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「学び」だとか「ハック」だとか

そんな言葉が苦手だ。

学び

大学3年の時に受けた文学部の講義で先生が言っていた「一日に一度も辞書を引かない人はまずい」という言葉が非常に印象に残っている。当時も今も、私は無意識に辞書を引きがちだし、さらには他人に言葉の誤用を指摘するお節介さすら持ち併せるほど、日常的に言葉に気をつかっている。

「持ち合わせる」「持ち併せる」
具体的にどのような違いがあるのか検索する。・・・
この検索結果で私は「学び」を得る。
出たよ、学び

今日の学びはコレ!
「持ち合わせる」「持ち併せる」の違いについて!「持ち合わせる」は・・・で、「持ち併せる」は・・・という意味でした!今日も一つ成長!みんなにシェア!

なるほど、私が「学び」についてつまずくのは、最後の「シェア」の部分だろう。各々が生きている中で日々新しい学びを得ている。私も、知らないことをなくす行為が楽しいので、日々辞書をひく。しかし、この「知りたい欲求」、そして「知らないことへの恐怖」に漬け込み、「学び」を投げつけてくる奴ら。毎日何かを学んでいないといけないと言わんばかりに脅迫してくる奴ら(「奴ら」というのは、人間も、物体も、言葉も含めて)。そういったものが苦手だ。一人一人が自分の中でアップデートを行っていけばいいのに。そしてそれらに群がる人間。彼らはもう勝手にすればいい。むしろ、その「学び」の先に何があるのかを見てみたい。とりあえず一旦落ち着いて。

ハック

コロナ禍の就活でウンウン苦しんでいた時、もっとも苦手で目にするとウッとくる言葉がこれだった。「ハック」「ライフハック」。もともとはコンピューター関連に由来のある言葉だそうだが、今日の使われ方を一言でまとめると「荒波をくぐり抜ける便利な小技」といったところだろうか。

なぜ自分が苦しんでいる時、この言葉が苦手だったのか。
この「苦しみ」をもっと細かくすると、「このツラめな世の中で生きていく苦しみ」である。
なぜこんなに苦しい、みんな苦しんでいるのに、その根本を変えようとせず、こっちが小技を使わなきゃならないんだ、そんなことを思っていたような気がする。
「苦しい世の中」を諦め、「俺はこれで乗り越えていくからお先に」という感じ?そんな大人がウヨウヨしていて、みんな笑顔を貼り付けているような。

つまり

つまり、私はこれらのことを人よりも気にしてるのだろう。だから、人並み以上にこの言葉に敏感に反応する。自分の中にある「成長しなくてはいけない」「より良く生きなくてはならない」という強迫観念を感じる。だからせめて、こうして批判的な態度をとることしかできない。

※写真は金沢八景で釣った魚 マジで美味しかった(苦労の味)

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