体調不良

そういえば体調不良というのを英語でなんというんだろうか、と調べてみると、google翻訳では"I'm not feeling well"と出た。でもこれは文章「私は体調が悪い」に対する役で会って、語「体調不良」の薬とは言い難い。poor healthとかが適当か。

最近体調不良がひどい。あらゆる体調不良が襲い掛かってきているように思う。精神面では、適応障害の診断を得た。パニック発作は時を置かず起きる。身体面。毎日腹痛と下痢だ。体重は就職して2か月少々の間に10kg減った。嘔吐も時折ある。下血がひどい。汚い話、大きいほうをするたびに、便器がファンタブドウ味みたいな色に染まる。ほかにもさすがにここでは書けないような症状が何個かある。

正直仕事を続けることに困難を感じているのは事実だ。しかしやめられない都合がある。それはまさに適応障害の診断を受けて両親に報告した時に伝えられたのだが(実際は報告とは程遠い怒号飛び交う修羅場だった)、私が働いて月に6万円というお金を家に入れなければ、我が家の住宅ローンが滞るらしい。それはすなわち、我が家が物質的に他人のものになることを意味する。

さすがにそれは認められない。働くしかない。

でもそろそろしんどいのも事実だ。自殺の方法を探している。自殺なら、だれもそれ以上私を責めはしない。最近は、「自殺」なんて言葉を検索に含めるだけで、偽善めいた誘導が出てくる。しかしそんな騒音をかき分けた先に、なかなか有意義な発見をした。首吊り自殺の記事だったのだが、その方法がなかなか面白かった。車に乗って、縄の一方を自分の首に、そしてもう一方を金網に括り付けて、急発進したらしい。これはなかなか名案だと思う。アクセル踏み込めば、もう止まりようがないし、体感上木の枝やなんかにスタンバイするより、よっぽど確実な気がするのだ。一つ気になるのは、彼はどのレンジで発信したのだろうか。D?L?スポーツモード?どれが一番初速が出るのだろうか。気になる。

自殺を選ぶなど、私も本当はしたくない。しかし選ばざるを得ない都合があるのだ。人は、戦って死んだ人間を悪く言うことはほとんどない。しかし、戦場から逃げて生き延びた人間には、往々にして人格攻撃を含めたひどい批判が待っている。これは割と一般社会でも同じだ。仕事をやめたとする。その時人々は、「こらえ性がない」「家が大変な状況なのに」などと好き勝手批判するだろう。しかし自殺したらどうだろうか。「そんなに追い込まれるまで頑張ったのか」「死ぬことはなかっただろうに」と途端に同情的な意見になる。

そして何より、私が仕事をやめるということが、長く暮らしてきた愛着ある家が失われることと完全なイコールで結ばれていることがつらいのだ。私が「退職」という引き金を引けば、その弾丸はこれまでの我が家の楽しい生活に突き刺さり、それを破壊する。その引き金を引く勇気は私にはないのだ。

だから自殺するほかないのである。神はサイコロを振らない。死者は引き金を引かない。私もその特権を享受したく思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?