お友だち人事とリソース人事


2020-02-07 23:50:16
今日、ある大学の教員が園に見学にきた。

まあ、それは僕の知り合いで、同世代なのに、ものすごく信頼できる
教員で、まあ突然だったけど、便宜を計らい、実現できた。

開口一番、「惜しいなあ」と言われる。

我が園の環境を一目みただけで、僕らが感じている課題と
全く同じ意見を、一見しただけで、ズバッと言い切れる。そんな「見る目」を持っている。

同世代なので、もはや嫉妬すら感じる。

いや、嫉妬というより、もう尊敬しかない。


そんな彼が、園内を一周回って、感じたことを惜しげもなく教えてくれる。

外にいる先生はアクション少なめなのかな
保育室に置いてある机が、環境構成的にはあまり置かない方がいいのではないか
コーナー設置はいいが、クローズになると反対に、環境を子供が動かせなくなる

自分がある種「しんじていた」あるいは「大事である」と思っていた、
または、そんなに意識をしていなかった事についてズバズバと指摘をもらう。

それがまた新鮮であった。


従来の園内研や研究会では、実践者は、提案する実践において
言葉尻を批判されたり、否定的に追及されてきた過去がある。

先輩や上司といったいわば「答えを知っている」人たちが、言葉の揚げ足とり
をして、「答えを教え込む」という風潮が少なくなかった。
(研修会という名の、公開処刑と呼んでいた・・・悪夢・・)

そのため、そういった学びの場は、いかに相手の揚げ足をとるかに終始し、
本来的な「学び」を失っていたかのように思える。

一方で、その反動ともいうべきか、反論をせず共感していこうという風潮もある。
疑問におもったことに蓋をして、たいして良いと思っていないのに、「いいね」
ボタンを押すかのように、共感をしていく。そんな風潮もあるように感じる。


私は、前者のような風土で、園内も園外も過ごしてきた。
いかに相手のミスをつけるか、という研究会は、学びを産まないどころか
個々の成長を阻害するということを嫌と言うほど味わってきた。

相手の良いところを見よう、共感をまず大事にしようとするあまり、
言うべき言葉をぐっと堪えていくというのも、学びの促進という意味合いでは
どうかとも思ってしまう。


批判的な意見、つまり相手に対しての「異論」は言ってはいけないのか。

共感か反論か

そういった
二項対立的な問いではなく、もっと多様な視点で検討していく余地がある。


その一つが、関係性である。

今回、友人でもある教員が来てくれて忌憚のない意見を頂いた。
見方を変えれば、バッシングともとれる。

環境以外に、僕自身の保育にも厳しい意見を頂いた。

これがちがう人だったら、
「もっと見ろよ」とか
「今日しかいない人に分からないよね」と
線を引いてしまうだろう。

そうならなかったのは、僕と彼の間に信頼関係があったことに他ならない。

あの人の言うことなら、大丈夫だ。

批判や叱咤、助言は、そういった関係性があった上で初めて成り立つのかも
しれない。

もう一つは、コメントをいう立場の人間が、その相手に対してどうなって欲しいのか
ということもあるだろう。

例えば、全く知らない園の実践発表を聞いても、その園がどうなろうが(極端に
言えば)知ったこっちゃないし、受講者としては、あることないこと想像したり
時には批判的な印象を隣の参加者と共有するかもしれない。

しかし、その園が、仮に知り合いで、あるいは共に歩みを進めようとしている園で
あれば、コメントする内容も変わるかもしれない。

それは、批判的なことを言わない、というのではなく、見る視点が変わる/もしくは増えるということである。


ここの環境は美妙だけど、もう少しこうすれば上手くいくかもしれない

この保育内容は子どもにとって負担感があるかもしれないけど、この枠の中で
子どもの主体性が発揮できるような内容にしていく可能せもあるかもよ


つまり、例えば研修会、研究会、あるいは園内における研修の講師を、
一過性の客人としてではなく、この園の保育の質向上にコミットできるように
当事者意識を持ってもらえるような関係を作る、というのが必至ではないか。


当事者意識を持った外部の人間は、もはや第3の園内のリソースである。


これからは、園内だけでなく、外のリソースを園内に上手く取り込んでいき
活用する必要が絶対にある。

それは、現在話題になっている「お友だち人事」とは一線を画する。

プロセスは似ているが、
お友だち人事は、組織内の利益(質)にコミットできない状態。

たいして、リソース人事は、「お友だち」という関係性を利用しているが
組織内の利益(質)にコミットできている状態。
さらに、「お友だち」であれば、関係性もあり、忌憚のない意見も出しやすい
というメリットも産むだろう。


そう、結果として質が向上していれば、お友だちでも全く問題ない。


しかし、結果が上がらなければ、それは「お友だち人事」と揶揄されても
仕方がないのであるが。


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