロライブプロダクションが声明を出したサポーターガイドラインだろう。

まずこの声明で書かれている内容はすべて正しいし、応援活動はそうあるべきという理想系なのは間違いない。

その上で、これまで良くも悪くも混沌の時代にオタク活動を続けてきてもはや老害となりつつある自分の様なオタクにとって、"推し活"という言葉が公式側やメディアから持て囃されることに居心地の悪さを感じるし、そういうオタク層も少なくないと思っている。

推し活、オタ活、応援活動、言葉はなんでもいいが自分にとってこれらオタク活動は究極的には自己満足でしかないと思っているのでそれを清い行いの様に持て囃す風潮が肌に合わないし、そういう理由もあり"推し活"や"ホロリス"を自認しないみたいなスタンスでVtuberをみている部分があった。

Vtuberの魅力として双方向性を挙げられることは多いが、自分にとってそれはあくまで配信者とリスナー互いが好きなようにやっていく中で何か交わる部分があるみたいな不確定要素が好きな訳であって、
推し活だとかスパチャ読みだとか、謂わば人工的に整備された綺麗なオープンコミュニティでオタク側からも積極的に発信していこう、みたいなマインドに引っかかりを感じてしまうのだろうな。

ホロライブを中心にVtuber界のトップ層が今だにスパチャ読みを行っていることは勿論素晴らしいことではあるのだが、正直苦手意識も否めない。(尚推しにスパチャは送るしスパチャ読みも見に行っている模様)

そこらへん絶妙な感覚の話は月ノ美兎のスパチャ読みに対する言及に全て集約されている。
抜粋すると、

最近わたくし複垢で好きな個人勢Vtuberにスパチャを投げたことがあったんですけど、××さんありがとうございますって読まれた時クソ脳汁出た。
わたくしってスパチャ読まないんですよ、あんまり。
でもこの機会損失させてるんだっていう自分の罪を知った。
読まれて嬉しい気持ちめっちゃ分かっちゃった。
更に言うと、いっちゃんマジ、クソ脳汁出るのはスパチャじゃないコメント読まれた時なんだろうね。

でも勝手に送る、自己満スパチャがいっちゃん健康的なサイクルだとは思う。
あのスーパーチャットっていうのはね、
読んでもらえるのかを前提に送るのが、
健康なサイクルではないと思うんですよね。
近頃こういう見返りを求めて何かをするっていう行為がね、
たくさん世の中にはびこっていますけれども…

月ノ美兎がスパチャ読みしないVtuberの代表格としてこの様な感覚を抱いているであろうことは解釈的に分かっていたし、だからこそ安心して好きでいられるのだが、本人から改めて明言されてかなりスッキリした部分もある。

学生が初めてのバイトで得た収入で「人生初赤スパ出来ました!」や社会人であっても自身の収入の10倍近くの所得の配信者に対してセコセコとスパチャを送る行為は、構造を理解してやっている分には自己満であるので否定されるべきものではないが、清く正しいと思っている推し活の中に潜むグロテスクさは自覚して置くべきだとも思う。
実際月ノ美兎も上記の雑談上でにじさんじライバーにスパチャを投げる気持ちはない、みんな儲かってるのを知っているからと明言している。

アイドルとは物語だと思っているのだけど、スーパーチャットという行為をグロテスクに分解すると、推しアイドル(配信者)の物語に自分の痕跡を無理矢理入れ込むために楔を打ち込む行為だともいえる。
スーパーチャットを使えば登録者数何百万人のモンスター配信者とも対等にやり取りが出来ているかのように錯覚してしまいがちだが、そういう構造を理解した上で自己満活動をやっていきたいと思う。

余談だがnote下書きの中に【推し活やめろファンレを書け】というのがあった。
これはまさしくホロライブが推し活についての声明文を出した時期に何か言及しようと思ったもののめんどくさくなってやめた残骸だった。
ここまで書いてきた様に推し活というのはオープンコミュニティで清く正しい応援活動をしましょうというものであり、その対極を考えた時思いついたのがファンレターだった。
勿論ファンレターを書くというのは光のオタク行為そのものでもあるのだが、クローズドな場で自分の想いを一方的に送りつける独善さも内包している。
それは純粋な祈りでもあるのだろうし、あなたのことが好きで好きで仕方ないという想いが自分の中だけにおさまっているのが許せない呪いの様なものでもあり、まさしく推し活の対極である。
運営側から求められる健全な消費者像の型に嵌められるな。お前はお前だけの純粋な自己満と独善を貫け(その中で何かしらの双方向性が生まれたら更に良いよね)。
というのが推し活やめろファンレを書け論でした。まあ余談ですね。


