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悶絶したのは緑の中

「ううう……」

私は倒れていた。

場所はフットサル場の芝生のピッチの中。

耳にほっぺに芝生がチクチク痛い。

何が起こったんだ?

そうだ、私はさっき相手のボールを取りに行こうとダッシュしたときに「ブチーー!!」という今まで聴いたことのない効果音が膝から聴いたんだ。

それからはもう立てなかった。

周りに人が集まってくる。

恥ずかしい、怖い、情けない、様々な感情が渦巻く余裕もないほど、膝は悲鳴をあげていた。

本当の恐怖は、家までなんとか足を引きずりながら帰って、冷静になってからだった。

「そうだ、俺、先週会社辞めたんだった」

そして問題は、次の就職先も決まっていなかったことだった。

十年務めた会社を自己都合で辞め、そろそろ転職活動をしなければ、と思っていた矢先のことだった。

翌日になっても痛みがひかない膝を触ると、いやな予感がした。

いくら貯金をある程度残して辞めたとはいえ、自分が家主となり家賃や生活費を払って、家族で住んでいるマンションでの平和な生活。

それが、一気に保証されない可能性が出てきたのだ。なぜなら、怪我の度合いによっては、すぐに転職活動ができないかもしれないからだ。手術費もかかるかもしれない。冬だというのに、額から汗が垂れていた気がした。

悶々としたまま病院に行き、人生初のMRIを撮ってもらって数日後、担当医はあっさりと告げた。

「こりゃ完全に、右膝靭帯断裂だね」

まるで、今日は夕方から雨が降るね、みたいにあっさりと彼は言った。

絶望の淵に追い込まれたうえで、絶望に囲まれた心地だった。つまり、絶望の四面楚歌だ。緑のピッチが真っ赤な血に染まった。

右膝靭帯断裂という怪我は、アスリートが選手生命を絶たれるかもしれないほどの大怪我だということは、知っていた。

再び、競技に戻れたとしても、以前のような活躍が出来なくなったり、そもそも復活までには少なくとも半年ほどかかる大怪我だということも知っていた。

「手術して入院しなくてはいけないね」

残念そうに、担当医は続けた。聞けば、手術をしない方法もあるそうだが、まだ三十代半ばの私が手術しない選択肢をとることは、後々歩けなくなる可能性が高いとのことだった。

それでも、その選択肢は魅力的に見えた。

手術費はかからないうえに、転職活動を開始できる時期も早くなるからだ。

だがその後、おじいさんになって、急にスーパーの鮮魚コーナーで半額セールの刺し身を持ってうずくまる自分を想像した。肝が冷えた。

一日置いて、私は「手術お願いします」と伝えた。転職活動の時期はどうなるのだろう?

聞いてみると、手術は一ヶ月後で、その後また一ヶ月ほど入院しなくてはならないそうだ。

さらに聞けば、退院しても数カ月は松葉杖の生活が続くとのこと。松葉杖で面接に行く自分を想像した。

駄目だ、受かる気がしない。

スマホを見ると、登録しておいた様々な転職支援サイトはブックマークの中で錆びていく気がした。

結局、手術までの一ヶ月間、転職支援サイトは一切見なかった。溜まっていく未読メールが不安を募らせる。

だが、心のどこかで、つかの間の休息を呑気に楽しもうとしている自分がいる。

そういえば、大学を卒業し就職してから十年間、サービス業だったのもあり、四連休以上の休みは一度もなかった。

それが突然、リハビリはあるとはいえ、二ヶ月の休みとなって襲いかかってきた。

人生はなかなか、いい塩梅で動かないものだ。

膨れ上がった右膝を触り、病室から空を見る。

空は広く、青く、美しかった。

よく見れば、散り散りになった雲は意外と早く動いている。

自分はこんなところで止まっていていいのか?

銀行の減っていくだけの残高を見ると、焦りがなくはなかったが、空を見ると心は晴れた。

そして、それから手術は無事終わり、その3ヶ月後。

私の松葉杖はとれた。

そして、久々の就職活動。十一年前、あんなに嫌いだった履歴書に加えて、転職の場合は書類審査に職務経歴書が加わる。

だが、意外とスムーズに書けた。前職のサービス業だったが、今回私は出版社を受けようと思っていた。なかなか、経験を結びつけることが難しそうだったが、なぜか苦労せず書けた。

そして、大嫌いだった面接。それに今は、ZOOMというPC上での遠隔面接が増え、慣れないことが多い。

だが、なぜか緊張はしなかったうえに、ほとんどが和やかに終わった。

結果、四月に始めた転職活動は四月のうちに終わった。

規模は小さい会社だったが、出版社に内定がもらえたからだ。

私の十年ぶりの就職活動は、終わってみるとあっけなかった。

よく、成功者の人が「遠回りすることは、実は成功への近道」と言っているのを聞く。

今回のこれは遠回りだったのだろうか?

よくわからないが、空は病室で見たときよりも透き通ったような青に見えた。

凪のように静かだった入院生活。

にわか雨のように一瞬だった転職活動。

これから嵐のような日々が待ち構えているのだろうか。

目線を下げていくと、春の陽光が木々に当たり、木漏れ日がこっちに伸びてきてるように見えた。

それは、黄緑の光に見えた。

その黄緑は、少年時代までさかのぼり、中学校の入学式で見た不安とワクワクを感じた光に似ていた。


#わたしの転職体験


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