対話と対話

2020-02-04 20:32:04


対話という言葉が保育で盛んに踊っている。

対話が大事、対話が大事、対話が大事

もちろん、大事な概念である。

ただ、「対話」という概念が広いためか、いささか色々な意味で
使われているようにも感じることが少ない。

たとえば、
「同僚と対話することが大事」

この時の「対話」は、「コミュニケーション」という意味合いで
使用されている。

もともとの「対話」の意味合いは、異質性をはらむことである。

会話と対話のもっともな違いは、会話が同質性を基盤にしているのに対し
対話は、「異質性」をベースにしている。

つまり、対話とは、異なる意見と向き合っていくことである。

そこで、注意すべきは、異なる意見を論破することでも、迎合することでもない。

ここからは、自論にも近い論にはなるが、異論同士がぶつかり合うことで互いに「考えるきっかけ」という火花を生み出し、互いにアンラーン(学びほぐし)を生み出すことなのではないかと思う。


しかし、対話とは容易ではない。
アンラーンとは容易ではない。

自分が変わるということは、やはり痛みが伴う。
叱咤されると分かっている場で、本音を曝け出す人はいない。

多くの保育現場、または教育現場の「会議」では、上位伝達型の会議が少なくないだろう。

意見を言える人は先輩、上司など限られた人になり
先輩からは指示的な意見が多く
後輩からは報告的な意見が多い

そのような場合では、自由に意見を述べることはできず、議論にはとてもでは
ないが不可能である。

しかし、保育現場では「対話が必要」と言われている。

一体、冷え切った現場でどうやって「対話」という熱を加えたらいいのだろうか。


これから先は、
そういった有効な仕掛けが必要になるし、
そういった実践ができるミドルリーダーが求められ、
そういった実践をもっと共有したい

一つのエピソードを。

我が園も長年、冷え切った会議に悩まされていた。

ミドルとして、意見が活発になるように色々な仕掛けを打ってきた。

そんなあるとし、園庭の環境を変えようということになる。
カクカクシカジカあり、園庭に大量の土が搬入されることになった。


築山を新しく作るためであるが、しばらくは山脈のように起きっぱなしの
状態である。

子どもたちは、すぐに遊び始める。

今まで園では暗黙の了解で禁止されていた泥だらけになりながら、
夢中になって遊び始めていく。

子どもが、山を掘り始めたり
土を使ってままごとをしたり、

新しい環境なので、今まで見たことのない遊びの姿が生まれるので
そのつど保育者同士が声をかけあって、どうするか考え始めていく姿が
生まれていく。

すると、園内での話し合いが、暗黙の了解をベースにした話し合いではなく
未知なる環境をどう創造していくかの「答えがない」話し合いにシフトしていく。

そのことで、“腹の探り合い”ではなく、奇譚のない意見が出やすくなり、
『対話』が活性化していった。

ここでいう、『対話』とは、コミュニケーションを指す。

新しい環境を導入したことで、対話を生むきっかけになった。


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