18歳、オーウェン!

1993年。僕が中学生の頃、Jリーグが始まった。

Jのロゴが入ったTシャツを着て、Jリーグチップスを食べて、オーレーオレオレオレのCDを買った。

好きなチームは横浜マリノスだった。テレビで開幕戦のヴェルディ川崎VS横浜マリノスを見て、マリノスのゴールキーパー松永成立に惚れたからだ。

松永さんは、カズ、武田、北澤ら迫り来るヴェルディのチャラ男軍団のシュートを、スーパーセーブを連発して食い止めていた。

世の中には「ゴールキーパーが好きな人種」というのが一定数いる。僕もそうだったし、僕の親友もそうだった。

こういう人間はたいてい歪んでいる。

自分を重ね合わせているからだ。びゅんびゅんシュートを撃ち、また撃ち込んでくる景気のいい連中とは違って、それが何だか自分でもよくわからない大切なものを守り、防戦一方、四面楚歌、孤軍奮闘する自分を。シンプルに言えば、マゾっ気たっぷりの暗い人間だ。

1994年のアメリカワールドカップの時は、同級生がやれバルデラマだやれバッジョだと熱を上げていたので、つられて少しだけ見た。ユルゲン・クリンスマンは名前がかっこいいな、と思いドイツ代表のTシャツを買ったが、サッカー自体にそこまで興味は持てなかった。もとより僕はスポーツマンではない。部活は卓球部だ。

Jリーグは、サッカーというより、ムーブメントだった。日本において圧倒的に歴史があるスポーツは野球で、オヤジがビールを飲みながら見るのはプロ野球で、子供が頭をボウズにしてやるのは高校野球だった。日常生活の中にも野球用語があり、「全員野球」とは言っても「全員サッカー」とは言わない。

Jリーグの創設は、子供心に「この国の何かが変わる」という雰囲気を感じさせた。サッカー選手は明らかにスマートで、ファッショナブルで、軟派だった。オヤジ世代よりもっと自由な、俺たちの時代が来たような気がした。

しかし、流行はいつかは終わる。なりたいスポーツ選手ランキングの首位は、一時こそサッカーが獲得したものの、程なくして野球が返り咲いていた。そしてサッカー部はやはりチャラかった。

転機は、日本代表が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップ。

それまでの日本代表の見所といえば川口能活のスーパーセーブ、つまり我慢大会だった。しかし、この頃の日本代表では中田英寿、名波浩といったクリエイティブな選手が、僕のような素人目にも明らかに試合を面白くしていた。

アジア最終予選、ロスタイムの岡野の劇的なゴールでワールドカップ初出場を勝ち取った、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」を深夜に見た。翌日の学校はその話題で持ち切りだった。

1998年、僕は大学1年生になっていた。一人暮らしの高揚感はワールドカップ初出場以上で、深夜に気ままにテレビが見られる生活を満喫していた。開催期間の6月から7月はちょうど前期の試験の頃で、誰かの家に友人達と集まって試験勉強をしながら試合を見る、というより、試合を見ながら試験勉強をしていた、したことにしていた。

そして7月1日、僕は自分の人生観を変えるゴールを見ることになる。

それはグループリーグ、アルゼンチンVSイングランドでのことだ。

序盤から試合は白熱し、アルゼンチンはバティストゥータ、イングランドはシアラーという、両エースがPKで1点ずつを取り合う展開。

迎えた前半15分頃。

イングランドのインスがインターセプトしたボールがベッカムに渡る。

ベッカムが前線にふわりと放物線を描く浮き玉のパスを放つ。

その先に飛び出していたのが背番号20番。

右足の、なんとアウトサイドの、なんとトラップ一発でチャモをいなすと、腰を落としたドリブルで一気にスピードアップして振り切る。

ゴール前、キック一つでアジャラをかわし、バイタルエリア付近にいた同僚スコールズにパスはせず、冷静に抑えた右足を合わせて自らゴール。

「18歳、オーウェン!」

アナウンサーが感嘆の声を上げる。

これまで、こんな鮮烈なゴール、いやテクニック、運動の全てを、サッカーで見たことがなかった。

僕の脳裏に永遠に焼き付いたゴールだった。

それから僕は海外サッカー雑誌を熱心に読むようになり、海外サッカー放送を見るようになり、コナミの名作サッカーゲーム「ウイニングイレブン」シリーズを究めた。

マイケル・オーウェンを追い、イングランド代表を追い、プレミアリーグを追い、リバプールを追い、ヨーロッパサッカーを追い、世界のサッカーを追った。

サッカーは「世界の共通言語」と言われる。グローブとバットと、それなりの頭数がなければできない野球とは違って、サッカーはとりあえずボールが一つあればいい。

字義通りの共通言語でもあった。バイト先にウクライナ出身のお客さんが来たときに、「シェフチェンコ、レブロフ、ルズニー」と連呼すると、その人は相好を崩した。

大学の指導教官に「僕はサッカーが好きです」と言うと「サッカーは下品なスポーツだよ」と言われた。そのことがむしろ僕の確信を強くした。

イギリス映画だろうか、「サッカーと音楽しか成功の道がない」という言葉を聞いたことがある。サッカーは、労働者階級のスポーツだ。町に根付き、生活に根付き、人生に根付いている。ファンはサポーターと呼ばれ、「12番目の選手」とも言われる。スタジアムに響くチャント(応援歌)は感動的だ。

サッカーは、音楽などカルチャーとも親和性が強く、思想でもあった。たとえば選手の役割がしっかりと決まっていて、攻める側、守る側がきっちりと交代する野球とは違い、攻守が目まぐるしく変わり、選手のポジションは流動的で、時にはゴールキーパーすら攻撃に参加する、いわば「何でもあり」の世界。それが僕の人生観に馴染んだ。

大人になって働き出してからは、残念ながらサッカーからは遠ざかってしまったが、今でも僕の全身に満ちているのはサッカーの思想。

そして、それを拓いたのが、あの日のマイケル・オーウェンのスーパーゴールなのだ。

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