近況報告240724

転職して既に5か月が過ぎた。近況を書く。

最初、私はこの職場でやって行けるか心配になった。新店開店というのは、想像を絶するものだ。スーパーに並ぶ商品を考えてほしい。すでに回転している店なら、足りなくなったものを発注していくだけだ。しかし、新店開店となるとそうはいかない。全てを最初から詰めなければならない。もちろん、全ての分野の商品を一気に陳列することなどできない。開店1週間前から毎日出勤して、運び込まれる商品をさばき、陳列の手伝いをした。「お前ら陳列しないの?」という疑問はごもっとも。しかし、最初はメーカー各社が人員を派遣してくれて、その人たちが陳列してくれるのである。しかし、陳列をしなくてもいいからと言って楽ではない。私は、初日朝8時から夕方4時まで働いて、途中一時間の休憩込みで20,735歩歩いた。あのスーパーの限られたスペースの中で、それだけ歩いたのだから立派なものだ。初日で随分心が折れた。久しぶりに肉体的な疲労で辛さを味わった。しかし、翌日からは徐々に楽になっていき、開店を迎えた。

それから先は、しばらくあまりしんどいことはなかった。頭痛が酷いくらいで、休まず出勤し続けた。上司も好きだったし、同僚も和気あいあいとしていたからだ。そんな矢先に事件が起きる。

ある日、丁度GWが終わったころのある日出勤すると、シフトでは出勤になっていた上司がいない。開店以来ほとんど休みなし、たぶん1日か2日くらいしか休んでなかったから、体調でも崩されたのだろうと思って仕事を始めた。初めてすぐ、「各部門長と副長は直ちに店長室まで」という放送がかかり、副長は「ちょっと行ってくる」と言い残して去って行った。彼が帰ってこないままさらに30分くらい経って、普段は放送で済ませられる朝礼なのだが、「今日は全体朝礼を行いますから集まってください」と放送が来た。この時点で、実は私は事態の概ねを察知したのだが、まさかな、と思いながら集合した。

我が敬愛する上司は、脳溢血のために前日に亡くなった、という報告だった。

声涙下りながら残念さを吐露する店長、異様な雰囲気に包まれる朝礼。まったく、嫌な日だった。私もかなりショックを受けて、その日のあとのことはよく覚えていない。そして、ここから全ての歯車が狂い始めた。

上司=部門長を失った我が部門は、ひとまず副長が指揮を執ることになったが、直ちに後任人事が発令された。SVという役職の人がいて、私にもずいぶんよくしてくださったのだが、この人が言うには、「新店もたくさん経験してこられて、更に教育の人だから、しっかり指導を受けて頑張ってほしい」という事だった。実際、着任の数日前に下見に来ていて、軽くあいさつを交わしたのだが、物腰が柔らかそうで、なるほどSVの言うとおりだな、と思った。

そして後任の上司(以下上司と呼ぶ)が着任して、しばらくはなんということはなかった。不思議なくらいにほめそやしてくるのがちょっと気持ち悪かったくらいだった。

さていつの頃だったか、急だったか徐々にだったかさえ覚えていないが、上司の態度が変わった。今までは、質問をしても快く返事をしてくれていたのだが、質問をしても「当然こうに決まってるじゃん」というような回答をするようになってきた。それが嫌で、質問をしに行かなくなったら、「なんで質問に来ないんだ、お前の悪いところだ」などと言い始めた。かなり嫌な気持ちになった。しばらく観察すると、どうもこの上司は機嫌の上下が激しいようだった。即ち、機嫌が良い時ならある程度質問には答えてくれるが、質問が悪い時は全然答えてくれないようだった。

こういう上司をとことん嫌いになって、休みがちになり始めた。ちょうど過敏性腸症候群なので、それを言い訳にして休むのを正当化している。途中、祖母と母が入院し、祖父がコロナになるという危機的状況に陥った。心労が著しくなり、家事をする必要もあって、出勤を午前のみにしたりした。

書くのに疲れた。とにかく、私はこの嫌いな上司と明日も会わなければならない。本当に憂鬱だ。仕事も無限に増える。残業を前提とした作業計画を立てる。それに異議申し立てするとわかりやすく機嫌が悪くなる。実は、知り合いから郵便局に来ないかとも誘われたのだが、また職を変えてうまくいく自信もなかったので断った。その決断を、まだ1週間くらいしかたっていないのに、後悔している。

私は、社会に於いて生きていくのに向いていないのだろうと思う。いっそ簡単に命を絶てたらよいのだが、なかなか人体とは強靭で、死にたいと思ったくらいではなかなか死ねない。死を想わぬ時には、あれほどあっさりと死ぬのだが。

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