見出し画像

2001年のどーでもいい奴

忘れもしない、ことではなくて、忘れていた話。

インターネットという文明の利器で調べてみると、それは2001年の1月15日。金沢は、十何年かぶりの大雪に見舞われた。

その日1限から大学の授業があった僕は、朝も早くからマンションの階段を降りた。

そこには、小さな雪の山があった。

ああ。そっか。まあそうなるわな。

僕の愛車トヨタマークIIが雪に埋もれていた。何も不思議はない。

積雪量はかなりのもので、歩けば膝まで埋まる。おっ、おっ、とか言いながら、つい楽しくなる。

こんなに降ったのは子供の頃以来だな。

もっとも、昔は自分の身体が小さかったので沢山降ったように感じたということもあるのだろうが。

こんな日は学校なぞ休んでしまえばよい。しかし、僕は台風が来るとつい川を見に行ってしまうタイプの人間。

行かねばならぬ。

仕方ないからバスで行くか、と考えてはみるものの、ポジティブな気持ちにはなれない。

金沢には地下鉄がないので、自家用車を持たぬ者の交通手段はバスに限られる。案の定、最寄りのバス停には行列ができており、その前をバスが二度ほど通過していった。乗車拒否。公共の敗北だ。

この無慈悲な世界に心の焦りを見透かされぬよう、余裕の表情で腕組みをしていると、ふっと、ある同級生の顔が浮かんだ。

正確には、その同級生が乗っている三菱パジェロミニが。

あれなら、行ける。

僕は携帯電話をスクロールしてその名前を探した。最近話すようになった女の子である。

思えば電話をかけるのは初めてだ。

僕は本来紳士なので、女子に電話をすることはほとんどない。基本的には怨念のような長文をしたためるのが紳士の振る舞いだ。

ま、いっか。

世の中のほとんどのことは「ま、いっか」で済む。

その子は、言うなれば「どーでもいい奴」だった。

「発信」ボタンを押す。

あ、どうも。おはようございます。随分と冬の寒さが増してきた今日この頃、ご機嫌いかがですか。暦の上ではもう春ですが、雪、すごいですね。私は生まれてこの方ずっと石川県民なのですが、こんなの久しぶりです。あのう、それで、他でもないその私のことなんですが、車がこの雪で埋まってしまってですね。1限から授業があるのにうわーこりゃ困ったなーみたいな。バスも乗車拒否してくるし。そいで私思いついたんですね。あなたのあの立派なお車なら全開バリバリ、雪をものともせず道を行けるんじゃないかなーみたいな。どうですか、あなた何限から授業ですか。そもそも今日授業入ってますか。

「あー、ゴメンゴメン。私の車も埋まっちゃって」

何だよ、コイツ使えねえな…。

いや、これは嘘をついている可能性もある。

そんなに親しくもないのに突然電話してきた不審な男。しかもどう見ても車目当て。

実際、車目当てだ。

僕は会話をつないで相手の良心に訴える作戦に出た。

彼女の口調は妙に楽しそうで、僕には電話の向こうでツララから落ちる水滴が陽の光を受けてキラキラと輝いているのが見えた。

結局、彼女の車は埋まったままだった。

仕方ない。僕は歩いて大学に向かった。

轍ができた車道のド真ん中を歩く。不謹慎だが、平時の秩序が崩れた世界は時に心地がよい。

予想に反して楽しそうだったどーでもいい奴への罪悪感と、その楽しそうな気分に包まれながら、僕は大学への長い坂道をゆるゆると登っていった。

教室に着いてみると、多数の学生の出席のもと授業が平然と行われていた。バカじゃねえの、お前ら。まあ俺も来たんだけど。

そんなことを思い出しながら、暮れに年賀状を書いていた。

僕は、求められてもいないのにいちいちメッセージを書くのだが、付き合いの長い友達には書くことがなくていつも困ってしまう。

「あけましておめでとう」と書き始めるが、大抵は続く言葉が思いつかない。

「2021年」

出た、とりあえず年を書いてみるパターン。

「2001年1月の、金沢が十何年かぶりの大雪に見舞われた日のこと」

そんな日の昔話を綴った。

2021年のどーでもいい奴に。

あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。