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「学校のきまり」について思うこと

 「ブラック校則」という言葉がメディアでよく聞かれるようになってしばらくが経ちます。「校則」というと中学校、高校がメインのようなイメージがありますが、「校則」という呼び方ではないにせよ、小学校にもたくさんの「きまり」があることが多いと思います。「学校生活のきまり」とか、そのような呼び方でしょうか。

 私は、集団生活を送るにあたって「きまり」というものが存在すること自体は大切なことだと思っています。なので、学校統一の「きまり」があることに異論はありません。
 ただ、そのきまりを守らせている先生に求められる最低条件は、「そのきまりを運用するすべての先生が、『そのきまりがあることの意味や意義』、『その目的』をしっかりと語れること」だと思っています。
 「きまりだから守りなさい」というよく聞かれる言葉は、大人も子どもも思考停止に陥ってしまう危うさがあります。大人も子どもも、常に「何のためにそのルールがあるのか」、「このきまりはなくてはならないか」ということを考えることが、「主体性」につながるのではないかと思うのです。

「目的が共有されていない」きまり

 私は生徒指導主事という仕事をしていたこともあって、「学校のきまり」に関わる仕事をする機会がよくありました。B4いっぱいに書かれてある「きまり」を読んで初めに思うこと。それは、

「こんなに必要か!?」

ということです。例えば、

・靴下の色は紺か黒のみとし、装飾はワンポイントまでなら可とする
・長ズボンの着用に関しては、12月から3月までとする。また、理由があってそれ以外の時期に着用する場合は、学校の許可を得ること
・毎日ティッシュとハンカチを持参すること
・筆箱には装飾のない鉛筆を5本程度、削って入れてくること
・消しゴムは消えやすいものを使うこと

などなど、持ち物や服装のきまりが多く見られます。また、「登下校の際には地域の人に元気よくあいさつをしましょう」などといった、行動についてのことが書かれてある場合もあります。「教師」というフィルターを抜きにしたら、「大きなお世話じゃ!」(笑)と思うようなものが、これでもか!?というほど、たくさ〜ん書かれてあります。で、何人もの先生に「これ、何であるんですか?」と聞くのですが、答えが返ってこなかったり、人によって言うことが違ったり、果てには「学校ってそういうもんでしょ。」と言われたり・・・
 「学校ってそういうもん」ってなに!?って感じで、私的には納得できないまま存在するきまりがいくつかありました。というか、「自分がこのきまりについて指導するときに、子どもを納得させられるだけの現状がないな」と思ったのです。

 という思いもあり、私が生徒指導主事のときに「これ、全部なくしませんか?」と提案したことがありますが、見事に却下されました。(当たり前か)というか「冗談でしょ?」という感じで、相手にすらされなかったのですが・・・(本当は「全部一旦なしにして、現状を考慮した上で、子どもと一緒にイチから考え直しませんか?ということを言いたかったのですが。)
 

 まあ「全部なくす」というのはオーバーだったにせよ、靴下の色とか持ち物に関しては、わざわざルールにするほどのこととは私には思えません。
 おそらく、以前に服装や持ち物のことでトラブルがあったときにできたものだと思います。それ自体は理解できます。
 ただ、私が問題だと思うのは、「そのトラブルなどの経緯を抜きにして、ルールだけが残っていること」と、「もとからあるルールを、何の疑問も持たず、当たり前のようにみんなが運用していること」です。

みんなのことを考えられる集団に

 私としては、その集団のルールは、その集団が作っていけばよいと思っています。なぜかというと、

きまりは「守る」ことが目的ではなく、「みんなが気持ちよく過ごせるようにする」ことが目的だから

です。

 極論を言えば、「みんなが気持ちよく過ごせれば、なくてもよいルールはたくさんある」と思うわけです。
 
 そしてもう一つ、

「ルールをきちんと守れる子どもたち」を育てるより

「構成員のみんなが気持ちよく過ごせるために、集団のルールを作っていける子どもたち」

を育てるほうが価値がある

とも思っているからです。

 集団生活を送る中で、子どもたちは必ず壁にぶち当たります。子ども同士、上手くいかないことばかりです。遊びや学習の中で、トラブルも起きるでしょう。その時に、

「ルールを守ってないからトラブルになるんでしょ!」と言うのか、

「こういったトラブル、またあるかもしれないよね。じゃあこれから先、みんながうまくやっていけるためにはどんなきまりを作ったらよさそう?」と投げかけるか

 このどちらの投げかけが子どもの主体性を育てるかは、少し考えれば分かることだと思います。

 確かに「ルールだから守りなさい」は、大人にとってはお手軽な方法です。相手は子どもですから、それなりに言うことは聞くでしょう。
 それでも私は、「どうやったらみんなで気持ちよく過ごせると思う?」「何でこのきまりがあるんだと思う?」という子どもへの投げかけを大切にした集団作りをしていきたいと思っています。
 これをしたからといって、すぐに主体性は育たないかもしれません。しかし、毎日こういう意識をもって子どもたちと接することで、「徐々に身についていく感覚」というものもあるのではないでしょうか。このようにして、日々「主体性の種」を蒔き続けることで、「自分で考えることができる、これから先の社会を作っていく子どもたち」が育っていってくれればなと思っています。

といったところで今日はこの辺で終わりにします。唐突ですが。

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