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メンヘラ女と付き合えるのはメサコンくそ男だけなのか

「メンヘラ女と付き合えるのはメサコンくそ男だけ」という趣旨のツイートを見かけた。しかし、これが正しいとすると、メンヘラをケアする男性全員がある種否定されてしまうことになる。果たしてこの「メサコン」という言葉を、このような否定的・嘲笑的に使ってもいいのだろうか?

そこで、今回は「メサコン」という言葉を点検する。とりあえずメサコンをwikipediaで検索する。

メサイアコンプレックス(英: Messiah complex)とは、キリストコンプレックスまたはメシアコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。


省略して"メサコン"と言われる場合が多い。メンヘラ女性を男性がケアをする(が、メンヘラ女性の精神を悪化させる)ような事例などで出てくる。実際にメサコンで検索してみて欲しい。(以下では、メサコンがどういう事例で使われているか知っている前提で話が進む。具体例などは書かないので少し抽象的に感じるかもしれないがご了承願いたい。)

1、メサコンの由来

ネットで検索するところによるとユング由来だそうだが、出典がなかなか見当たらない。そこで簡単に図書館で調べてみた。
河合隼雄(1971)『コンプレックス』岩波新書や、河合隼雄(1977) 『無意識の構造』岩波新書を手に取ると、そちらにメサイヤコンプレックスがユングの概念の一部として紹介してあった。新書なので、まとめて後ろに参考文献が書いているため、一体ユングのどの本にメサイヤコンプレックスの単語が載っているかわからなかったが、ユング由来であることには間違いないだろう。以下ではメサイヤコンプレックスを河合の記述をもとに説明する。
(以下ではユングの用法でのメサイヤコンプレックスを"メサイヤコンプレックス"、現在の用法でのメサイヤコンプレックスを"メサコン"と区別する)

2、本来の意味でのメサイヤコンプレックスとは

コンプレックスという言葉は「心的複合体」などと訳されるが、現在の意味でのコンプレックスを最初に使い始めたのはユングだという。

河合はメサイヤコンプレックスを以下のように説明している。

自分の劣等感に気づくことなく、むしろ、それを救って欲しい願望を他に投影し、やたらと他人を救いたがる人がある。そのような行為の背後には、複雑な劣等感と優越感の絡み合いが存在しているが、他人がありがた迷惑がっていることも知らず、親切の押し売りをする。このようなコンプレックスをメサイヤ・コンプレックスと言う。これは表面的には善意としてあらわれるので、克服することの難しいコンプレックスである。このような人は、気の毒な人の救済に力をつくしていると信じているが、実のところ、救済される側の人がおのれのメサイヤ・コンプレックスの解消のためにメサイヤであることを知ることは少ないようである(河合,1977,p.26)


しかし、ここで注意が必要なのは、フロイトがコンプレックスの表出を病的なものに捉えたのに対して、ユングはマイナスの面もあると認めた上で、「偉大な努力を刺激するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちでもあろう」(ユング『魂の探求者としての近代人』)と肯定的に評価している点である。

3、メサイヤ・コンプレックスの何が問題か

まず、メサコンと聞いて問題になるのは、ある人が慈善事業に熱中しているとして、それがメサイヤ・コンプレックスの表出によるものなのか、「本物」なのか判断するときだろう。
これに対して河合は「慈善は慈善であって、何もそれについてとやかくいう必要はない」(河合,1971,p.73)と述べ、問題なのは「自我とコンプレックスのあり方」なのであり、すなわち「自我がコンプレックスの支配に屈するとき、その行動は現実を無視し、従ってその行動に対する評価は低くならざるを得ない」と述べている。

さて、ここで注意が必要なのは、自我と、メサイヤコンプレックスの区別である。目下の問題に置いて、自我は、誰かを救いたいという欲求=メシア欲求を持つ。このメシア欲求がメサイヤコンプレックスに由来しているのが問題なのである。つまり、メシア欲求自体は愛や利他性など様々な要因で説明することができる。メシア欲求が生じる原因の一つがメサイヤコンプレックスなのである。

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次に注意が必要なのは、「その行動は現実を無視し」という点である。このメシア欲求に基づく行動をメシヤ行動と呼ぶとすると、そこには現実を無視した「悪いメシヤ行動」と「良いメシヤ行動」があることになる。
「現実を無視し」というのには解釈が必要だろうが、目下の問題においては「相手を尊重するかどうか」が一つの基準となり得るだろう。つまり良いメシヤ行動は、相手を尊重した上での行動、例えば、募金であったり、仕事としての看護などが当たるだろう。一方の悪いメシヤ行動はいわゆるお節介などが当てはまる。メサイヤコンプレックスに支配されると、周りが見えなくなり、この悪いメシヤ行動をする可能性が高くなってしまうのだ。

※ケアの現場において、悪いメシア行動は「相手を無理に変えようとして、自分が望むように変わらないと怒る」「わざとメンタルが悪化するように仕向け、自己への依存度を高める」が考えられる。良いメシア行動は「本人ではなく周囲の環境を変化させることで、間接的に相手が変化しやすい状態にする」が考えられる。このような区別はホリィ・センさんからの示唆による(https://menhera.jp/6210 を参照)。

