フィードバックをとりにいく〜岡村隆史問題から考える〜


2020-05-04 20:43:49

テーマ:保育・教育
今日は違ったテーマで考える。

岡村隆史の風俗発言で、炎上している騒ぎである。

昨今のコロナ事情で、あまり目につく頻度は多くはないが、
業界をしんかんさせているようだ。

ことの経緯は、様々な媒体が情報を出しているので、そこを参照されたい。


これらの類のニュースでいつも思うのは、話の前後関係が分からず批判している
輩(業界人も含めて)があまりにも多くないか?ということ。

メディアが報道している・・・つまり、、「言葉」だけを抜き取り
メディアが「ある一定の方向性」に流れるように「言葉」を誘導することで
「反応」を引き出していく。

メディアリテラシーのかけらもない市民が、いや業界人も含めて、それに
呼応する。

岡村隆史を擁護する気はないし、否定する気もない。

だって、知らないし、会ったこともないから。


が、いちいち彼の言動を、トリミングして、シノゴノいうのは今に
始まったわけでもなく、井戸端会議のネタがほしい人たちには、まあ
いいんだろうが。

ちなみに、保育の基本には、子どもの言葉やひょうげhん


まあ、そんな世論とメディアリテラシーについて今日は語るのでなく
一連の騒動を組織論という視点から一つ考察したい。


この騒動が始まってから、注目すべきは岡村隆史の周りが
イエスマンだらけであった、という矢部浩之の発言である。

矢部浩之は、ラジオで公開説教と称して1時間だか1時間半だか忘れてが
岡村隆史に向けて、今までの積み重なった思いを吐露している。


ぞの中で、とても大事だと思ったことが、周りがイエスマンになり、
岡村隆史に苦言を呈することができなくなった、ということである。

まあ、彼は一度病気になったこともあり、苦言を呈することで彼の病気が
再発するかもしれないという心配を、周りもしていたのかもしれないし、
矢部浩之本人もそう思っていたようである。

さらに、ナインティナインは、芸人としても大御所クラスにあたり、
スタッフ含めて社内の人間でも、彼に意見をする人はいなかったようだ。

この「イエスマン環境」が、人をダメにする最大の要因である。

これは、何も岡村隆史に限ったことではない。


会社である程度経験を積んできた中堅や、当然幹部クラスや役職がついている人間。


私自身も、園内では中堅にあたる。


そう、役職や地位が上の人には、当たり前であるかもしれないが、率直な意見
というのはなかなか出ない。

そのことを、上に立つもの、後輩がいる立場のものは、自覚せねばらなない。

「おれの周りにイエスマンしかいないよな」
とか

「おれの意見は、みんな賛成してくれるぜい!」
と、過信している人は、周りがイエスマンになっている可能性もなくはない。


結論。

だから、中堅以上でだいじなのは、「フィードバックを取りにいく」こと。

さも、私が思っていることのようであるが、中原さんが言っていたことだ。


ある一定の立場になった時に、自分の周りには8割がイエスマンであることを自覚し、あえて違う意見、批判してくれる人の意見に耳を傾ける必要があるからである。


矢部浩之は、そういう彼の状況を「ぬるま湯」と表現した。

まさにその通りである。

イエスマンに囲まれると、自分が偉くなり、正しいと錯覚する。

でも、本当はそうではない。


あえて、フィードバックをとりにいく姿勢がないと、人は向上しないのだ。

ちなみに、これは私論であるが、フィードバックを取りにくのは若い時から
コミットしていないと、後から修正していくのは難しいと思う。


立場が偉くなり、イエスマンに囲まれたオジサンが、自ら批判の波に飛び込んでいくのは、体がもたない。批判より、保身に走るだろう。

30代、40代の保育者は、ぜひフィードバックを【越境】しながらとりに
いってほしい。


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