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今の僕にとっての「note」

6月に毎週noteを書くことを始めて、今回で10回目になりました。
前回は遅刻してしまいましたが、これまでなんとか毎週時間通りに更新できていることに、自分でも驚いています。そして、それ以上に、書き始めた時には想像もしなかったほどたくさんの方に読んでいただけていることを感じ驚いています。本当にありがとうございます。それがあるから毎週書き続けられているんだよな。

今回は10回目ということで、僕がnoteを書き始めてから約2ヶ月間で感じたことをお話しようと思います。

「文章を書く」ことは難しい

唐突ですが、まず思うのは文章を書くのは難しいとうことです。僕のような凡人にとっては、毎週何かテーマをみつけ、それを文章にして、ましてや人に見せるというのはとても大変なことです。
しかし実は、このnoteを始めるまで、僕は文章を書くことに対しての苦手意識はあまりなく、これまで何十曲も歌詞を書いてきたから、文章も書けるのではないかという自分への淡い期待さえありました。けれどもそれは全くの間違いで、僕は文章を書くということをあまり深く知らなかったのでした。

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(今回も含め、「小さなことをひとつ」について書いた記事以外のヘッダー写真は同世代のフォトグラファー、野本敬大くんとリモートで撮影したもの。これお気に入り)

歌詞を書くこととも通ずるのですが、この「ミゾベのnote」を書くときにまず一番にやることは、「何について書くか」を決めることです。歌詞の場合、その曲の長さの何倍もの量を試しに書いてみて、その中から、「あ、もしかして、今自分が歌いたいことはこれなんじゃないか」とやっと見つけて、ようやく本当に歌詞を書き始める、ということがほとんどです。確かに「歌いたい」という感情は存在しているのに、何を歌えばいいのかわからない、という状態の中で、難しく考えば考えるほどに、心の中は複雑に絡み合っていきます。そして、それは「ミゾベのnote」でも同じです。毎週更新なんてやめてしまって、書きたいことがわかったときに都度それを書けばいいのではないか、とさえ思うときもあります。そんなことを思いつつ、時にはスタッフやメンバーに相談したりもしながら、なんだかんだ毎週書きたいことを書いて、そうこうするうち火曜日の23:00がやってきて、そして今のところは無事に、皆さんに届けられています。まだ僕には皆さんに伝えたいことがあったのだ、と毎週正直少しホッとします。

「誰かに伝える」こと

こうやって文章を書き始めて、最近やっと気がつけたことがあります。それは、「文章を書くということは、誰かに伝えること」だということです。とても当たり前のようでいて、本当の意味でそれを考えながら書く、というのは難しいことです。一番最初の記事で書いたように、僕にとって、文章を書くことも自分の表現のひとつであるとするのなら、読んでくれる方に「心」を伝えることこそが、毎週noteを書く意味なはずです。だから、SNSでもnote上でも、読んでくれた方から「心」が確かに返ってくるとき、一週間言葉を選んだ意味を感じます。(直接的に感想などを教えていただけることもそうですし、ただ読んでいただけるだけでも、十分伝わっていますよ。)

10週間、振り返るにはまだ早すぎますが、その中であえてすこしだけここまでを振り返るならば、改めてこの記事を読んでみてほしいなと思います。

先日、interFMで行われた「謝音祭」でもライブ演奏をお届けした「小さなことをひとつ」という楽曲について書いた記事です。リリースして約2ヶ月が経った今でも、歌うたびに新鮮な気持ちになれる、僕にとって大切な曲です。皆さんの心にそっと寄り添うことのできる曲だと思うし、それは、音楽というものの最も素晴らしい部分の一つだと思います。

10回目、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
お伝えしたいことがまだまだあるので、また来週以降もこの「ミゾベのnote」でお会いできたらとても嬉しいです。

おまけ
7月中旬から、「半沢直樹」がとても面白くて、毎週楽しみにしています。
実は最近気が付いたのですが、劇中に何度も出てくる場所で、僕らodolも写真を撮ったことがあるのです。
もし見ている方は探してみてくださいね。

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ヘッダー撮影:野本敬大

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