4、現在使われている意味でのメサコン

これまでに本来の意味でのメサイヤコンプレックスとその問題点を確認した。しかし、現在使われている意味でのメサコン(区別のため、これを略称であらわす)は、少し異なっている。

まず、本来のメサイアコンプレックスとは、自我に含まれるメシア欲求に影響を与える要因だった。しかし、現在使われている"メサコン"は、元来の意味でのメサイヤコンプレックスに加えて、メシア欲求や、メシア行為までもメサコンと呼ぶ誤解が広がっている。wikipediaを改めて確認する「狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指す」とあるが、これはメシア欲求を指す。また「広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める」とあるが、これはメサイヤコンプレックスに支配され、メシア行為を行う人々を指す。

特にメサコンを否定的・嘲笑的な文脈で用いる場合では「メサイヤコンプレックスに支配され、悪いメシア行為」を行うことをメサコンと呼ぶことが多い。実際、このように使われる場合が多いので、メサコンは一般的に「否定的なイメージ」が付随している。

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5、メサコンと共依存の類似性

 ネットで検索してみるとメサコン男性の行動の例として、共依存が挙げられることが多い。しかし共依存は本来、全く異なる文脈から誕生した言葉である。ユング心理学が20世紀初頭なのに対し、共依存は1970年以降の概念である。また、共依存は、精神分析とは全く異なる、ソーシャルワーカー達によって編み出された概念だ。このような全く異なる概念がなぜメサコンと結びついているのだろうか。

 共依存は多くの場合、その背景に誰かを「支配したい」という欲求や「救ってあげたい」というメシア欲求があると説明されることがある。そして、更にその背景には自身の劣等感や自尊心の欠如があるとされる。同様に、メシヤ行為も背景にメシア欲求があり、その背景には劣等コンプレックスが存在する。以下が比較図である。双方の概念が近似しているのがよく分かる。更に共依存は、必ずしも相手の回復をもたらさないという意味で「相手を尊重しない」悪いメシア行動に類似している。この類似性の結果、メサコン概念に共依存が組み込まれることになったと考えられる。また、メサコン概念の背景に「支配欲」があると説明されることが多いが、それは共依存概念からの影響の可能性もあると言えるかもしれない。

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6、まとめ

・本来のメサイヤコンプレックスは、メシア欲求や、メシヤ行為とは区別されていた。しかし、現在の"メサコン"は、概念が一般大衆に普及する過程で、メシア欲求や、メサイヤコンプレックスに基づくメシア行為をも指すようになった。
・多くの場合、このメサコンは否定的・嘲笑的な場面で使われたため、メサコン=危険=避けるべきもののような否定的なイメージがつくようになった。
・元来のユングの用法では、コンプレックスそれ自体は生きる活力を生むものであり、危険性はあるものの、ある面では肯定的に捉えられていた。
・また、共依存概念との類似性から、メサコン概念に共依存概念が組み込まれるようになった。

以上を元に改めて初めのツイート「メンヘラ女と付き合えるのは、メサコンくそ男だけ」に返信してみよう
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「確かにメンヘラ女の彼氏は「彼女を救ってあげたい」という願望を持っている場合がほとんどだが、それが劣等感に基づくメサイヤコンプレックスに由来しているとは限らない。愛の場合もあるし、利他性の場合もある。そのため、メンヘラ女の彼氏がメサコン男だけとは限らない。また、たとえメサコン男だったとしても、相手を尊重した良い行為を行う場合もある(この場合、理解のある彼くんと呼ばれる)ので、メサコン男をくそと断定することもできない」
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7、メサイヤコンプレックスのこれから

メサコンいう単語は、自分自身の無意識的なあり方を認識する上で非常に効果的であることは間違いない。しかし、あえてメサコンという単語を用いる必要がない場合(というか用いるべきではない場合)が多い気がする。具体的には、お節介な人に対して「君はメサコンだ」というのはかなりの誤解を生んでしまう。そのため、きちんと「君は相手を尊重できていない」というべきだろう。また、ケア労働者に「メサコンにならないように気をつけろ」というのも誤解が生じうるので、その場合は「自分の欲求を一方的に押し付けずに相手を尊重するよう気をつけろ」とでもいうべきだろう。

抽象的な単語は使いやすいが、時々きちんと点検するべきだと私は思う。もちろん私の解釈が間違っている可能性はあるが。

※本文では書かなかったが、マザコンも、コンプレックスそれ自体ではなく、「母親に強い愛着がある人」という意味になっている。シスコン、ロリコンなども含め、省略されて〇〇コンという形になることで、コンプレックスという意識が薄まるのかもしれない。

〈参考文献〉

・河合隼雄(1971)『コンプレックス』岩波新書

・河合隼雄(1977) 『無意識の構造』岩波新書

・https://ja.m.wikipedia.org/wiki/メサイアコンプレックス

・https://menhera.jp/6210

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