良かれと思ってやっていること

2020-02-09 22:16:37

研究会や打ち合わせなどがチョコチョコ入り、土日に家にいないことが
しばしばある。

二人の息子がおり、次男は1歳二ヶ月。長男は3歳。
もっとも親の手が必要な時期に、平日もまあまあ遅く、挙げ句の果てに
土日を留守にしてしまうのは、非常に心苦しい。

妻は、いいよ行っておいで、と言ってくれているが、いつソッポを向かれるか
気が気ではない。それなら、最初から仕事をするなとも言われそうだが、
こちらも遊びではないので、ある程度は仕方がない。

ただ、なんとか家事育児に主体者として参入すべく、自分の習慣を変えようと
心機一転ことしから、洗濯と風呂掃除を毎日することを習慣にした。

当方、朝は滅法弱いので、だったら夜やろう!と集合住宅にも関わらず
夜な夜な洗濯機をガンガン回し、ご近所様に心の中でゴメンなさいをしながら
主体者になるべく、家事に参入している。

いまのところ、1月はほぼ毎日任務を完了している。

そんなことで、妻の育児負担が軽減できているかはわからないが、
やらないよりは、やったほうがいい。


育児はというと、休みで予定がない日は、当然子どもと遊ぶわけであるが
基本的に私は出不精である。予定がないと、なかなかノリで動けない。
なので、ほとんど近所で遊んでいる。
動けても、近隣の公園や動物園などである。

これではいけないと思い、昨日は息子の園の園庭開放に、今日は地下鉄の博物館
に繰り出した。

妻の休息日も作ろうとしたこともあるが、次男が小さいためなかなか叶わない。
だったら、一緒に出かけることで、妻の気分転換にもなるだろうとも思っていた。

ふとCMを見たときに、牛がうつっており、息子たちが「牛だー」と嬉しそうに
していた。

その言葉にハッと閃き
「来週の、土日は、牧場でも行こうか」
と良いパパ宜しく、”また連れて行ってくれるの!嬉しい“
という返答を期待し(期待はしてないが)提案すると、

妻から驚きの言葉が返ってくる。

「なんで、そんなに出かけようとするの?私、そんなに気分転換に
ならないんだけど」

えーーー?!
である。

天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。

一体、何が起こったのか
地雷を踏んだのか

妻の言葉を解釈すると、“土日の度に出かけると、気分転換どころか疲れる“
ということである。

私は、子どもと妻に良かれと思って、そういった提案をしていたが、
当の妻本人にとっては、全く逆で、気分転換どころか疲れてしまう、という
予想外の回答が返ってきた。

「良かれと思って提供していることが、実は相手にとっては、はた迷惑だった」

いかに、コミュニケーションをとっていなかったか、
相手の心情や感情を読み取っていなかったのか、思い知らされる一件であった。


これと同じことが、保育現場でも起きている。

ある年の年長で、隣のクラスの担任が子どもにこう言われたそう。
「先生、なんでこんなに年長って忙しいの?」

近年は我が園でも、園行事の見直しがおこなわれ、行事の数は激減したが
それまでの年長は、4月から3月まで行事だらけ。
ほとんど、「遊び」の時間がとれないカリキュラムになっていた。

もともと、あそびを大事にしている園ではあるし、行事は子どもの遊びを
アップデートするためのもの、というコンセプトがあった。

しかし、この行事は子どもを成長させるという経験が積み重なっていくと
減らすことはできず、行事がどんどん増えていく一方になっていく。

園としては、子どもの成長のためにやっている

しかし、当の子ども本人にとってみたら

「なんでこんなに忙しいの」

である。


この子どもの言葉は重い。

重く受け止められない人は、保育者をいますぐ辞めた方がいい。


そりゃ、面倒臭い、やりたくないと思っていても子どもはやる。
結果的に、なんらかの技術やらが高まっていって、一見して、できように
なっているかもしれない。

ほら、つまらないって子どもは言うけど、実際はうちの保育で成長してるんですよ
って。

だから、子どもは行きたくなとか、つまらないって言うけど、実際の成長や変化を
みてください、
って。

そんな言葉が園の大人の側から聞こえてきそう。

というか、実際に俺もそんなふうに思っていた(時期があった)。


怖いのは、「だから、子どもの言葉を鵜呑みにしなくていい」っていうことが
まかり通ってしまうこと


そりゃ、子どもの表面的な言葉に右往左往していたら、保育が成り立たないが
言葉の背景にある心情に思いを馳せていくことは、プロとして必須だろう。

自分なりに解釈すると、彼にとって、年長の忙しさというのは、自分の
興味とは、あるいはペースとは異なっていたのだろう。

良かれと思って実践しているその保育内容が、子どもにとって良いものになっているのか。

いや、「子ども」という集合体としての一般論はやめよう。

良かれと思ってやっている保育が、◯◯くんの成長にコミットしてる?
具体的に考えよう。

◯◯ちゃんにとってはどうだろうか?
△△くんは?

もしかしたら、◯◯ちゃんにとっては、Aという方法がいいかもしれないし、
△△くんは、いまの興味がこれだからA‘という方法がいいかもしれない。


やっぱり、保育の本質は、目の前の子どもから出発し、大人側が柔軟に
計画やカリキュラムをその子に合わせて変化させてあげるってことが肝の
ように思う。

でも、何度もいうが
良かれと思ってやっていることが、実は違う事もあるかもしれない。

子どもの言葉に真摯に耳を傾けたい。
声にならない声に耳を傾けたい。

だから、本当に大丈夫かな?って時々、振り返ることが大事。絶対に。

でも、人は神ではない。

大丈夫、これでOK!という時が注意。
実は、子どもが大人に合わせていることだって、かなりある。

だから、一人ではなく、複数の目で見る頃が大事。

「え、お前、それで嫁さんの、ご機嫌とってる風だけど、本当にそれで
いいと思ってるの?」

そう、案外、自分のことはよく見えないものである。

信頼できる友人や同僚に、ときおり自分の現状を語り(もちろん保育の)
本当に大丈夫か意見をもらうといい。

子どもは、「離婚だ」とは言わないが、大人同士の関係は
取り返しがつかなくなることもあるから。

以上。


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