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今日は母の日

どうも、odeco@ただの主婦です。

1歳の娘を育てるのと同時に、借金アリの旦那の育成にも力を入れて、毎日を過ごしている30代主婦です。


4月24日に58歳を迎えた私の母。

今年の母の日には、コーヒー豆とおつまみのナッツ、美味しいケーキ屋さんの少し高級なチョコレートをプレゼントした。

誕生日プレゼントも込で渡しているのが、ここ数年の私の決まりになっている。


今日は、母の日。
ってことで、私の母についてお話しようと思う。

私の母はもともと保育士だった。
23歳で私を妊娠し24歳で出産した母。
自分の子供が生まれたら、保育の仕事からは離れると決めていたらしい。
その後、妹が生まれ弟が生まれた。
子供が3歳になるまでは、自分で育てたいと決めていた母。
私は3歳の時に保育園へ入園した。
妹も同じ、弟は例外。
弟は私が卒園後、未満児から入園していた。

それから色んな仕事をしていた母だったが、私が小学生の頃だったかな?介護の仕事を始めた。
そこから数年、母は40代にして介護福祉士の勉強をし、介護福祉士の資格を取得した。
仕事をしながら独学で勉強。
仕事に関しては本当に尊敬する。
それからも、母の向上心は止まらず。
認知症ケア専門士なる資格までも取得していた。
この資格には更新が必要らしく、時には都内へ出向き学会などにも参加していた。
仕事に取り組む姿勢や、上を目指す母の背中を見ていると、挑戦に年齢なんて関係ない!と勇気づけられる。

介護福祉士として働き出した母は、特養(特別養護老人ホーム)で夜勤をしていた。
体的にもとても大変そうだった。

私が21歳の時。
母は虫垂炎が悪化し腹膜炎をおこしてしまった。
母は責任感が強かった。
今思うと頑張りすぎてたし、病院嫌いも相まって症状が悪化したんだと思う。
その時に、切除した部分を念の為病理検査へ回すと医師に言われたらしい。

病理検査に回した部分から、まさかの悪性腫瘍が発見された。
その後の診断で、虫垂の癌(虫垂カルチノイド)なるものだと言われたみたい。
正直、聞き慣れない名前だし詳しいことはよく分からなかった。
珍しい病気で症例も少ないとか。
まぁ、確実に良くないことは分かった。

母からその話を聞いたときの私は、意外と冷静だった。
と同時に「私がしっかりしなきゃ」と瞬間的に思った。
母は、私にだけその話をした。
妹と弟にはまだ言うなと口止めされた。
その他に、もう一度手術をすること。
悪性腫瘍は目で見えない上に、病理検査に回さないと分からない。
だから、念には念を入れ大腸の半分を切除すること。
次の入院は前回よりも長くなること。
もし、悪性腫瘍が取り切れず抗がん剤治療が必要になったら、私はやらない。
とも言われた。

そんなこんなで、母は入院。
私達家族にとって、母がいない生活は人生で初めてだった。
私は家計管理を任された。
お金の管理は全て母が行っていたので父はノータッチだった。
通帳ごとに入金の必要があるもの、金額等教えられた。
私は家庭の食費の家計簿をつけた。
母が入院するのは2wくらいだったが、それでもしっかり管理したかった。

なんとか母のいない生活を乗り切り、母も無事退院。
その後の病理検査では、幸いにも切除した大腸から悪性腫瘍は見つからなかった。
私達家族も一安心。
なにより母が1番ホッとしたんじゃないかな。
この病気は、症状が出て発見される頃には、手遅れになってることが多いそう。
母のケースは、たまたま虫垂炎があったことで大事に至らなかったと。
ただただ運が良かっただけ。
その運に、母と私達家族は助けられた。

数年間は経過観察のため定期的に病院へ行っていた。
今はその期間も終え、元気に過ごしている。

病気を機に大好きなお酒の量も減らした。(今ではそこそこ飲んでいるが笑)
腸が短くなった分、食べすぎないように注意する必要もあった。
辛いものも沢山は食べなくなった。
仕事も辞めた。


その後は少しの間専業主婦をしていたが、また介護の仕事へ復帰した。
今度は夜勤のないデイサービス。
ここでも長い間働いた。


そして、2020年。
私の出産を機に退職をした。
デイサービスでの仕事も長く続けていた母は、待遇は変わらないまま責任感ばかり押し付けられるようになっていた。
母も仕事の辞め時を探していたんだと思う。
私の出産は、母にとっても良い機会となった。

私は里帰り出産はしなかった。
産後は私の住むアパートで1ヶ月間、母に身の回りのお世話を手助けしてもらった。
母は毎日楽しそうだった。
「今が1番幸せかもしれない」
そう話していた。
その言葉を聞いて、1つだけ親孝行ができたかな、なんて思った。

初孫との暮らし。
自分のことを知っている人がいない生活。
仕事に家事に家族の世話もない。
家族に文句を言われることもない。
何より、仕事での重圧やストレスから開放されて生き生きと過ごしていた。
産後の1ヶ月は、母のおかげで私の心も体もかなり回復することができた。
出産をきっかけに、母への感謝は今まで以上に大きなものとなった。
頭が上がらない。


そんな母。
なんと、3月から友達の紹介で保育園で働き始めた。
補助的な立場ではあるが、4月から0〜1歳未満の子たちを見ているそう。
月曜から金曜まで、9時に家を出で16時半に帰宅する。
每日腕が筋肉痛だと言っているが、それでも楽しそうに働いている。

今まで仕事も私生活も割と苦労してきた母。
でも今は以前よりも楽しそうに過ごしている姿を見ると、少し安心する。

歳を重ねても毎日楽しく暮らしたい。
そんな風に私は思う。


腹が立つこともあるし時には文句も言ってしまうが(笑)
母がいてくれて本当に良かったと心から思う。

今の私には、感謝の気持を少しずつでしか形にすることができないが、これからも誕生日や母の日は欠かさずお祝いしたい。


GWも母には世話になりっぱなしの私だけど、娘と関わっている母の姿を見ると、帰ってきて良かったなぁ〜と思うのであった。(*´ω`*)


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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