最後にこれは某アイドルVtuberのあまりにも先鋭的かつ本質的な言及、

古参マウントやスーパーチャットは我々無産のオタクに残された最後の快楽だからね


ホロライブ5thFes.と推し活

前置きがアホ長くなったがここからホロライブ5thFes.について書く。

ネット上やメディア上ではそれなりに定着しつつある"推し活"という言葉だが、実際のライブ現場でどう現れていたか。
"推し活"は少なくともホロライブ現場のオタクの中でかなり定着してきていると感じた。

まず、痛バやぬいを持ち歩く文化が環境になっていたのに驚いた。確かにネット上でそれらを見かけることは増えていたし、最近では痛バ推進派のVtuberも多く痛バを作る講座や痛バやグッズの博覧会系の配信も増えている様に思う。

推し活という言葉を自分の中で咀嚼した時気づいたのが応援活動の"見える化"である。
配信の感想はハッシュタグでなるべく推しや運営に直接伝えよう。ライブの応援は誰を応援しているか視覚的に伝わるようにしよう。
それらはオープンコミュニティでやることが前提であるため、逆説的に推し活は清く正しくなければならない。

ライブ中のオタクのマナーも非常に良かった。
周りのオタクの迷惑になり過ぎない範囲で盛り上がりつつ、公式ペンライトやぬいを振るみたいな人も多くいたし、被り物や応援うちわ等女オタク界隈の文化が流れてきているのを感じた。そういう応援手段こそが応援活動の見える化であり推し活である。

また過度な声出しやジャンプ、uoグルグル等所謂厄介行為の摘発もかなり熱心に行われていたらしく、運営も清く正しい推し活を推進していた。オタクの感想を覗いていても俺たちで推し活を実現していくんだというマインドが散見されるようになっており、明らかに現場の推し活化が促進されているのをヒシヒシと感じていた。

そんな推し活で溢れる現場を自分は斜に構えて、どこか俯瞰的にみていたように思う。
清く正しく全力で推し活をしているオタク達を冷めた目で見てしまっていた部分があるのも否めないが、今冷静に振り返ってみるとキラキラしている彼らが羨ましかったのかもしれない。

自分が参加したHoneyWorks stage、hololive stage3共に素晴らしかったし特にstage3は最後に相応しく序盤から全力で畳み掛けるアホみたいなセトリにホロライブのセトリ理解度がこんなに高いとは…と脱帽していた。
そう、とても良いライブだった。久しぶりにオタク系の超大型ライブを満喫することが出来た。出来たのだが…、斜に構えていた自分は清く正しく全力で推し活をしていたホロリスたちの熱気に明らかに負けていたし、楽しみきれなかった部分があったという後悔も残っている。
良いライブだったけど優勝したという感覚には至らなかった。その違いは斜に構えていた自分のメンタリティに依存していたように思う。

Vtuberのライブ現場の中でも、意識高い系サブカル男女向きに舵を切ったと思われるにじさんじ現場と清く正しい推し活を促進していくであろうホロライブ現場。何が正しいとかいうつもりはまったくないがこれから自分がどういう自己満の道に進んでいくか、改めて考えさせられる機会になったし、正直このままでは終われないという気持ちが数年振りに灯ってきた。

最後に、前回の記事でVtuberの作家性について書いたのだけど、今回のライブではホロライブ内での作家性の発展に伴い物語の個別化、文脈の複雑化が進み、余程熱心なホロリスでないと物語を拾いにくいというのがあった。

それこそ2020年頃までのVtuberライブならソロ曲を持っている人は少数派で、その分有名アニソンやボカロに文脈を重ねて披露し、コラボではそれらのアンセム的なやつをやって大団円といったように物語性を拾うのが分かりやすかった部分が多かったのだが、現在のホロライブの様に範囲が広すぎるのとそれぞれの作家性が個別的過ぎるのでそれら全てを拾うのがかなり難しくなってきた。

だからこそ全部拾える人の脳汁は常にドバドバなのだろうし、物語の個別化が進むことで自分の推しのステージの重要度がマシマシの脳汁ドバドバになるので良い部分も沢山ある。

いずれにせよ物語の個別化が進む中でホロライブシティの様な地方巡業を行いメンバーを分散させることや、ぺこーらソロライブ大成功もあり個人イベントの発展がこれからのホロライブの向かうべき方向性のひとつになるのは間違いないが、逆に今後の全体ライブにどのような物語を帯びさせるのか、正直想像がつかなくなってきている。

だからこそ来年もフェスを行うのだとしたらどんなフェスになるのか楽しみだし、それまでに現場オタクとして訛りに訛ったこの感覚をどこまで研ぎ澄ませることが出来るのか、答えはまた来年ということで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?