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社会のレールから離れ夢を追う苦悩さ

 先ず始めに、夢を追っている人に最高の敬意を示したい。彼らのように自分は生きれるか?非常に難しいだろう。社会のカラクリに乗っかれば、それなりの人生を送れる。そこは自分の理想郷では無いだろうが、毎月それなりの給料を決まった額を貰い続けられる。安定の最高潮という高学歴から大企業の出世コースに乗っかれば、結婚、子育て、老後まで安心だろう。終身雇用の崩壊といいながらも、正社員的な生き方を選ぶならば、夢追い人が味わうような不安や孤独感を味わうこともない。しかし、大きな夢を捨てて平凡な人生を歩むのは誰もが退屈だ。退屈だからといっても、現実を見ずにはいられないのが人間である。だから多くの人は夢を諦め、安定を求める。それが人間で夢を追うのは狂ったような覚悟がいる。
 社会の歯車になったのに、職につけたと喜ぶ。自分を正当化せずには保てないから夢を追う人に嫉妬して批判する大人だって多い。
 夢か安定か、どちらを選んでも幸せなんか保証されない。自分の生き方を正当化せずにはいられない。人間は宗教とか天皇とかが必要なように、自分の中に思想を確立せずには生きられない。この思想を他人に強要すると老害と言われる。
 夢を追う人はマイノリティだから、彼らの方が覚悟が決まっている。彼らは、不安、孤独、批判、と闘っている。才能に気づいて、辞めどきがわからずもがき苦しんでいるものだっている。彼らを簡単に批判してはいけない。一方で、正社員という奴隷に鬱憤とし、フリーランスや副業に憧れて、現状に不満、未来に不安を抱える。どちらもないものねだりなのだ。
 最後に、ハイブリット型という生き方もある。副業で小さく始めるといった具合だ。夢を追う不安を少なく出来る。一方で、投資としては弱く時間がかかる。まあ、精神衛生上ハイブリッド型は良いと思う。
 副業が当たり前の世の中になりつつある。これは素晴らしい。会社という奴隷とは別に、真の理想を実現出来る。

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