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小児哲学についての報告3(2020724)

・哲学と人生のグレードアップ

 皆さん、こんにちは。取るに足らない人間代表です。
今般は現代社会で定義される「哲学」ではなく、私が定義する「哲学」は人生においてどう役に立つのかを述べていきたいと思います。

 現代社会における哲学は、ご存知の通り「コギトエルゴスム」やら「アポリア」やら「ルサンチマン」など、、、
 この概念、いつ役に立つの?といった小難しい思想ばかりですよね。確かに、これらの人間心理、はたまた世界の構造について思いを馳せる「哲学者たる」知識人が発展させたこの学問は非常に興味深い物です。しかし、これは万人の役に立つ訳ではない、「哲学」という漠然とした看板の下、「それっぽいことを言えばそれとなく尊敬される」なんていう幻想があるのではないでしょうか。

 ここで哲学を再定義しておきましょう。


「哲学とは暇を持て余した知識人の娯楽」
ではなく、


「ヒトが人間たるが為に会得された思考そのもの」
です。つまり哲学は人が自我を持ち始める辺りから既に備わっているものなんですよね。その証拠に、報告書2で私が述べた「空白」について、皆さんの脳はある程度の思考を行いましたよね?そこには「何も無い」のに。
 そうです。人間の思考は無から有を生むことさえ可能なのです。
これは他の生物にはない、素晴らしい能力。これこそが哲学だと、私は定義したいのです。
 「学」という文字が付くということは、学ぶことで何か人生の役に立つ物でないとならない。現代社会での哲学は、率直に言うと役に立ちません。言い方をきつくすると、学校の勉強についていけなくなった中高生がこぞってニーチェやカントの思想に陥るのがいい例ですよね。
 勿論、ニーチェやカント、その他の哲学の碩学は素晴らしい思考を持っていらっしゃった。故にそれに触れ、或いはアフォリズムに触れ、深いことを言っているような「気がする」と脳を活性化させるのも大事なことです。しかし、哲学は決して模倣してはいけません。そこからバトンを受けた自分自身でその思想を昇華させていくことが肝要だと考えているのです。

 さて、題名に「哲学と人生のグレードアップ」とありますが、皆さんは何のために勉強をしますか?または何のために努力をしますか?
 大抵の人はこう答えます。「人生を成功させたいから。」「将来の夢を叶えたいから。」と。ご尤もで御座います。皆さんの両親や世間の大人達も皆してそうなるのを期待して皆さんを育ててきたことでしょう。
 しかし、何かの縁でこの文章に辿り着いた人の特典として、この報告書では新しい考え方を知って頂きたいなと考えております。

 一方、こんなことを言う人もいます。「楽しいから。」「無意識に。」
 実はこれこそが人間のあるべき姿なんですよね。根っから脳に哲学が染み付いていると言えます。しかし、これらの人々は決して天才という部類に入るものではありません。考え方次第でどうにでも内なる哲学は開放させられるのです。
 

 とは言っても、大多数の人が人生における成功を望んでいると思います。今回は、まず皆さんの欲求を満たします。私もまずは巷に溢れ反っている「成功の哲学」なるテンプレートを甘んじて受け入れましょう。
 質問の続きから致しましょうか。
では、皆さんは何故人生を成功させたいのでしょうか。何故、人間としての幸せを望むのか。
 一般的な答えとして「不自由なく暮らしたい。」や「結婚して家庭を築き、養っていきたい。」というものがありますよね。確かに、これは真っ当な解答です。勿論、哲学なんていうややこしい概念を取っ払ってしまえばこれが最適解でしょう。
 しかし、やはりここに来て下さったからには新しい何かを得て頂きたいのです。人間は何故幸せを望むのか。


 幸せの本質は「性欲」です。
おっと、ブラウザバックは勘弁してくださいね。
考えてみて下さい、生物の第一の目的は子孫を残すこですよね。無論人間も例にもれることなく、子孫を残すことこそが存在理由です。絶頂の際に幸せな気分になるのが完璧なまでの証明ですかね。
それとも、「成功」と「性交」が同音異義語ということですかね、全く日本人は粋ですね(笑)


 先史時代の人間はさぞ幸せな人生を歩んでいたことでしょう。他の生物と何ら変わらない、性交をして子孫を残す。その為に生き、食い繋いでゆく。何故現代人は子孫を残すまでに大層面倒な段階を踏むようになったのでしょうか。
 先史時代の人間は現代のような虚構の哲学に汚されるようなことはありませんでした。従って、「哲学」によって理性と本能を自由に行き来できた。狩猟、採集、釣り、皆が生きる為に必死であり、これは本能による活動です。また、狩ってきた動物の肉を独り占めしたい欲望を抑えて全員で等分して食べる。これは理性による行動です。現代人が得意とする行動ですよね。
 それに対して、理性から本能へと立ち返ることが出来なくなった現代人は幸せを感じるまでに至るのに非常に苦労します。言い換えれば、人として幸せになるという望みが余りにも高いということです。私は偶に嫌気が差すことがあります。何故子孫を残すだけのことなのにここまで苦労しないとならないのか。これは全て偽の哲学を会得してしまった知識人の所以でしょうね。

 私が定義する哲学はその怨嗟を忽ち払ってくれます。ここでいう哲学は人間の役に立って然るべきものです。そして全ての人間に備わっている思考です。
 では、その一例を挙げてみましょう。
先程の質問。「人は何故人生を成功させたがるのか。」それの答えが「子孫を残すためである。」でしたね。では、何故「人間、ないし生物は子孫を残したがるのか。」この領域になってくると、報告書2での空白を思考する際に使用した皆さんが有する「哲学」を活用する必要があります。
 簡潔な解答例として挙げられるのは、「天上からの指令を達成するため。」または「天上の意思に背いた生物の反駁である。」という人もいるでしょうか。

 「天上」とは神のことです。実在しているとも言えるし、実在していないとも言える。ただ、人間が勝手に神を定義づけたことだけは言える、不定形な物です。例えば数学的帰納法において、途方もない数字の群を「k」と置くように、人間は決して踏みいることの出来ない、思想の届き得ぬ領域を「神」と置いたと言えば分かりやすいですかね。
 つまり「天上の指令」これは宇宙を証明することなんです。人間が子孫を残し、代を跨いで成し遂げようとしている何かの正体はここにあるのでしょう。

 次に、「天上の意思に背いた」とはどういう意味なのでしょうか。「天上の意思」、これは宇宙に生物が存在してはならないという条件のことです。もし、神が存在していて、宇宙の均衡が保たれることを望んでいるとしたら、、、ということです。先人達もこんなことを考えていたから、「ラグナロク」なんていう言葉も生まれのではないですかね(笑)




・報告書のまとめ

 このように、哲学は人間の思考力を底上げする物なんです。これなら、報告書1での「実力派」、「個性派」どちらにとっても大いに役に立つと思いませんか?これこそが哲学のありし日の姿です。今回の例で言うなら、「人間でいう幸せとは何か」という簡単な問いに対し、「哲学」を用いることで高尚な所まで発展し、更には先人が何故「神」という存在を定義したのかという思考にまで至りましたね。
 さて、次からは「人生を成功させる」のではなく、「哲学をどう染み付かせるか」に重きを置きつつ、ついに小児哲学についての報告を始めます。

ご清聴有難う御座いました。