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努力は報われる?
努力は報われる
努力は報われない
1年ほど前に、ちょっと話題になっていました。
「報われる」って辞書によると
努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること
だそうだ。
「それに見合ったような」「期待通りの」っていう主観的なものだから、どう捉えようと人の勝手ですね。
優勝を目指して、とことん努力したが、優勝できなかった。
「優勝」は期待だけれど、「それに見合ったような」は誰が判断するんじゃってことになると思うのです。
自分で「それに見合ったような」努力をしたと思っていても、人から見れば「まだまだだな」ってこともありますもんね。
私は母に「努力の人」と言われました。
当時は「才能ないって事ですかい?」と思いましたが、
後に人に「努力出来るってことも才能だよ」と言われ、にんまり納得。
ただ、私は後悔したくなかったから、自分の思う出来る限りの、120%の準備・努力・体調管理をして、いつも本番に臨んでいました。それがたとえ優勝とか成功の最高位の結果にならなかったとしても、「あれだけやった結果がこれだったんだから、仕方ない」と思えるように。
そして、「あれだけ頑張ったけど、もっと努力した人がいたってことだな」「私はここまでの持前なんだな」って思いました。諦めじゃないですよ。
だって、すごい人ってどこにでもいますもんね。
かつて柔道の篠原選手が、オリンピックの試合で誤審であろう結果に対して、
「弱いから負けたんです。それだけです」って言ったのが印象に残っています。(おっしゃった言葉そのままではありません)
誤審があろうと、それ以前に、自分が強くて一本勝ちしていたらなんら問題ない。
それが出来なかった自分は弱かったんだ。だから負けたんだ。ってっことだと解釈しました。
この言葉が大好きで、私も、「自分の考えられる精一杯」の努力を自分に課していました。弱かったから負けたって言いたいがために。
報われるのは「期待した結果が得られた」と辞書は言っています。期待したっていうのがみそですね。目に見える結果がなくとも、それによって知ること、感じること、これからのことを観ることが出来る。報われたと思えるかは人それぞれだが、挑戦し向かったことは決して無駄ではないと思う。
この記事は1年前に書いたものだけれど、
ちょうど、先日「リバーサルオーケストラ」のドラマを観ていた時に、
才能のある人に対して、どうしたってそこにはたどり着けないという話があった。
その時、あるオーケストラメンバーが言った。
「でも、俺たちその分、努力することは誰にも負けない」って。
うんうん、私もそうだ。努力することは、誰にも負けないって言える!
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