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幸せですか
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
人が誰でも 幸せに なるために 生まれてきたのなら
「幸せ」
それは誰も疑うことができない至上の価値のようだ。
多くの人は「幸せになりたい」と思っているだろうし、自分が愛する人たちに「幸せになってほしい」と願っているだろう。
しかし、その願望は時に「幸せにならなくてはいけない」という強迫観念に変わり、「幸せでなければ生きている意味がない」という哀しみすら生む。
そして、幸せには、それを失う恐怖が付いてくる、酷い抱き合わせ販売だ。
芸能界みたいに、上げて、上げてから、落とす。人によっては死ぬよね。
「最期の瞬間に、ああ、幸せな人生だったなあ、と思えたらいい。」
そう考えている人は多いらしい。
本当にいいか?そんなのが。
最後の最後まで、それがジャッジできないのが。
今日の帰り道、車にはねられて死ぬかもしれないよ。
ジャッジした?ちゃんと今ジャッジした?
しないよね。
今日が人生最後の日だと思って生きたら、あの、まあ、その、なんつうか、疲れちゃうよね。
やったことないけど。
人はみんな幸せになって何がしたいの
幸せになろうとなんてしなくていいんだよね。
そして、僕も誰かにそれを求めないようにする。
「幸せですか」という問いかけをやめたいと思う。
好きなことしたらいいよ。好きなことしよう。
できる範囲で構わないから。
あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。