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関西弁との分岐点 ー私の大学受験ー

私は高校生の早い時期に、ヨースタイン・ゴルデルの有名な著作『ソフィーの世界』を読んで哲学者になることを、あるいはラフ・シモンズのスクールパンクコレクションに衝撃を受けてファッションデザイナーになることを夢想した。

しかし、圧倒的な才能及び情熱の、特に情熱の方の欠如を物分かりよく自覚し、自分が社会にとって有用な人間になるには大学進学、法学部だろう、と思うに至った。

なぜ私は社会にとって有用な人間になりたいと思ったのだろう。

正直、今となってはよくわからないが、哲学を学んでも内に向かうだけだ、外に働きかけるには法律なんじゃないか、という意識はあった。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』を読んでいたので社会派気取りの面もあった。中学時代に所属した卓球部で培ったコンプレックスがハンパなかったので承認欲求が強かったこともあり、それらが渾然一体となったルサンチマンが形成されていたのかもしれない。

さて、次は具体的な志望校である。家計を考えれば国公立になるだろうが、とにかく県外に出たかった。自分のことを知らない人達の中でゼロベースで生活してみたかった。自分の力を試してみたかったのだ。

「最低でも県外」

それが私の受験のコンセプトだった。政治的な意図はまったくない。

最初に候補に挙がったのは、当時ウルフルズに傾倒していたこともあって大阪。だが、大阪大学は学力的に困難、というわけで大阪市立大学はどうか。安易な発想である。

しかし、早期発見で末期的な学力の低さが明らかになる。軌道修正。ただし、私大は関西大学を受けることにして大阪進出の芽は残すことにした。

偏差値の順で見て広島大学はどうだろう。紅葉饅頭。安芸の宮島。だが、こちらも程なくして学力が追いつかなくなる。

この時点で、「正直もう県外ならどこでもいい」感が全身からみなぎってきた。

ある日のこと。

ホームルームを終えた担任の左翼教師が「金大の願書、欲しい者は今から取りに来い」と宣言する。私の通っていた高校では、地元金沢大学の願書は自分で取り寄せなくても、こうして配られたのである。

ある女子が席から立ち上がった。

私も反射的に立ってしまった。

私はかねてからこの女子を、いいな、と思っており、コンマ数秒、一瞬の判断で、共通の話題作りになる、と思ったのだった。

あーあ。

かくして私は全く志望していない地元大学の願書を入手してしまった。

といっても金沢大学に受かるためには、センター試験(現・大学入学共通テスト)で数学のⅡ・Bという、基礎のⅠ・Aという科目よりも一段難しい科目でそれなりの点数を取らなくてはならない。

賢明な読者諸氏は既にお気づきだろうが、このように計画性ゼロの思考回路を備えた私は、数学というものが致命的に苦手である。

現にセンター試験直前模試でも、数学はベストエフォートで偏差値33というダイヤルアップ回線並みの神がかり的な数値を叩き出していた。わからんか、ダイヤルアップなんて。

このため、金沢大学という選択肢はあまり現実的なものではなかった。

センター試験当日。配られた数学Ⅱ・Bの問題を見た私は、すぐさま思考を放棄した。

さっぱりわからない。

「ホワンホワンホワンホワーン」という、『世界ふしぎ発見!』のボッシュートのサウンドエフェクトが聞こえてくる。ヒトシ君人形は奈落に落ち、ここで私の選択肢から金沢大学は完全に消えた。

鉛筆をからからと転がして、しばし試験会場内を見渡す。皆いそいそと解答に取り組んでいる。フッ、この受験戦争の奴隷どもめ。

やめた。

やめたやめたやめた。

大層お気楽な気持ちになった私は、完全に当て推量で設問に答えていくことにした。ここが二桁になるのは論理的におかしいから-1だろう。ここのルートの値はそこまで大きくなるはずはない。いいとこルート6だろう。

平均的の41点が取れた。

しかし、100点満点の41点が平均点というのは試験としておかしいだろう。国は何をやっているんだ。

こうして運よく数学Ⅱ・Bで平均的が取れてしまった私に、C判定ながら金沢大学を受けられる一定の兵力が整ってしまった。

一方、件の女子はセンター試験で失敗してしまったという。

レオナルド・ディカプリオに心酔していた彼女は、センター試験の直前に公開されたばかりの映画『タイタニック』を観に行って体調を崩したらしい。小さな田舎の町から金沢まで映画を観に行くのは一日仕事だ。

それを2回観たと。

この馬鹿…。

この女子が金沢大学を受けるかどうかは微妙な情勢となった。もう、「どこ受ける?」なんて聞けない。

私はどうするか。

というか、もとより県外志望だった。

金沢大学の他で射程に入っていたのは、法学部があるというだけの基準で新潟大学、静岡大学、岡山大学。しかし、高校生の私には新潟とか静岡とか岡山のイメージがどうもピンと来なかった。

それなら家計的には家族に申し訳ない私大ではあるが、既に受かっている関西大学にするか。国公立は…まあ、一応金沢にするか。もうどうでもいいし。

国公立大学二次試験の当日は、こんこんと雪の降る日だった。

大学には古文の面白女性教師が応援に来ていた。私の通っていた高校では学年の20%程度がこの地元大学に進学する。彼女はいつものように頓狂な口調で私たちを鼓舞していた。

会場に彼女の姿はない。まあ…諦めたのだろう。

こうなれば私には金沢大学に受かる動機がない。

まったく、ない。

俺はもう関西大学だ。何はなくともナニワは最高!OSAKA!OSAKA!あれもこれもあんで。脳内にウルフルズの『大阪ストラット』が流れ、極めてテキトーな気分で試験開始の時を待っていた。

あら?

あらあら?

何か来た?

彼女が来た。

ちょうど私の前の席に座る。

いわく、「受けることにした」とな…?

一気にギアがパーキングからトップに入る。五感を研ぎ澄ます。第六感の動きも感じている。逃げたゴキブリを探す時でもこれほどは無理だ。私が人生でこんなに集中力を発揮したことは、たぶん何回もない。目を皿のようにして解答内容を何度も何度も何度も何度も何度も見直した。

受かる、俺は必ず受かる。何がなんでも受かる。

受かったー!

彼女は落ちたー!

4月、周りの新入生が「どのサークルがいい」「どの授業がいい」と浮つく中、ぽっかり穴が空いたような気持ちで哲学者の新生活を迎えた私だった。

さて。

動機はこの通り極めて不純だったが、大学ではよい友人にも恵まれ、楽しい学生生活を送った。

もしあの年のセンター試験の数学Ⅱ・Bが常識的な難易度で、逆説的に私には攻略不能だったら。

もしあの日会場に彼女が来なかったら。

仮に来ていても離れた席に座って私が気づかなかったなら。

どうなっていただろうか。

きっと私は関西弁でこれを書いていただろう。

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