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子供の自己責任 ー私の高校受験ー

最近、子供の自己責任について思うことがある。最初に言うと、答えはない。

これも人を傷つけない、ただの自分の思い出話だ。

私が生まれた地域は、保育園から中学校までは選択の余地がない。高校受験でこの町の子供達は、人生で初めて横並びが崩れる。

必然、思春期の心は動揺し、盗んだバイクで走り出す奴も出てくる。暗い夜の帳の中へ、覚え立ての煙草をふかす。

私はと言えば、単純に偏差値で身の丈に合っていた高校を志望した。とくに努力する動機がなかった。夢も希望も向上心も闘争心もない、可愛くない中学生だった。

ここに立ちはだかったのが担任の某体育教師である。暴体育教師と言い換えてもよい。

私の志望がその高校であることを告げると、「駄目だ。お前は小松高校に行け」と命令される。小松高校というのは、一応、学区トップの進学高である。私の学力では荷が重い。

養護学校に勤めていたこともあるという彼はいつも「できるヤツが何故やらないんだ」と口にしていた。仮にできたとしてもやりたくないことはいくらでもある。世界中のアイスの棒集めとか。

しかし、中学生が大人、しかも常時混乱状態の狂戦士と闘うのは相当ストレスフルな仕事である。私は彼の命に従うことにした。

経緯は別として、何となく決めた志望校よりも命令された志望校の方がエネルギーは強い。だが、もともと学力がないので受験勉強で5キロ痩せた。ダイエットしたい方は受験したらいいと思う。

そして私はその高校に合格した。中学教師だった母が裏ルートで入手した情報では、順位は相当下の方、ギリギリだったらしい。

「人生にifはない」ので比較のしようがないが、これでよかったと思う。

過ごしやすい高校生活だった。進学高というのは、相対的に努力ができる人間の割合が多い。どの世界でもそうだろうが、難易度が高いことをやるには努力が必要だ。努力ができる人間というのは、犯罪行為に並々ならぬ努力を行う者もいないことはないが、大抵はよい人間である。少なくとも小・中学校の頃のように、理由もなく殴ってくるような人間はいなかった。

それに、後になってわかることだが、私には消去法で言って勉強以外の格別な能力がない。もちろん特別「できる」というわけではなく、食い扶持を得るための手段として比較的「マシ」なのが勉強だったということだ。

あの時、偏差値で身の丈に合っていた高校に行っていたらどうなっていただろう。

特に向上心のない私だ。その後大学に行くことも、そこで人生の友に巡り合うことも、東京で働くことも、妻に出会うこともなかっただろう。

もちろん、それでも私は満足して別の人生を生きただろう。違う人生の友に出会っただろう。田舎でのんびり暮らしただろう。違う人と結婚しただろう。高校受験で努力しなかったことを自己責任として、笑って受け止めただろう。あるいは一念発起して勉学に勤しみ、大学を受験したかもしれない。

正解はない。

私を常に脅かしていた暴体育教師には、感謝の気持ちはない。しかし、恨む気持ちもない。彼からは、怒鳴られても目を見て話す力、殴られることを恐れない力も身につけた。でも、それが何の役に立つというのか。

子供の自己責任。それは一体何なんだろう。

考えるけど、答えは出ない。

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