保留は、むしろ前進のサイン
2020-07-21 23:01:23
テーマ:保育・教育
昨日は久しぶりのブログ。
モヤモヤ感について書いた。
人は、答えを求めたがる生き物あるが、世の中にはすぐに
こたえ、つまり結論を出さないほうがいいこともある、そういう話だ。
最近、読んだ敬愛する中原さんは、「本当に大事なキーワードは、言語にならない」というような趣旨を書いている。
言語になりづらい、ということであろう。
成功した体験を、言葉で人に伝えるのは容易ではない。ハウツーになりがちであるし、例えば保育における感覚的なもの、って言葉にしづらい難しさもある。
答えを出した途端、あるいは、答えを出してくれると思った途端、
人は思考が停止する。これも中原さんが言っていたことである。
今日、本がたくさん置いてある部屋を整理した。
本の部屋なるものが、我が園にはあるが、絵本以外に空き箱や教材、雑巾、
蛍光灯など、ありとあらゆるものが置いてある。そこを我が園では「図書室」と
読んでいる。
職員から、ここをなんとかしたいという話が挙がる。
確かに、用途不明なものが乱雑におかれ、図書室と呼ぶにはあまりにも
雑多すぎる。
夏休み期間にどうにかならないか、DIYで何とかしようとそういう話になるので
あるが、話はあらぬ方向に転がっていく。
蔵書が、とにかく古いのだ。
そして、同じ本が何冊もあったりする。
これは果たして、本当に必要なのか?ということ。
蔵書とディスプレイをコーナーとして区切るのか?ということになる。
しかし
そして、年長児は本を借りる。その際、ディスプレイとして置いてある本が
少なければ、借りる冊数がそもそも少なかったら意味がない。と。
そこで、なんで本を借りるのか、という本質的問いが生まれる。
個人的には、本を借りるというシステム自体が、強制的で子どもの興味に合っておらず2学期にもなると、本を借りる曜日になると、いやいや借りる子もいれば、
やっつけで仕方ないから図書室に向かう子も少なくない。
もう、オワコンなのだ。
図書室環境の使い方の議論から一転、そういった本質的なー図書室を我々は
どのように子どもたちに使って欲しいのかーという本質的な問いに差し掛かる。
でも、大体そういった本質的な話になると、静まり返ってしまう。
答えがあるようでないからだ。
小学校で借りるための練習?
いやいや、そんなあほな話はない。
結局、結論は出なかった。
でも、夏休みを使って図書室の環境整理をすることはあらかた決まっていた。
これがいいのかどうかはわからないが、
とりあえず、今日蔵書の整理をする。
そんな流れがあったうちに今日だった。
意味がわからないまま、行動する。一見、無意味かもしれないが、
ここに私は一つの価値があると思っている。
「やる」ことは決まっており、それ自体の意義は置いておいたとしても
本質的な答えは出ずとも、とりあえず動いてみる、ということはとても意義の
あることのような気がする。
そう、今やうちの組織は、結論が出ずとも、とりあえずやってみようと
保留が「静観」ではなく、「行動」に結びついている。
これだ!大事なのは、これだ!
多分、答えが出ないと、多くは、ステイになってしまう。
決まらなかった=動かない、を意味している。
でも、今や若手を含めて、じゃあこんなんどうですか?とか、これとりあえず
持ってきます、とか、とりあえず動いてみる職員が出始めている。
保留が、足踏みではなく、むしろ積極的な前進という意味合いに変わって
きている。
これは嬉しい。だから、僕は、最近、むしろ動かない。
大事なことはいうが。サボろうとしていたりとか。楽しようとしていたら、
先陣きって言う。
まあ、そんなことはいい。
2016年から始まった改革は、2020年になり一人一人が考える一人の人間として
そこに「在る」ようになった。
結論を出さないことによって、各々の行動力を生み、この失敗を次に生かせる。
現場だけで生み出す改革は、右往左往することが多い。が、現場の人間が
考えながら動く、という究極の組織を作る第一歩なのではないかと思う。そんな気がする。
つまり
今日言いたいことは、組織やチームにとっての「モヤモヤ感」は、現場一人一人の「思考」を刺激する活性剤になり得る、そんな可能性があるということ。
しかし、約1000冊の絵本を運ぶのは、流石にきつい。
この苦労が報われることを、祈るのみ。
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