兄と卓球部と私

「何かスポーツやってました?」

と聞かれると、脇に嫌な汗をかく。

そう聞かれた時は、「高校の時は弓道をやってましたね」と控え目に答えることにしている。弓道は武道だから、硬派かつ知的なイメージがあるのだろう。大抵好印象だ。

まあ、中学時代は卓球部だったのだが。

卓球。それは、身の毛もよだつ戦慄の言葉。

この世には『行け!稲中卓球部』というヒット漫画があるのだが、私は読んだことがない。笑い事ではないのだ、卓球は。

近年、卓球の地位向上が著しいが、私が通っていた中学校の卓球部はダントツでスクールカーストの最下層に位置していた。

なぜそんなところに入ってしまったのか。

簡単に言えば、運動が苦手な小心者だったからだ。

物心ついた頃から運動というものが苦手だった私は、中学校に上がる前、「中学」「部活」、こういった言葉に異常なまでの怖れを抱いていた。

毎日学校が終わってから何時間も何時間も運動をやる。乱暴な顧問や先輩に殴られながら、呻いたり、吐いたり、倒れたり。そういうイメージである。「鬼畜米英」みたいな。

では文化部に入ればよいのではないか。

いや、今はそうでもないだろうが、私が通っていた中学校は「男子は運動部に入るものだ」という古臭い雰囲気があった。実際、文化部に入っていた男子は、たぶんブラスバンド部に1名だけだった。

しかも、一回入部すれば、部活中に倒れて病院に行くなど、よほどのことがなければ退部や転部ができない雰囲気だった。

そういう状況で、卓球部には、運動ができない、激しい運動はしたくない、でも文化部には入れない、といったような、根本の発想が「〜ない」というマイナスのベクトルの連中が集まってくる。私もそんなネガティブクラスタの一員だった。

さて、この年、卓球部に入部した1年生、つまり私の代は18人近くに上った。野球なら2チームができる、結構な人数である。全員戦力外レベルだが。

我々の中学校は男子が1学年約120人だったため、卓球部員の割合としては概ね男子の6人に1人、つまりバレーボールをやろうとすれば、かなりの高確率で卓球部員が混入する計算になる。

上級生は、2年生が2人、3年生が3人だったという点から見ても、18人の入部は明らかにエラー、異常事態、事件か事故である。

なぜこんなに集まってしまったのか。

大きな理由としては、上で述べたように、この中学校には他に非スポーツマンの受け皿がなかったことが挙げられるだろうが、それだけではこの代の入部者が際立って多かったことは説明できない。

それは、私の兄による部活紹介演説の影響が大きかった、と言わざるを得ない。

どこの学校でもそうだと思うが、毎年4月には体育館で新入生全員を集めた部活紹介が行われる。説明者は各部のキャプテン。

そう、私の兄は2歳上の3年生で、卓球部のキャプテンだった。

兄は、中学生としては余計な知識と、理屈っぽさと、反骨精神あるいはひねくれ根性を、高いレベルで持ち合わせていた。

中学生である。

他の部のキャプテン達は「顧問の○○先生の指導の下、和気あいあいとやってまあす」とか、「全国大会目指して頑張ってまあす」とか、普通はそういった行儀のよい説明をする。多少ふざけたとしても中学生が考えるギャグの範囲内である。

そこで兄がぶちかました「演説」の内容は、実ははっきりと記憶していない。

気を失うような衝撃を受けたことは間違いないが、「ハードさは全くありません」「好き勝手にやってます」「青春なんてくそくらえ」、おそらく全編にわたってこういう調子でやったように思う。

これがそれなりにウケて、体育館は、正統ではない、スカッとしない笑いでざわついていた。

中学生である。

この演説を聞いて、面白そうだ、と思って誤って入部した者もいたことだろう。犠牲になった数多くの青春に、衷心より哀悼の誠を捧げたい。

かくして大量の新入部員を獲得した卓球部だったが、当然、他の運動部の顧問達は兄の不健全な勧誘演説に憤った。

中でも兄の担任のハンドボール部の顧問、また、後に私の2年、3年の担任となるバスケットボール部の顧問の2人は腹に据えかねたようであった。

特に後者の怒り具合は激烈なものがあり、兄は「卓球部は潰してやる」と怒鳴りつけられたという。詳しい理由は知らないが、事実、その後卓球部はなくなった。

私自身が卓球部に入った理由としても、やはり兄の存在は無視できない。

私にとって、兄はカリスマだった。

兄は子どもにしては博覧強記、理性的で、気合や根性といった精神論、社会常識やマナーといった非合理なものには微塵も理解を示さなかった。

それが長男特有の不器用さ、空気の読めなさとあいまって、高次元の曲者と化していた。

心根が純粋なのは疑いはないのだが、とにかく無遠慮で直截なのである。

味噌汁が熱かったら氷を入れて冷まし、おかずが足りないと思ったらスナック菓子をご飯に乗せて食べるような男だった。

兄は学校全体から浮いて教師や他の生徒との間で激しい軋轢を作っていた。学校生活において、彼の弟というポジションは、非常に居心地の悪いものだった。

兄への攻撃が私に波及しないよう、私は自分の同級生と一緒になって兄を馬鹿にしながら小狡く立ち回っていた。

だが、兄はいつも優しかった。

おやつなどは必ず多い方をくれたし、ファミコンの順番も私を優先してくれた。周囲を見ていると、理由もなく兄にしばかれたり、パシリのように使役されている弟もいたが、私は兄にそのような扱いを受けたことは一度もない。

常に独立した個性を持つ一人の人間として扱ってもらえた。

兄はいつも正しかった。

ただ、やり方がヘタクソだった。

組み体操の練習の際に「全員上半身脱げ」とバスケットボール部顧問の体育教師が出した指示を、即座にスタスタっと駆け寄っていって全校生徒の前で批判するとか、普通はしない。

遅刻した生徒が複数いる中で見せしめとして兄だけが殴られるなど、教師達には随分と目をつけられていた。

「ひねくれ根性」と書いたが、ひねくれている人間というのは、元々そうであったのではない。根は真っ直ぐであるが故に周囲と摩擦を起こし、叩かれ、その結果ひねくれるのだ。「本当に強い人はひねくれない」と言われるかもしれないが、そういう特異な事例は捨象する。

兄は先兵として不用心に世の中に打って出て、家の内外において沢山の地雷を踏み、無数の銃弾を浴び、幾度も落とし穴に嵌ってくれた。

私は幼い頃より、ああいうことをすると失敗するんだな、と兄の失敗を後方から眺めて学習し、優等生になっていった。

「お前は兄貴とは違うよな?」

件のバスケットボール部顧問の担任に言われたことがある。

学校に持ち込み禁止だったCDが見つかって説教された時だ。

私は何と応えたのだろう。

覚えていないのだが、私ならきっと「はい」と応えるだろう。

私は兄とは違うのか。

兄とは違う健全な人間なのか。

卓球部に入る時にはっきりとそんなことを考えたはずもない。

ただ、私は心のどこかで、兄の信じる世界の片棒を、ちょっとだけ担ぎたかったのかもしれない。

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