言葉を、聞かない
『言葉を失ったあとで』(信田さよ子✕上間陽子)は、至るところに読み返したい部分がある本だったが、特に「第5章 言葉を禁じて残るもの」がよかった。
「言葉を禁じる」ということ。臨床心理士の信田さよ子さんは、相談者の方に、自分の固有の体験を近代的家族言語で語らせないのだという。
グループでも禁ずる。「母の愛」って言葉は絶対言わせない。「愛情」という言葉も 使わせないかな。「だって、親ですから」というのは絶対バツ。そうすると、どう表現していいのか、自分の体験にもっともそぐう言葉は何か、けっこう考えたりするようになりますよね。私はそれこそ言葉は政治だと思っているので、既成の家族概念に回収されるしかない言葉は使用しないようにします。
昨日、自分の携帯電話の番号を公開して、もう10年以上、死にたい人からの電話を聞いている坂口恭平さんが、Twitterで近いことを言われていた。
言葉の発し方、声色、僕は相談内容よりもこういった言葉と声に集中して耳で聴いてます。目は10年以上ずっと使ってない。音楽と思って聞いてる。調律するようなイメージで。調律できない声はほとんどないといつも感じる。見捨てられてる人も多いけど、向き合うとちゃんと返ってくる。
— 坂口恭平 (@zhtsss) May 30, 2022
人には、死にたい人に関わらないほうがいいとも思う。多くの人が言葉を音楽としてではなく、意味のある言語と思って付き合ってるから。だから家族でも恋人でもこじれていく。言葉の意味にだけとらわれている人は、できるだけ関わらないほうがいい。言葉を違う側面、僕は声という音楽でしか聴いてない。
— 坂口恭平 (@zhtsss) May 30, 2022
こちらは、「言葉を聞かない」ということだ。
私たちの日常は、小説でもドラマでもない。誰もが定義を間違えながら言葉を使い、話し手と聞き手の認識は頻繁にズレる。
自分の感情をありふれた言葉に当てはめようとして、歪める。
そこにあなたはいないし、何の魅力もないんだよ。
「傾聴」をテーマにした本が売れたと思えば、「人の話は聞くな」という本が出る。
本当の「傾聴」というのは、言葉の奥にあるものを聴くこと。
そういう本を読んだことはないけれど、おそらくそんなことが書かれているのではないだろうか。
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