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対話

何をするにも家族の許可が必要だ.成人した22歳の男が,そんなことを言っているのは多分異常なことだろうと思う.しかしそれが事実なのだ.私は家族を愛さずにはいられない.でもそれは本当に肯定的な意味合いなのか.

私は,外出する時,一々家族にそれを伝える.トイレに行くときさえも.私の行動は,全て家族に管理されている.この管理の形は別の形でも現れる.家族は私の部屋に平気で入ってくる.大学時代,それが嫌でろくに帰省しなかったこともあって,また大学のカウンセラーや心療内科の医者が口添えしたこともあって,基本的に部屋には入らないということになっていたはずだ.そしてそれを表すために,ドアノブプレートで意思表示するようになった.しかしDon't Disturbを掲げていても平気でノックをし,何の許可も得ず入ってくる.一方的に家族に管理され,私の自由はこの家にない.

遠くに逃げたい.かくまってくれる人もいる.でも家族はそれを許さない.なので私は今日も仕事のことを考えて死を想う.偶然今日は生き延びた.明日は知らないが.

多分私が死んだら,両親は「死ぬくらいなら云々」と言うだろう,と思う.だからここで反論しておく.その余地を奪ったのはあなた方なのだ.そして私は死を選んだ.

明日仕事に行くか.多分行かない.又朝になれば極限の憂鬱を引き起こし,上司に電話を入れ,上司はあきれた声で「お大事に」とだけ言い,ほんのわずかな恍惚が訪れたのち,また一日中死を考えることになる.土曜も,日曜も.

なぜ生きているのだろうか.

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